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米津
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人物 米津常春 5米津田盛 3米津政信 3米津親勝 3米津田政 2米津勝政 1徳川家康 1藤原道隆 1米津親康 1米津信勝 1徳川家臣矢田作十郎 1徳川家臣波切主税 1徳川家臣大原左近右衛門 1徳川信康 1徳川家臣杉浦八郎五郎 1徳川秀忠 1米津政盛 1米津盛信 1
古き三河物語といふ者に、米津藤藏同小大夫と見えたり、此二人或は叔姪、或は兄弟の間なりしや、詳なる事を知らず、彼の藤藏年老て入道の後淨眞と名づく、其若かりし時、矢田作十郞波切主稅大原左近右衛門など相並ひし剛の者にて有けり、或時三郞殿、淨眞が高名の事ども尋ね仰せられしに、鎗とも申つべき事十二度候ひしが、中八度は、某一人が鎗にて侍り、人々の事計らひて、多くの者助けし事どもは、いつこ〱の戰なりとて、精しく其證ども引で答へ申せしが、杉浦八郞五郞承りて、高橋繩手にして、馬上にて敵三騎をつき落せし事のみ申せしに、いや〱夫程の小事は、幾度も候べしと申せしなり、此餘淨眞語りし事ども、三河の人々云ひ傳へし事多くありけり、
其子則ち勘兵衞尉田政なり、初め小牧の御陣よりして、三方が原の軍1に隨ひ、文祿中、中納言家に付られて使番の職を奉り、慶長五年の秋、山道の供奉し、同九年、關東の町奉行職を承り、寛永元年十一月廿二日、六十二歲にして死す、出羽守田盛父に繼く、万治元年四月、御書院番の頭となり、寛文三年六月七日大番頭に遷り、同六年二月十六日、大坂の城番と成る、一万五千石を賜て武藏國久岐を領す、嫡子伊勢守政盛二男周防守盛信
- 三方が原の軍 — 底本のまま。小牧(天正12)の後に三方が原(元亀3)が来て順序が合わず、寛永元年62歳没なら三方が原の時10歳。「小田原」の誤りの可能性。未確認