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尾張
この家によく出る人物・地名
人物 徳川義直 8徳川家康 6徳川頼宣 4徳川秀忠 2千代姫 2成瀬正成 1後水尾天皇 1春姫(義直室) 1徳川光友 1徳川家光 1徳川綱誠 1松平義行 1松平義昌 1浅野綱長 1有馬頼元 1織田長通 1
地名 尾張国 3尾張国名古屋 3摂津国大坂 3美濃国 2尾張名古屋城 2甲斐国 1紀伊国 1三河国 1関東 1山城二条城 1尾張清洲城 1伊勢国 1駿河国 1
○或人曰く、初め大御所の御時に、右兵衞督殿、常陸介殿、同じく五拾萬石の地を參らせらる、其餘隣國の人々をつけらる、是を寄騎衆と申しゝなり、後に常陸介殿紀伊國へ移り玉ふ時、加へられて五拾五萬石餘を領し玉ふ、此時三河國にて、寄騎の衆に附られしは、皆國に留りぬ、かゝる處に、尾張家のおとな、成瀨隼人正、關東に參りて、尾張家にも地加へたまふべきよしを訴ふ、將軍家の老中、是を聞て、常陸介殿は國うつさせたまふがゆゑにこそ、地は加へられ給ひたれ、尾張殿の地くはへられ玉ふべき故なしといへば、さらば何國へなりとも國移し地加へ給ふべし、まさしき御兄の家として、御弟より所領すくなからんこと、天下の嘲を招くに似たりといひしかば、其事となく、五萬石の地くはへられぬ、其後、主上二條の亭へ行幸ありし時、諸大名軍の賦役によつて、武士を以て、路次の警衞す此時尾張家には、寄騎の領を合て、六拾萬石餘の役をもつて、その地をうく、紀伊の家人憤りしかど、今は寄騎の人々もなし、いかにもすべきやうなく、此よしを訴んとす、紀伊殿聞召し、其事ゆめ〱然るべからす、一人も役夫多からんは、天下の御爲にこそあれと、仰られき、此時より尾張紀伊の知行に高下出來しとまことにや、
十四年十一月大御所の仰として、當國名護屋の地進せらる、これは淸洲の城を移して、義直卿の御座所となさるべき爲なりけり、十五年閏二月廿六日、天下の大名、名護屋の城築くべき由を仰下され、同六月三日より事始めあり、秋九月經營成て、諸大名國々にかへる、十六年三月廿日、參議從三位右中將を兼ねらる、同六月朔日より、伊勢美濃等の大名、また名護屋の城を增築く、十九年の秋、大坂の兵起りしかば、十月三日、大御所白旗幷に引兩の幕賜ひ、尾張國に至り、軍勢を催し、此とき駿河にましませしなり、大坂に向ひ、大御所に隨て陣し、東西御和睦の後、名護屋に歸り玉ひ、北の方御入輿の事あり、此時大御所も、名護屋に到らせ給ひしが、大坂の兵再ひ起ると聞召、爰より直に攻めのぼらせ給ひぬ、五月七日の合戰、將軍の御手より軍始り、先陣あらそひ進み戰て、敵盡く亡びしかば、尾張殿軍し玉ふに及はず、中納言を歷て、從二位の大納言にのぼり慶安三年五月六日、五十一歲にてかくれ給ひぬ、御子中納言光友卿、從四位下右兵衞督より次第に歷昇りて、正三位中納言に至り、寛永十六年九月廿一日將軍家の御息女を迎へ入參らせらる、千代姬君、時に御年三才と申すなり、御子六人、先御嫡子左中將綱誠、其次四位少將兼攝津守義行、其次四位少將兼出雲守義則、其餘は御娘にて、一人は松平安藝守綱長の室、一人は有馬中務大輔源賴元の室、一人は織田伊豆守平長通の室なりけり、