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徳川義直
本文表記 尾張殿・五郞太丸殿・右兵衞督殿・大納言源義直卿・義利・德川右兵衞督殿・義直卿・尾張大納言義直卿・尾張の宰相中將殿・右兵衞殿・この殿
尾張 第一 · 8
- p001…大納言源義直卿は、初は義利、大御所第九の御子、御童名五郞太丸殿、慶長八年正月廿八…
- p001…大納言源義直卿は、初は義利、大御所第九の御子、御童名五郞太丸殿、慶長八年正月廿八日、御年四歲の時…
- p001…大納言源義直卿は、初は義利、大御所第九の御子、御童名五郞太丸殿、慶長八年正月廿八日、御年四歲の時、甲斐の國を參らせらる、同き十一年八月…
- p001…御年四歲の時、甲斐の國を參らせらる、同き十一年八月十一日、御元服あつて、德川右兵衞督殿と申、從四位下に叙し、十二年閏四月廿六日、尾張の國を給ふ、美濃尾張…
- p002…○或人曰く、初め大御所の御時に、右兵衞督殿、常陸介殿、同じく五拾萬石の地を參らせらる、其餘隣國の人々をつけらる、是…
- p002…是を聞て、常陸介殿は國うつさせたまふがゆゑにこそ、地は加へられ給ひたれ、尾張殿の地くはへられ玉ふべき故なしといへば、さらば何國へなりとも國移し地加へ給…
- p003…十一月大御所の仰として、當國名護屋の地進せらる、これは淸洲の城を移して、義直卿の御座所となさるべき爲なりけり、十五年閏二月廿六日、天下の大名、名護屋の…
- p003…日の合戰、將軍の御手より軍始り、先陣あらそひ進み戰て、敵盡く亡びしかば、尾張殿軍し玉ふに及はず、中納言を歷て、從二位の大納言にのぼり慶安三年五月六日、…
渡邊 第四中 · 2
加藤 第七下 · 1
- p006…成の室は保科彈正忠忠直の女にて、大御所の御外姪なるを、大相國家の仰として尾張大納言義直卿の御養君として、配せ給ひしが寛永十三年の春、かくれ給ひき明友が母は、賤か…
靑木 第十下 · 1
- p005…れんが爲にして、又大御所に望み申させ給ふ事など有りし故とぞ聞えける、此時尾張の宰相中將殿、北方迎へさせ給ふとて、大御所も彼處に渡らせ給ふべきにて有りければ、彼の…
上總介殿 第十一 · 1
- p004…と糺問あるべしと、以ての外に御氣色損したり、於茶阿の御方、大に驚き歎きて右兵衞殿常陸殿の御母上を初め、御歸依の僧達に至るまで、深く賴みて花井が罪まぬかれ…
平岩 第十一 · 5
- p002…時に起りしには、親吉己が城にありて、東國の軍務を司れり、同き八年十二月、五郞太丸殿甲斐の國を賜はらせ給ひし時、親吉この殿につけられて、府中の城を賜る、六…
- p002…軍務を司れり、同き八年十二月、五郞太丸殿甲斐の國を賜はらせ給ひし時、親吉この殿につけられて、府中の城を賜る、六万石を領し、親吉始て城を築く十二年…
- p002…けられて、府中の城を賜る、六万石を領し、親吉始て城を築く十二年四月右兵衞督殿則五郞太丸殿尾張國に移され給ひしかば、大御所の仰を承りて親吉清洲の…
- p002…の城を賜る、六万石を領し、親吉始て城を築く十二年四月右兵衞督殿則五郞太丸殿尾張國に移され給ひしかば、大御所の仰を承りて親吉清洲の城に在り、自らは…
- p003…は死せざらんとて、御氣色宜からずと云々、これ清洲の城を名護屋に移されて、右兵衞督殿いまだ御わたまし無かりし內なればなり、然るに考異には十五年十二月晦日の由…
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