地名索引 › 駿河国
駿河国
本文表記 駿河・駿河國・駿河の國・甲駿
尾張 第一 · 1
- p003…十月三日、大御所白旗幷に引兩の幕賜ひ、尾張國に至り、軍勢を催し、此とき駿河にましませしなり、大坂に向ひ、大御所に隨て陣し、東西御和睦の後…
紀伊 第一 · 1
- p001…八月十一日御元服、德川常陸介殿と申、從四位下に叙し、十四年十二月十二日、駿河遠江兩國を賜ひ、五十万石、後には遠江宰相殿と申しゝ由なり、大坂の兵…
松平(藤井) 第二 · 1
- p001…の城に住しければ、時の人藤井の松平とは申しゝなり、天文九年六月六日、利長駿河三河の人々と同く、安祥の城を守り、織田家の軍勢うち破て討死す、其子信一、…
水野 第三 · 1
- p001…、德川殿を設け玉ひ、十二年七月十二日、忠政卒し玉ひ、嫡子信元其家を繼く、駿河國今川殿に中違うて、尾張の織田備後守信秀に心を通ぜらる、岡崎殿無二の今川の…
松平(久松) 第三 · 2
酒井 第四上 · 10
- p004…世に傳ふる所に曰く、初め廣忠卿十一歲にて、駿河にまします時、天文五年四月八日、酒井左衞門卒す、其子を將監と申て、父に繼…
- p004…らしつ、一向宗の亂の時、將監上野城にこもり、明れば永祿七年に城逃れ出て、駿河に落行く、其所領を甥の小五郞忠次に下さると云云、又岩淵夜話別集に曰く、今…
- p004…却て恨みをふくむ、今川の家亡ふべき時、既に至りぬ、この上は力なし、元康は駿河に置きし人質、捨てなんと思ひたつ汝が人質をもすゑ〱は捨てんと心得よと仰あ…
- p004…るぞと、速に兵をおこして追かけ玉へば、おのが上野の城に入る事を得ず、直に駿河へ落行、將監が所領をば、彼甥小五郞に賜て、左衞門尉とめさると云云、按ずる…
- p004…宗亂の事を記して曰く、上野には酒井將監殿逆心なり、其後將監殿上野を明て、駿河へ落ち行き玉ふ、おとなにて上樣か將監殿かといふ程の威勢なれども、御主に勝…
- p005…にあり、忠次先陣を承て攻む、小原防きかねて、忠次に依て御一族一人を賜て、駿河國に御供仕り候はんには、城をば開き渡し奉るべきにて候と望む、さらば松平源三…
- p005…仕り候はんには、城をば開き渡し奉るべきにて候と望む、さらば松平源三郞殿、駿河へ趣き玉ふべきに定りければ、忠次が娘をも副て、小原にわたす、小原駿河に歸…
- p005…殿、駿河へ趣き玉ふべきに定りければ、忠次が娘をも副て、小原にわたす、小原駿河に歸りぬれば、三河國盡く德川殿に從ひぬ、同き月廿二日、城をば忠次に賜りけ…
- p007…好み結ばれしにあらず、同六年武田北條黃瀨川に對陣せし時、其隙に乘して、駿河國に入玉はんと、議せられしに、忠次申旨あつて、御軍をとゝめらる、同き八年九…
- p007…き、首四十二切て獻る、同き十年武田亡ひし時、先陣打て甲斐に入り、織田殿、駿河遠江三河を經て、本國に歸り玉ふべしと聞えしかば、德川殿まづ忠次返して、御…
本多 第四上 · 4
- p002…河國長澤に入りし時、忠勝十五才にて敵の首を取といふ、又同六年牛久保にて、駿河の城所助之進と鎗を合せ、此年牧野宗二郎と吉田下塚にて鎗を合せ、同七年土呂…
- p006…に見る所なし、今年六月、高明の城を降し、八月小山の城を攻む、同六年三月駿河國に向ひ玉ひし時、忠勝仰を承て、遠目口を越て、駿府に入る、敵持舟の城より出…
- p006…三月、德川殿、三位中將平信忠と、信長の嫡男、武田四郎を擊るべしと、駿河國を打從へ、甲斐の國に攻入り玉ひし時、忠勝先陳を承る、去程に德川殿今度武田…
- p006…し時、忠勝先陳を承る、去程に德川殿今度武田が滅びし事をも賀し、みづから又駿河國をわかちし祝をも、申さんとて、五月九日濱松を御立有て、織田殿へ參り玉ふ、…
本多 第四上 · 1
- p002…の面々、彼身に代て、常に駿府に候すべし、これ一つ、元康の國に歸らんには、駿河の御勢、岡崎の城を守るに及ぶべからず、是二つ、元康が本領闕所の地において…
本多 第四上 · 1
- p003…の國に向ひ玉ふ、北條も同じく彼國々爭ひ玉ふと聞えしかば、其勢を引わけて、駿河國にや攻入らんと、重次沼津の城を守る、一說に、重次は江尻にあり、沼津をば…
本多 第四上 · 2
大久保 第四中 · 7
- p002…改て大久保と名のる、また三河國前木にすむ、桐山の大久保といふ一流あり、又駿河國にありと云々、○按ずるに此記の記るせる所、宇津宮が後、大久保と名のりし事…
- p003…しこに攻入、岡崎殿今川の加勢乞て戰はんとて、德川殿僅か六歲に成り玉ふを、駿河國に參らせらる、然る所に、田原の戶田心變りして、若君信秀が爲に奪れ玉ひ、幾…
- p003…り弘治元年、德川殿の御家人、今川の催促に隨ひ、此時德川殿御幼稚にて、駿河にわたらせ玉ひしなり、尾張國蟹江の城をせむ、新八郞忠利、甚四郞忠員が嫡…
- p003…信濃に向ひし時、忠世德川殿に申けるは、彼國の住人依田右衛門尉信蕃、去し頃駿河國を去りし時、御使を賜て、御方に召るゝ事、度々に及へども參らず、主の行方、…
- p003…落せし城九つといふ、信蕃本領を賜ひ、佐久郡六萬石なり、其後甲斐駿河の地加へられて、十萬石に至る、○山中忠兵衛が記せし所を見るに、依田が功…
- p010…怒りしやうに見ゆ、上に向ひ參らせし事とは見えず、扨其後ことしの冬、大御所駿河より江戶へならせ玉ひ、程なく江戶をたゝせ玉ひて、相摸國中原の御旅館に入ら…
- p010…小田原に至らせ玉へば、將軍家も同じく彼城に來らせ給ひ、御對面の後、大御所駿河へ趣せ玉ひしに、前の日より、往來の旅人を止むる事、西は三島より、東は大磯…
石川 第四中 · 1
- p002…事本多豐後守が傳と合せ見るへし、淸兼男子二人あり、嫡子右近、德川殿駿河にわたらせ玉ひしうち、安部大藏と共に岡崎の留守たり、是義元朝臣の仰…
鳥居 第四中 · 5
- p001…、今川義元の下知に依て、岡崎の城には、安部大藏石川右近二人を留守として、駿河遠江の軍兵を込置き伊賀守忠吉松平次郞左衞門重吉して、御領の事を奉行させ、…
- p001…彥右衞門元忠は、忠吉が二男なり、德川殿十歲の御時、元忠が十三の年より、駿河國に參らせて、御側に侍らはしむ、御軍始ありし日より、元忠常に御陣に從ひ、一…
- p001…首十九、此年の夏、駿河國持舟の敵を打破り、同十年二月甲斐國に入給ひし時、駿河國を過玉ふに、敵田中の城より出づ、元忠等仰を承て敵を打破り、此年武田四郞亡…
- p010…正月十一日靑山大藏大輔幸成、大相國家の御使として、駿河殿の御館に行向ひ、駿河遠江を賜ひ、本領甲斐を合せて三箇國を領し玉ふべき旨を述べしに、駿河殿悅せ…
- p010…病にふす、あした夕へを期し難しと聞ゆ、大相國家より大納言殿に御暇を賜り、駿河國に入部あるべしと仰らる、殿殊の外に悅び玉ひ、成次が存命たらん內に、此事聞…
內藤 第四中 · 1
- p001…年七月十三日年七十五歲にて卒しぬ、關が原の時、江戶の城を守る、大御所駿河に移らせ玉ふべきに依て、忠政も隨ひ奉るべしと仰下されしかば、まづ彼處に…
植村 第四中 · 1
- p006…、天文廿一年三十三歲にして沓掛城に打死す、其子新六郞生年九歳にて、德川殿駿河國に渡らせ玉ふ御供し、弘治二年の春、御軍始ありし時、おのれもまた軍始して、…
安部 第四中 · 4
- p001…眞が孫、彌一郞信勝が男なり、元眞が父をば刑部大輔信眞とぞ申ける、父祖代々駿河國の住人にて、今川が家に屬す、上總介氏眞の代に及び、外舅の武田が爲に、駿河…
- p001…河國の住人にて、今川が家に屬す、上總介氏眞の代に及び、外舅の武田が爲に、駿河國を犯されて、府の城をば岡部次郞右衞門尉正綱、安倍彌一郞信勝をとゝめ守らせ…
- p001…を差副られ、元眞信勝、田代河內の地に馳向ひ、彼の奴原悉く誅戮す、斯て信玄駿河國を攻取て、要害五箇所を搆て、遠江國をも併せんとす、安倍口津渡野村、藁科…
- p001…參らす、德川殿御感斜ならず、父子に仰て、遠江國伯耆が塚の要害に歸りて、駿河國の境を守らせらる、頓て八向山の要害に押寄て、攻め落し、進て八向山を守る、…
松平(戶田二連木) 第四下 · 2
牧野 第四下 · 2
松平(松井) 第四下 · 7
- p001…ほせて、忽に襲ひ攻めし程に鵜殿たまりかねて、城をば德川殿に參らせ、其身は駿河に歸らんと望む、さらばとて免されたり、忠次、兵を道に伏せて、鵜殿が二人の…
- p004…去し永祿の末、今川氏眞、武田が爲に、駿河國を失ひ、遠江國掛川の城に落來り、また德川殿に破られて、相摸國に落ち玉ふ德…
- p004…殿に破られて、相摸國に落ち玉ふ德川殿昔の好みを思召され、如何にもして再び駿河國へ、返へし入れらるべきよしを仰らる、氏眞ゆかりに就て、北條を賴み、小田原…
- p004…を參らせられし程に、まづ本國に歸る事を得られたり、此のち武田亡ひ、德川殿駿河國を分ち取り玉ひ、氏眞に城を賜ふべしと議せられしを、信長聞き玉ひ、かゝる不…
- p004…玉ひ、氏眞に城を賜ふべしと議せられしを、信長聞き玉ひ、かゝる不覺の人に、駿河の地與へ給はん事、詮なき計ひかな、左程無用の地ならんには、信長が方へ賜る…
- p005…年九月、北條氏政と同しく武田四郞討るべしとて、掛川の城に打出て玉ふ、四郞駿河に向ひしかば、德川殿歸らせ玉ひて、康親後陣を承る、八年望宗の城邊にて、御…
- p005…十年の秋、德川殿甲斐國に發向あり、北條が軍勢襲ひ來る事あるべしとて、伊豆駿河の境なる三枚橋の城を築きて、康親して守らせられ、小笠原安藝守信元、同丹後…
酒井 第五 · 2
土井 第五 · 1
- p003…ふ、十五年の春同國佐倉の地を給、三万二千四百石餘此年八月御使として駿河に參りしに、大御所、御茶入を給て、紹鷗圓座肩衝汝關東に歸りなば、將…
永井 第五 · 1
- p002…義元よりの證文ありと云ふ、是に因て按するに、岡崎殿かくれ玉ひ、德川殿駿河に止められ給ひし時は、御家人等の所領を給ふ事も、御心に任せられず、義元の…
安藤 第五 · 1
- p003…二人まで討て、天下に其名を顯せしに至るまで、度々の高名數を知らず、大御所駿河に御座移されし後、直次本多上野介正純、成瀨隼人正正成と三人、奉書連署の事…
奧平 第六 · 1
- p012…、信昌の傳に見ゆ、但し松平と稱せらる、同十九年十月六日、京都の早馬、駿河に來て、大坂の兵起る由を申す、また美濃國加納の城よりも飛脚到來して、松平…
岡部 第六 · 4
- p001…り正綱に至て、十三代といふ、其間系圖に漏るゝ人多かるべし、世々駿河國に住して、今川の被官たり、上總介氏眞の時に當て、外舅武田信玄の爲に、駿河…
- p001…河國に住して、今川の被官たり、上總介氏眞の時に當て、外舅武田信玄の爲に、駿河國を陷され、永祿十一年の冬、遠江國懸川の城に落來り、また德川殿と戰ひ、此城…
- p001…同治部右衞門、森川小倉に加りて、此事を承る、同き十二月七日、武田入道再ひ駿河に入て國府を攻む、前亡の餘類城中に馳集る、僅かに侍五十餘人には過ぎず、正…
- p001…、甲信兩國程なく靡き隨ひし事、大畧は正綱が功とぞ聞えたる、その賞として、甲駿に於て、所領の地を下し給ふ、七百五十貫の地明れば天正十一年、正綱四…
土屋 第六 · 2
加々爪 第六 · 1
- p001…在て室町殿に仕へ、其子修理亮政定所緣に就て今川刑部大輔範政がために養れ、駿河國に下向し、改め稱して加々爪と名のる、其子右京亮忠定遠江國山名郡新池鄕を領…
北條 第六 · 2
池田 第七上 · 2
堀 第七上 · 1
- p003…に趣き、一封の書を獻て愁訴を陳す、慶長十五年閏二月二日、兩御所直清直寄を駿河に召し、决せらるゝに、舍弟が申す所その理あり、又越後守忠俊、書を獻りて、…
堀 第七上 · 3
嶋津 第八上 · 1
- p003…致書を賜て、其功を賞せらる、明れば十五年八月八日、家久、中山王を具して、駿河に來り、大御所に見參し、夫より關東に趣き、同月廿八日將軍家に參る同十六年…
立花 第八下 · 1
- p005…年の後、慶長八年關東に下り、高田の寶泉寺に寄住し、其後將軍家に召出され、駿河に參りて、御書院番頭になされ、三萬石を賜るべしとありしに、大御所、古き功…
九鬼 第九上 · 1
- p005…た聞かず守隆男子四人あり、嫡子志摩守良隆、慶長十七年七月晦日良隆駿河に參り、初て大御所に見參し、來國次の御刀を賜し事、家忠日記追加に出…
金森 第九上 · 1
- p002…、忠三郞長則是なり、後に及て、又一人の男子あり、法印が死せし後、大御所、駿河國に召れて、始め法印に賜はりし美濃河內等の所領を分ちて、彼が幼息に賜はり、…
小出 第十上 · 1
- p004…はん樣に任すべしと思ひ定たり、去れども此人昔今川義元が由緣を思て、氏眞を駿河國に返し入れん事を計り、故右大臣殿の好を忘れかねて、信雄を助て秀吉と戰ふ、…
織田 第十下 · 1
- p003…殿の所緣に附き大坂に下り住はれけり、同き十九年の秋大御所、片桐市正且元を駿河に召され、仰下さるゝ旨あつて大坂に歸る、片桐が計る所、秀賴の御心に叶はず…
薩摩守殿 第十一 · 2
上總介殿 第十一 · 5
- p005…りしかば、大御所の御氣色よろしからず、此由を聞召し驚き給ひ、十七年の九月駿河に參り給ひ、それより關東に下向まします、ことし十二月廿三日松平大隅守重勝…
- p006…遠江守が子なり關東に召され安西と召决せらる、花井また大御所に召されて駿河に參り、介殿大坂の戰に合はせ給はざる由を御推問ありて、尙尋ねらるべき事あ…
- p006…死し候ふべしと申切て、彼寺を出でざれば、殘る二人を松岡一人召具して、まづ駿河に參る、大御所此由を聞召され、下手人を參らせらるゝ事、延引に及ぶのみにあ…
- p008…世に傳ふるは介殿御勘氣うけ給ひし後、駿河の宿老より既に御不審かうふらせ給ひて、猶も御國にましまさんこと然るべから…
- p008…給ひ、せめては近き境までも參り向つて、よそながら御有樣を傳へ承らばやと、駿河の宿老の許へ仰せ遣はされしかば內々の仰せもやありけん、蒲原の邊りに來り止…
駿河殿 第十一 · 4
- p001…ひ、同き九年七月廿七日權中納言に轉し從三位に昇り給ひ、寛永二年正月十一日駿河遠江を參らせられ、甲斐の國を合て三箇國を領し給ひ、駿河の國府を御座所と定…
- p001…らる、同き三年八月十九日に權大納言從二位にならせ給ひぬ、同き八年の夏の頃駿河の國に趣せ給ふ、これは御入部あるべき由を仰せ下さるゝといへども、內々は此殿の…
- p001…り、動きなく世知召されて人の心定る、十月廿三日永井信濃守尙政、御使を承て駿河國に趣き、靑山大藏少輔幸成は甲斐國に趣く、其餘大名御家人等二十餘人、駿河遠…
- p001…駿河國に趣き、靑山大藏少輔幸成は甲斐國に趣く、其餘大名御家人等二十餘人、駿河遠江甲斐の國々に向ふ、如何なる事ぞといふ事を知らず、人皆不審しあへり、十…
平岩 第十一 · 1
- p003…長十七年正月四日の記に、去る元日に親吉名護屋第二の城に卒す、今日そのよし駿河に至て告げ來る、大御所此よし聞召され、親吉が病重らんには、など犬山に歸り…
本多 第十一 · 3
高力 第十一 · 1
- p001…兵庫頭重實が時に至て、同國宇利庄に移り、其子兵庫入道蓮貴、名は實長駿河國今川が家に屬し、其孫備中守重長、高力の地に移りしより、高力とは名乘てけり…
天野 第十一 · 8
- p003…下中嶋等の城を落さるべしと議定して、石川安藝守天野甚右衞門尉、御使を承り駿河國に趣き、葛山播磨守岡部次郞右衞門尉に就きて此由を申す、今川殿聞召し信孝等…
- p003…代殿と申て、御年六歲に成らせ給ふに、宗徒の御家人等が子息等を差添へられ、駿河國へ參らせらる、御供の輩都合五十餘人を具せられ、天文十六年八月二日に岡崎の…
- p003…、彈正少弼心變りして備後守の許に使たてゝ抑も今川治部大輔、岡崎に加勢して駿河遠江參河の軍勢を催して、尾張の國に攻め入らんとす、廣忠が質として嫡男僅か…
- p003…勢を催して、尾張の國に攻め入らんとす、廣忠が質として嫡男僅か六歲なるを、駿河國に納れんとて我城の邊を打過ぐべしと聞ゆ若し彼男を奪ひ取て尾張國に留められ…
- p003…岡崎にての仰せ承らずと申す、少弼聞て人々かねて知り給ひぬらん、こゝより、駿河に至らんには、陸に大河いくつも流れて、然も此程ふりつゞきたる雨に、水かさ…
- p003…が謀にて安祥の城を攻め、信秀が三男三郞五郞信廣を虜にして德川殿と取替て、駿河國に迎へ參らせしに、康景又御供しぬ、甚右衞門尉は岡崎に留つて守る弘治二年二…
- p003…の國府に歸らせ給ひしに、康景猶御供に侍ふ、甚右衞門尉は石川本多と打連れて駿河國に至り、德川殿御歸國の事を義元に訴ふ、石川日向守本多豊後守が傳…
- p004…を下手人として參らすべきこと思ひもよらずと返答す、今年二月大御所關東より駿河に歸らせ給ふ時、かの疵蒙れる民、三嶋の邊に出向つて、某はしたなく康景が足…
菅沼 第十一 · 1
- p003…田の城を襲ふ、定盈無勢に多勢叶ひ難く、一方打破て岡崎の城に參る、氏眞頓て駿河の國人等して城を守らす、定盈程なく攻落して還り住む、同き八年當國の住人、…
北條 第十一 · 1
- p001…門大夫平氏勝は、故左衞門大夫綱成が孫なり、綱成元は福島と名乘つて父祖累代駿河國今川宗徒の被官、遠江の國高天神の城にあり、綱成が父福島上總介正成、甲斐の…
福嶋 第十二上 · 2
最上 第十二上 · 1
- p004…と近づきぬと思ひければ、最期の御暇乞ひ申さんとて、九月の初に俄に國を立て駿河に參りぬ、大御所其志の切なるを感し給ひ、輿に乘りながら門に入る事を免され…
中村 第十二上 · 1
- p003…時、山中の城の先登し忽に城を攻め落し、關白の御感かうむり、勳功の賞として駿河國を賜り、我身は國府の城に在て舍弟彥右衞門尉一榮して、沼津の城を守らしむ、…
稻葉 第十二下 · 1
- p003…しかりしかば其所緣に就きて加賀の國に行き、利長中納言を賴み居けり、大御所駿河に移らせ給ふべしとて、國府の城築かれし時、牧村も彼處に行き加賀の人夫の中…
石川 第十二下 · 1
- p003…しけれ、よし〱數正罷り向つて、冥途の御道しるべ仕らんずる者をとて、只一人駿河の國に趣く、かゝる所に今川宗徒の大將鵜殿が長助と云二人の子、生捕れて氏…
成田 第十二下 · 1
- p003…に相違して、軍を出さるゝにも及ばず、其後同き十二年氏長北條の催促に隨ひ、駿河の國に向ひし時、父子中直りし入道城中に入て跡の事を計らふ、天正十八年の春豐臣…
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