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紀伊

第一 · 段落 2 · 780520 15コマ Lから

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人物 11 4 2 2 2 1 1 1 1 1 1 1

地名 1 1 1 1 1 1 1 1

大納言源賴宣卿は初は賴將大御所第十の御子、御童名は長福丸、御年二歲にして、慶長八年十一月七日、常陸國水戶の城を參らせらる、初二十万石、慶長九年に五万石の地を加られて、二十五万石同十一年八月十一日御元服、德川常陸介殿と申、從四位下に叙し、十四年十二月十二日、駿河遠江兩國を賜ひ、五十万石、後には遠江宰相殿と申しゝ由なり、大坂の兵起りし時、白旗、幷大中黑の幕賜り、大御所に從て向ひ玉ひ、再ひ兵起りしに、五月七日先陣旣に軍はじまると聞たまひ、もみにもんて、馳せ來らせ給へども、軍事終りしかば、大御所の御陣に參りたまひ、賴將先陣を給らざりし故に、今日の戰ひに合はず、返す〱も口惜く候とて、御泪を流し給ひしかば、松平右衞門大夫正綱、殿はいまだ御年も若くわたり給へば、かゝる事には、幾度もあはせ給ひなんず、さのみな御恨み申させ玉ひそと申しゝに、此殿、以の外に御氣色損し、やあ正綱、賴將が十四歲に逢ふ事、再ひや有べきと仰けるに、大御所世にうれしげにて、今日賴將が如何なる軍したらんより、只今の一言こそ、高名なれと仰あれば、水野日向守勝成、細川越中守忠興を始として、御前伺候の大名小名、御内外樣の人々、是を聞て、虎の子は地に落れば、牛を食ふ氣ありといふ本文あり、あなおそろしの御心やと、みな舌をぞふるひける、元和五年、紀伊國を賜ひ、和歌山の城に移り玉ふ、伊勢國を添へて、五十五万五千石といふ、宰相中將從三位を歷て、中納言に任し、從二位大納言に至り、寛文七年五月廿二日に國ゆづり玉ひ、同十一年正月十日、かくれさせ給ふ、御年七十歲、御子五人、長は中納言光貞卿、次は左京大夫賴純、其次は松平左兵衞督藤原信平の北の方、其次は松平相摸守源光仲の室、末は男子にて早世し給ひぬ、修理殿と申す、四才にて早世なり、光貞卿の御嫡子は、右中將綱敎朝臣と申奉る