中納言源賴房卿は大御所第十一の御子、御童名鶴千代丸、慶長十一年九月廿三日、御年四歲にて常陸國下妻の地參らせらる、十万石同十四年十二月廿二日同國水戶の城賜ひ、廿五万石の地に三万石の地加へられて、廿八石十六年三月御元服有て、德川左衞門督殿と申、正四位下の少將に任し、參議を歷て、正三位中納言に至り、寛文元年七月廿九日薨し玉ふ、五十九歲、御子光圀卿、四位の中將より、從三位になり、家を繼て、後參議に任す、庶兄讃岐守賴重朝臣の嫡子綱方やしなうて嗣とし、みづからの男をば、賴重朝臣の嗣とし玉ふ、是は兄なれど賴重の家つぎ給はぬを、本意なく思ひ給ひし故とぞ聞えける、綱方四位少將兼左衞門督に任し、寛文十年正月廿二日廿三歲にて、世を早うし給へば、又賴重朝臣の二男を養て嗣とせらる、四位少將に任し、綱條と申まゐらす、