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稻垣

第五 · 段落 1 · 780522 37コマ Lから

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この家によく出る人物・地名

人物 8 2 2 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1

地名 2 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1

平右衞門尉源長茂は、伊勢國の住人、稻垣三郞重恭が後胤なり、中比の先祖、文明年中三河國に移りて、牛窪に住す、長茂が祖父藤助重賢、父は平右衞門尉重宗とぞ申ける、長茂父祖より牧野が家に仕へ、長茂が身に及て、右馬允康成を輔て、家の事を司る、天正十年の秋、德川殿武田が國々打從へんとて、御勢を向られし初め、長茂仰を承て、足高山の麓、天神川の要害を守らせらる、後に渡邊半藏加る、同き十一年駿河國中久保の古城を修し、長茂して守らせらるゝ事、十二年の十月に至て、彼が主人康成に給ふ、十八年の秋、關東へ移らせ玉ひし時、初て御家人になされて、下野の國にして所領の地を給ふ、三千石關が原の戰に、海道の御供して攻のぼる、遊軍なり明れば慶長六年上野國伊勢崎の地を賜る、一万石今年十一月十二日、大御所伏見を御首途あつて、關東に下らせ玉ふ時、長茂等此所の城番を仰せ下さる、長茂年七十四歲同き慶長十七年に卒す、嫡男攝津守重種父につぐ、大坂前後の戰に、將軍家の先陣して、首十九切て奉る、明れば元和二年、所領加られ、越後國に移る、二万石同六年同國三條の城を賜て移る、二万二千石を領す同き八年大坂の城番と成て、彼處を守り、正保四年、阿部備中守正次卒して後、權に此城鎭守の事を仰せ下さる、權の御城代といふ、慶安二年の冬、御免しを蒙り、同き四年三河國刈屋の城に移り、二万三千石承應三年正月八日七十二歲にして卒す、嫡子藤助重昌世を早うす、嫡孫信濃守重祥を世嗣とし、二万石二男平三郞重門に所領を分つ、三千石