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三河刈谷城
本文表記 刈屋の城・三河國刈屋城・刈屋城・三州刈屋の城・三州苅屋・刈屋の御舘・刈屋・三河國刈屋の城
松平(深溝) 第二 · 1
- p001…なり、主殿頭忠利寛永九年五月五日に卒し、其子主殿頭忠房繼き此年七月十一日刈屋の城に移り、三万石慶安二年二月廿八日、丹波國福智山の城に移り、四万五…
水野 第三 · 7
- p001…寳憧賢勝といふ長子下野守某戒名一初全妙といひしなり、忠政の時に至り、三河國刈屋城を合せ、我身、刈屋城に在て、嫡子下野守信元して、小河の城を守らす、天文十…
- p001…某戒名一初全妙といひしなり、忠政の時に至り、三河國刈屋城を合せ、我身、刈屋城に在て、嫡子下野守信元して、小河の城を守らす、天文十年忠政の娘を岡崎殿へ…
- p001…正三年の冬、信元うたれ玉ひし後、同き八年九月廿三日、累代の地なればとて、刈屋の城を織田殿より忠重に賜りしなり、是れ併しながら德川殿の御外舅たるが故に、か…
- p001…所、かゝる高名度々に及ひしかど、此人天性腹あしき人にて、父の不興蒙りて、刈屋の城を出て、都に上り、六左衞門と名のる、…
- p005…其跡にて、和泉守殿の事ありしかば、勝成を小山の御陣にめし、急き馳上つて、刈屋の城守るべしとありしに、勝成仰畏りて承りぬ、さりながら父の不興蒙りし身なり、…
- p005…曾根の古城を守りて、嶋津兵庫入道と戰ひ、大柿の城を攻めて、攻くたす、此後刈屋城を領し、三万石なり、一万石を加られしと見ゆ、慶長十五年、從五…
- p006…例既に事急なるに、忠清を召され、彼が父祖の事ども仰出されて、累代の舊領、三河國刈屋城をぞ、賜うたりける、二萬石寛永九年七月十一日、同國吉田城に移る、…
松平(久松) 第三 · 2
本多 第四上 · 1
- p003…信元は尾州小河三州苅屋二つの城を領して、東三河の國人と相戰ふ、初め石が瀨の戰ひに、御方の先陣戶…
酒井 第五 · 4
- p001…にあらずとて、同き十三年八月、北の方いたはらせ給ふこと、ありしかど、忽に刈屋の城に送り返させ給ひけり、政親心に思ひけるは、若君姫君、渡らせ玉ふ御事なり、…
- p001…迎へ入れ、御名殘をしませ參らせ、御心地たいらがせ玉ひし後、士餘多つけて、刈屋の城にぞ送り奉る、かくて城のほとり十八町といふ所に至らせ玉ひし時、若君より御…
- p001…ましまそ御方は、下野守殿の御妹君にて、渡らせ玉ふぞ、汝等、御輿よく仕て、刈屋の御舘へ、入れ參らせよと、云ひふくめて立歸る餘りに御行方の覺束なさに、行きもや…
- p001…とも見えず、されば信長が軍勢、丹下、鳴海、沓掛、廣瀨、擧母、梅坪、大高、刈屋、岡、寺部、長澤、鳥屋が根等の城々を守て、兵を失ひ、粮を費す事、謀少きに…
稻垣 第五 · 1
- p001…仰せ下さる、權の御城代といふ、慶安二年の冬、御免しを蒙り、同き四年三河國刈屋の城に移り、二万三千石承應三年正月八日七十二歲にして卒す、嫡子藤助重昌…
堀尾 第十二上 · 1
- p008…越前に趣くと云七月十九日の夕、參河國池鯉鮒の宿に着く、水野和泉守忠重、刈屋の城より此所に出向て旅の儲けす、加賀井彌八郞秀望來り合ひ、酒終つてのち秀望忽…
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