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家一覧 › 第十二下 › f186

本多

第十二下 · 段落 1 · 780526 61コマ Lから

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この家によく出る人物・地名

人物 4 3 3 2 1 1 1 1

地名 3 2 1 1 1 1 1 1

因幡守源俊政は太郞左衞門尉某が男也、太郞左衞門尉も後は因幡守に任す名は政武と言ひしとなり其系譜を見ねば覺束なし初め太郞左衞門尉、大和大納言家の老として、是れ秀吉の御弟秀長卿の事なり大和國高取の城を領す、二万五千石のよし大和記に出づ城主譜等に三万石とあるは非なり文祿四年中納言秀俊秀長の男失せ給ひし後、太閤の御家人と成てけり、慶長五年の夏因幡守俊政、德川殿に從て奧に向ふ、同き七月大坂の軍起ると聞え、東國の御方として海道の先陣打て戰ふ、大坂の奉行等高取の城を取らんとす、本多が跡に留め置きし家子郞從等、城中に立籠つて敢て渡さず、程なく上方の軍敗れしかば、遂に城をば落されず、其子左京俊長父に繼き、大坂前後の戰に大和路より馳せ向ひ、元和元年五月六日道明寺に戰ひ、明れば七日の戰に首四十三切つて獻る、其後叙爵して因幡守になされ、寛永の末に至て卒す、世嗣なければ家絕えたり寛永十七八年の頃ほひに卒したりといふ年月いまだ詳ならず此人板倉周防守重宗が婿たりしに息男なくて家絕えぬ