右兵衞佐源吉綱は近江國の源氏、佐々木源三義秀が末孫なり、四郞高綱が後といふ吉綱が父加兵衞尉之綱は、遠江の國頭陀寺の城に住す、豐臣太閤初めはこの之綱が家の奴にてぞまし〱ける、其後天下の事知召されしに至て之綱既に死す、子息吉綱を召出されて御相伴衆になされ、一万石を賜はりて頭陀寺を領すと云慶長五年の夏東西の軍一時に起る、吉綱東國の御方として、海道の先陣にて美濃の國に戰て勸賞を蒙る、駿河國久野の城1賜て一万六千石を領按ずるに創業記に慶長十一年の春、榊原式部少輔康政が兄七郞右衞門尉淸政を御家人になされて、駿河の國久野の城に在らしむと云々、淸政の系譜には十二年二月大御所の仰せ蒙つて久野の城にありと云々、此年大御所駿河の國府を御座所となされて經營の事あり、然れば當國の人々此年悉く外に移されしなるべし、この後吉綱いづれの地を賜ひしにや詳かに知れず、又卒せし年月いまだ知らず、
- 駿河國久野の城 — 底本のまま。久野城は遠江国周智郡にある。同じ段落按文の「駿河の國久野の城」も同じ