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加藤嘉明
本文表記 嘉明・加藤左馬助嘉明・加藤・左馬助藤原嘉明・孫六・左馬助嘉明・加藤嘉明
加藤 第七下 · 40
- p001…左馬助藤原嘉明は、三河の國の住人、三之亟某が男也、ある書に三之亟廣明と記す、系圖に…
- p001…男也、ある書に三之亟廣明と記す、系圖に見えねば其名覺束なし、嘉明が父、初め德川殿譜第の御家人たり、一向專修の門徒等が背き參らせし時、これ…
- p001…にて、永祿七年三河の國を去て尾張の國に至り、其後遂に羽柴殿に仕へてけり、嘉明襁褓の中に本國を去り、成人の後、これも秀吉に仕ふ、生年廿一歲、近江國柳が…
- p001…、生年廿一歲、近江國柳が瀨の合戰に先懸し、高名七人の其一人なり、時に孫六、秀吉の御感、斜ならず、此年天正十一年七月朔日、勳賞を賜ふ、五千石を…
- p001…任ず、今年の秋、伊豫の國正木の城を給る、六万二千九百石十四年の秋、嘉明長曾我部土佐守元親仙石權兵衛尉秀久脇坂中務少輔安治等と…
- p001…、長曾我部仙石等を先として大友が軍勢、負軍し、長曾我部が嫡男信親打死す、嘉明脇坂二人、家久と戰つて退かず、關白の御感大かたならず、明れば十五年の春、…
- p001…、關白の御感大かたならず、明れば十五年の春、關白自ら嶋津を伐ち給ひし時、嘉明脇坂九鬼大隅守嘉隆等と兵船を泛め、薩摩の國に攻め入て隍河の城を下し…
- p001…、脇坂が兵船、全羅水軍節度使李舜臣と、巨濟の洋中に戰て、利あらずと聞き、嘉明九鬼と共に、これを助けて戰ふ、明れば二年の春、脇坂九鬼と、熊川に在て李舜…
- p001…の春、脇坂九鬼と、熊川に在て李舜臣元均等と戰ひ、二月廿一日、又大に戰ふ、嘉明進み戰て、自ら敵船を奪ひ取る、此年、嘉明本朝に歸り、慶長二年、大明の和親…
- p001…と戰ひ、二月廿一日、又大に戰ふ、嘉明進み戰て、自ら敵船を奪ひ取る、此年、嘉明本朝に歸り、慶長二年、大明の和親破れて後、嘉明また藤堂佐渡安高虎脇…
- p001…自ら敵船を奪ひ取る、此年、嘉明本朝に歸り、慶長二年、大明の和親破れて後、嘉明また藤堂佐渡安高虎脇坂九鬼等と、朝鮮に押渡る、かの統制使元均が兵船…
- p001…均が兵船、海の面に夥しう漕き浮む、藤堂人々と評定して戰んとす、七月十五日嘉明藤堂先懸して、巨濟泰川嶋に戰ひ、散々に打破る、船とも餘多乘取て、太閤の御…
- p001…求禮に至る、こゝに留る事六日、同き十日に求禮を立つて、南原に向ふといふ、嘉明も同しく彼處に向ひ、城を攻め落して、首五十一を切れり、然れば朝鮮の書の傳…
- p002…同き八月十五日、海陸の味方、一手になつて、南原の城を攻落す、嘉明が手に、首五十一を切取る、此年十二月の末、大明の經理楊鎬、提督麻貴、多勢…
- p002…人々、後卷せし故に、かたき悉くに敗れ、城中の人々、辛き命生きてけり、此日嘉明が手に打取る首、一千五百三十五とぞしるされたる、此事も大明の書には、正…
- p002…づ此由を記るして、殿下にまゐらせ、御裁斷を仰くべしとて、人々みな連署す、嘉明一人、署を加へず、毛利壹岐守勝信を始て、人々色々に勸めしかども、嘉明更に…
- p002…す、嘉明一人、署を加へず、毛利壹岐守勝信を始て、人々色々に勸めしかども、嘉明更に承引せず、やゝあつて申けるは、人々の連署して參らせ給はんに、嘉明一人…
- p002…も、嘉明更に承引せず、やゝあつて申けるは、人々の連署して參らせ給はんに、嘉明一人が名を署せざらんに何か苦しかるべき、そも〱此度味方、蔚山の城を落され…
- p002…してや一たび敵の地に深く入て、構へたりし要害を、自ら棄てゝ引き退かん事、嘉明が心にあらず、嘉明たとへ人々の議に同ぜざるに依て、罪蒙つて首刎らるとも、…
- p002…に深く入て、構へたりし要害を、自ら棄てゝ引き退かん事、嘉明が心にあらず、嘉明たとへ人々の議に同ぜざるに依て、罪蒙つて首刎らるとも、悔いる所にあらずと…
- p002…を御覽じて、かの使者を召して、一々に尋ね究められ、以ての外に御氣色損じ、嘉明が申す所を、深く感じ仰せられ、御敎書をなされ、年來の武勇を賞せられ、餘多…
- p002…んとして、伏見大坂の間、物さわがしく、德川殿の御舘に來り守る人少からず、嘉明固より德川殿は、おのが累代の父祖の、主君にてましませば、二心なき御方にて…
- p002…つとも騒がず、德川殿に參て、何となく世の中もの騷しく候なり、さりながら、嘉明は何事かあるべきと思ひ定め、今までは侍五十騎を留め置きて候を、今朝廿騎を…
- p002…豫の國へ返し侍りぬ、もしも召されば、參らせんと、殘る所は留めて候と申す、嘉明が申せし如く、程なく無事にぞ屬しける、明れば慶長五年の秋、東西の軍一時に…
- p002…し如く、程なく無事にぞ屬しける、明れば慶長五年の秋、東西の軍一時に起る、嘉明初めより德川殿に從つて、東國に向ふ、御方の人々と同じく引返して上方に向ふ…
- p002…ふ、村越聞て、其事をば如何にも承らずと答ふ、人々大に怪み思ふ氣色なるに、嘉明此由を聞て、これに來れる人々の家、悉く大坂に在り、東西手合の軍なからんに…
- p002…はせ給ふにも及ぶべからず、たゞ一攻に攻め破れやとて、つめの城に攻め上る、嘉明窃かに井伊本多と計らうて、守殿を迎へ參らせ、我身先陣に進み、兎角ためらふ…
- p002…めらふ程に、程なく守殿馳せ付かせ給ひてこそ、城をば遂に降しけれ、兩御所、嘉明が人々を催して、岐阜城を攻め、又守殿を待て城を落せし事を、深く悅せ給ひし…
- p002…の城を構へて移る、十万石を給り、本領合て二十万石を領すとなり、其後嘉明常に關東に伺候す、同き十八年十一月十八日、將軍家その家に入らせ給ひ、物多…
- p002…御陣に從ひ、明成又軍勢を率ゐて馳せ向ふ、首百九切つて獻る、此年元和元年、嘉明從四位下に叙す、同八年九月十五日、若君御鎧着初の儀あり、嘉明將軍家の仰を…
- p002…年元和元年、嘉明從四位下に叙す、同八年九月十五日、若君御鎧着初の儀あり、嘉明將軍家の仰を承て、御介錯に參る、希代の面目とぞ聞えける、此時大相國家、か…
- p002…家の仰を承て、御介錯に參る、希代の面目とぞ聞えける、此時大相國家、かねて嘉明を召されて、大納言家に御鎧を召させまゐらすべしとありしに頻りに辭し申す、…
- p002…て、よく思ひ計りて後、御答をば申すべきにて候とて、御前を罷り立つ、やかて嘉明が子々孫々に至るまで、長く二心を存ずましき由の起請文を書きて奉り、此上は…
- p003…城を賜ひ、三万石聟の松下石見守重綱、二本松の城を賜て、五万石嘉明に屬せらる、嘉明四十万石の外、二万石を預けられ、明利重綱か所領…
- p003…石聟の松下石見守重綱、二本松の城を賜て、五万石嘉明に屬せらる、嘉明四十万石の外、二万石を預けられ、明利重綱か所領合せて五十万石なり…
- p003…を預けられ、明利重綱か所領合せて五十万石なり同き八年九月十二日、嘉明六十九歲にして卒す、式部少輔明成、家を繼く、寬永十一年七月十六日、從四位…
- p004…く國務に堪へず、かるが故に所領の地、悉く奉る由を申して、遁世せしなり、嘉明が三男は監物明信といひて、兄の明成が家の老にてありしが、家亡びし…
- p005…同き六月將軍家嘉明が家絕えなん事を憐ませ給ひ、明成が男明友を召し出されて、石見の國安濃の郡…
- p007…民部少輔藤原明利は、左馬助嘉明が二男なり、寛永四年二月十日、父嘉明、奧州會津の地を給ひし時、明利同國三…
- p007…民部少輔藤原明利は、左馬助嘉明が二男なり、寛永四年二月十日、父嘉明、奧州會津の地を給ひし時、明利同國三春の城を賜ひ、三万石明る五年、…
桑山 第九上 · 1
- p002…一万六千石とも云修理亮一晴、祖父が所領を讓られて後、朝鮮の軍に隨ひ、加藤藤堂等と、彼國の番船を取て、疵を蒙る、慶長二年、紀伊國一揆、田邊城を攻め…
脇坂 第十上 · 9
- p001…、三万石十四年の秋、長曾我部、土佐守元親仙石權兵衞秀久加藤左馬助嘉明等と、豐後國に押渡り、大友が兵と共に嶋津が勢と戰ふ、味方散々に討ちなさ…
- p001…渡り、大友が兵と共に嶋津が勢と戰ふ、味方散々に討ちなされて引き退く、安治嘉明二人止つて戰ふこと止まず、關白の御感をぞ蒙りける、十五年の春、關白自ら島…
- p001…まず、關白の御感をぞ蒙りける、十五年の春、關白自ら島津を伐ち給ふに、安治嘉明九鬼大隅守嘉隆と共に兵船を泛め、薩摩の國に向ひ隍河の城を降し、千代川に舟…
- p001…し時、安治四國の人々と東海を押渡て、伊豆國下田の城を攻め、關白の召に隨ひ嘉明嘉隆等と、同じく小田原に馳せ來て城を攻む、下田の城降りぬと聞えへしかば、…
- p001…と聞えへしかば、安治行き向て城を受け取たり、文祿元年朝鮮の軍起る、安治又嘉明嘉隆等と、海路の先陣を承て押渡り、王城に攻め入る、釜山より王城に向ひて、…
- p001…二百餘人と記したり、斯る所に朝鮮の水軍、夥しう巨濟を差して押向ふと聞て、嘉明嘉隆と共に夜を日に繼て馳せ歸り、熊川に至る、安治急き兵船に取乘り、眞先に…
- p001…頓て御敎書をなされ、安治が功を感ぜらる、此年安治は安骨浦の城に留て守り、嘉明嘉隆本朝に召歸さる、三年の春嘉隆來て安治に代て彼城を守る、四年の春安治又…
- p001…、本朝に歸りぬ、同き二年大明の和親破れて、四月安治等又朝鮮に押渡り、藤堂加藤九鬼の人々と熊川に入て船揃へし、七月七日の夜、巨濟に押渡て、彼國の統制使…
- p001…元均等が軍を討破る、安治が手に乘取る所の敵船十六艘、此船軍の事、委しく加藤嘉明が傳に見ゆ今爰には安治が碑文に隨て記しぬ殿下御敎書をなされ、其功を賞…
薩摩守殿 第十一 · 2
金吾 第十二上 · 1
- p003…大坂に着き、明れば五日伏見の城に參らる、秀秋に隨ふ所の七人の軍奉行、幷に加藤左馬助嘉明同じく參る、伏見に在合ふ大名悉く參り集ひ、秀秋の凱陣を賀し申さる、太閤や…
福嶋 第十二上 · 3
松下 第十二下 · 4
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