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榊原康政
本文表記 康政・榊原・榊原式部少輔康政・榊原小平太康政・榊原康政・式部少輔・榊原小平太・式部少輔源康政・小平太康政・式部少輔康政・榊原式部大輔康政・式部大輔康政・榊原式部大輔
酒井 第四上 · 1
- p008…二日清洲の城に入玉ひ、同廿二日蟹江の城を攻めらる、忠次大手を攻やぶれば、榊原入替て、終に城をぞおとしける、去程に秀吉多くの軍勢を從へ、此處彼處打出て…
本多 第四上 · 4
- p006…の人々をば止められ、酒井左衞門尉忠次、石川伯耆守康昌、一說に數正、榊原小平太康政、後に式部少輔井伊万千代、後に兵部少輔直政、大久保新十郎、…
- p006…井左衞門尉忠次、石川伯耆守康昌、一說に數正、榊原小平太康政、後に式部少輔井伊万千代、後に兵部少輔直政、大久保新十郎、後に相摸守忠隣、…
- p007…川伯耆守、高力權左衛門、本多藤四郎、石川長門守、高木筑後守、本多平八郎、榊原小平太、大久保新十郎、菅沼藤藏、久野新平、本多百助、阿部善九郎、牧野平左衛門、…
- p010…らん、とく返させ玉ふべしとぞ怒りける、同年德川殿關東へ御移あり、井伊本多榊原大久保などは、よのつねの御家人に准ずべからずと、關白の仰ありければ、上總…
本多 第四上 · 1
- p003…なり、康重、山中忠兵衞が記には此時康重の事を越前守とのせたり、榊原大須賀の人々と、先陣を承り秀次の多勢を打破り、逃行く敵を追詰て、岩崎に至…
本多 第四上 · 1
- p003…勝賴うしろ卷せんとて、軍勢二手に引わけて、三河遠江に打ち出る、重次此時は榊原大須賀と、濱松の城に留りしが、重次我等が留守の料に、いざ、間近き武田刑部…
榊原 第四上 · 51
- p001…式部少輔源康政は、伊勢の仁木が流れなり、右京大夫義長の後胤、一志郡榊原の住人、七郞右衞…
- p001…死す、其男子二人、兄は孫十郞淸政、後にこれも七郞右衞門といふ、弟は小平太康政とぞ申たりける、康政生年十六歲、上野の城の戰に高名をあらはす、永祿六年…
- p001…郞淸政、後にこれも七郞右衞門といふ、弟は小平太康政とぞ申たりける、康政生年十六歲、上野の城の戰に高名をあらはす、永祿六年の事あり、其後德…
- p001…年の事あり、其後德川殿の御身近く仕へまゐらせ、成人の後、御諱字給て、康政とめされ、一方の大將を承る、永祿十一年七月、堀川の城を攻めらる、三河國…
- p001…方の大將を承る、永祿十一年七月、堀川の城を攻めらる、三河國にあり、康政先陣を承り、時に廿一歲なり、康政一番に城を攻め破りしより、遠江の國…
- p001…城を攻めらる、三河國にあり、康政先陣を承り、時に廿一歲なり、康政一番に城を攻め破りしより、遠江の國掛塚、天方永祿十二年の事、等を始…
- p001…の事等を始として、或ひは城を攻め、或ひは野に戰ふ事、數を知らず、凡そ康政が向ふ所、打破らずといふ事なし、中にも、元龜三年十二月廿二日三方が原の合…
- p001…元龜三年十二月廿二日三方が原の合戰、武田信玄入道が先陣、山家三方の輩をば康政が手にて打破り、御方既に負軍して引かへすに、康政一勢退かず、小高き所に旗…
- p001…が先陣、山家三方の輩をば康政が手にて打破り、御方既に負軍して引かへすに、康政一勢退かず、小高き所に旗打立て、手の軍兵を集めつゝ、城東郡のかた西郡へ靜…
- p001…後の典厩といひ、信綱をは逍遙軒といふ、宗徒の侍大將餘多差向く、康政此時は御跡に留りしが、大須賀、五郞左衞門康高なり、本多、作左衞門…
- p002…上杉謙信が康政に贈られし書、德川殿と同しく兵を擧て、信濃甲斐の國に入て、武田四郞を討つ…
- p003…同き十年武田亡び、織田殿うせ玉ひ、德川殿甲斐國に入て、北條と戰ひし時、康政大須賀と共に、敵を破る、十二年秀吉信雄の戰ひに德川殿小牧に御陣をすゑられ…
- p003…と共に、敵を破る、十二年秀吉信雄の戰ひに德川殿小牧に御陣をすゑられしは、康政が勸め參らせし所なり、長湫の戰に先陣し、上方の多勢を打散らし、蟹江の城を…
- p003…卿に中直り、德川殿に好みを結び、終に御妹を濱松へまゐらせらるべき事定り、康政都へ參るべしと、望み給ひしかば、都に登り、かねて富田左近將監が家を、康政…
- p003…康政都へ參るべしと、望み給ひしかば、都に登り、かねて富田左近將監が家を、康政が旅舘に點ぜらる、康政都に入し日、關白殿彼家に、成らせ玉ひ、康政が手を取…
- p003…み給ひしかば、都に登り、かねて富田左近將監が家を、康政が旅舘に點ぜらる、康政都に入し日、關白殿彼家に、成らせ玉ひ、康政が手を取て、今日の對面こそ珍し…
- p003…が家を、康政が旅舘に點ぜらる、康政都に入し日、關白殿彼家に、成らせ玉ひ、康政が手を取て、今日の對面こそ珍しけれ、むかし小牧の陣にして、康政みかたの輩…
- p003…らせ玉ひ、康政が手を取て、今日の對面こそ珍しけれ、むかし小牧の陣にして、康政みかたの輩に牒狀し、大恩忘れて主君の子うしなはんとする、惡逆無道の秀吉に…
- p003…惡逆無道の秀吉に組する事やある、と云ひしには、秀吉怒りに堪へずして、その康政生ながら參らせたらんものには、勳賞は乞ふによるべしと、天下にふる、今かく…
- p003…は、勳賞は乞ふによるべしと、天下にふる、今かく德川殿と親しくなつたれば、康政等が如き家人、數多さふらふ事、秀吉が悅びとは成たるなり、明日の見參、なほ…
- p003…たるなり、明日の見參、なほ待遠に思へば、忍びて參りたるは如何にと仰らる、康政殿下へ參りし時、御もてなし、言葉にも述べられず、御嫁娶の式、仰合され、引…
- p003…の式、仰合され、引出物多く給りてかへさる、程なう御妹を下し玉ひしに、まづ康政が家へ御輿を寄せられ、引つくろはせ給ひて參り給ふ、今年十月德川殿の供奉し…
- p003…氏直のたもふ旨あつて、北條美濃守氏規を都にのぼせられしに、德川殿よりも、康政を副らる、北條の望にまかせ、眞田安房守昌幸、關白殿の仰奉りて、上野國沼田…
- p003…田安房守昌幸、關白殿の仰奉りて、上野國沼田の城を北條へ下げわたしゝ時も、康政關白の御使に副て、眞田が許に行向ふ、然れども、北條終に上洛なかりしかば、…
- p003…氏直をば助けらる、此御使にも副られたり、此年德川殿東國へ移り玉ひしとき、康政に上野國舘林の城を賜、十万石、關白殿仰らるゝ旨ありしゆゑとぞ聞えし…
- p003…りしゆゑとぞ聞えし、同き年十月陸奧に逆徒起り、德川殿御退治あるべきにて、康政先陣承り、既に打立せ玉ふに、事平ぎぬと告け申候へば、十九年正月十一日、岩…
- p003…ぬと告け申候へば、十九年正月十一日、岩手澤より引返さる、文祿元年二月二日康政、中納言殿に仕へ奉るべきよしを仰下さる、慶長三年の秋太閤薨し給ひ、明れば…
- p003…とす、此由既に披露して、德川殿に馳せ參て、御舘を守護せし大名も少からず、康政このほど東國より登るとて、道にてかくと聞き、夜を日に繼きて馳する程に、近…
- p003…せ上りて、雲霞の如く陣を取ると、大坂に聞えしかば、たやすう寄せも來らず、康政勢多に留る事三日、同月廿八日の夕暮に、關を開て、此間諸國より來り集つたる…
- p003…上り玉ひしなどいふほどに、大坂の人々いよ〱心おくれして終に和ぎけり、此夕康政大童なるはゝにて馳せ參りしかば、德川殿大に悅ばせ玉ひ、みづから打蚫とつて…
- p003…せ玉ひ、みづから打蚫とつて給ひけり、同き五年の秋、奧の景勝御追討のとき、康政中納言殿の先陣を打て下る、かゝる所に上方にも軍起りぬと聞えてければ、まづ…
- p003…ぼらせ玉ふ、正信が計らひにて、直路は敵に近しとて、避られし故とぞ申ける、康政は眞田が軍せんやう、如何ほどの事かあらん、打出なば蹴散らして、その城を蹈…
- p003…、御家人等驚きあへり、まして山道の御供にさふらひし輩、大に恐れをのゝく、康政夜に入て、德川殿の御前に參り申すやう、こたび中納言殿、御不審蒙らせ給ふ事…
- p003…に入て、德川殿の御前に參り申すやう、こたび中納言殿、御不審蒙らせ給ふ事、康政等が罪科、最も輕かるべからず、たゞし風聞の及ふ所、中納言殿、上田の城を攻…
- p003…日首途すと告け、山道の勢も急き馳上りて、軍の手合せせよといひつれと宣ふ、康政さん候、其御使今月七日、小諸の御陣へ來り畢んぬ、夫故にこそ、中納言殿も驚…
- p003…りて、此處彼處水かさ增り、人馬の通ひ絕て候ふゆゑに、遲參に及びぬと申す、康政重て申けるは、また上田の城を攻め給はざりしは、古い者共が、强ちに諫め止め…
- p003…御物語りあり、山道の事をも問せ玉ひしかば、中納言殿みづから御筆を染られ、康政が此度の心ざし、我が家の有らん限りは、子々孫々に至るまで、忘るゝ事あるま…
- p003…程の軍の勞をも、なぐさめんと、侍從直政井伊中務少輔忠勝、本多康政と共に夜一夜、酒呑み遊びしに、直政康政に向うて、さても此度わどのが身を忘…
- p003…井伊中務少輔忠勝、本多康政と共に夜一夜、酒呑み遊びしに、直政康政に向うて、さても此度わどのが身を忘れて、諫め爭ひしに因て、御父子の御中、…
- p003…下のためにて侍れば、如何なる勳にも功にも勝りぬとこそ存ずれといひしかば、康政も心よげに見えしに、忠勝これを聞て、直政の宣ふ所、勿論なり、されど、こゝ…
- p003…れを聞て、直政の宣ふ所、勿論なり、されど、こゝに忠勝が心得ぬ事一つあり、康政云ひ開き玉ひなんやといふ、康政笑て、何事にもあれ承らんといふ、忠勝わどの…
- p003…り、されど、こゝに忠勝が心得ぬ事一つあり、康政云ひ開き玉ひなんやといふ、康政笑て、何事にもあれ承らんといふ、忠勝わどのが大殿をだに、个程に諫め申しゝ…
- p003…が事は、德川殿にさる者ありと、天下の人にも許されぬ、弓矢とつての道には、康政の謀り申さん事、大方いさみし申す人あるまじものを、などわどの先陣して、一…
- p003…じ、さらば又わどのが身を捨て諫め爭ふにも及ふまじと思ふは如何にと云へば、康政答ふるに詞なくて、三人一同に打笑ひ、數盃の興をぞ添にける、康政と忠勝とは…
- p003…と云へば、康政答ふるに詞なくて、三人一同に打笑ひ、數盃の興をぞ添にける、康政と忠勝とは、同年にて同地に、ひとゝなりしかば、幼きより互ひに、親しかりし…
- p003…親しかりしゆゑ、常にはかゝる事をも、いひ爭ひけるとなり、同き十一年四月、康政舘林の城にて病に伏す、將軍家大に驚かせ玉ひ、酒井雅樂頭忠世康政か聟な…
- p003…年四月、康政舘林の城にて病に伏す、將軍家大に驚かせ玉ひ、酒井雅樂頭忠世康政か聟なり、土井大炊頭利勝を召し、汝等速やかに醫師ゐて行け、心の及ばん…
- p003…ば、御歎き淺からず、御吊使として、阿部備中守正次ゆき向ひ、賻給ふ事多し、康政大須賀五郞左衞門康高が娘に相偶して、子四人をまうく、嫡男は外祖の世つぎと…
- p005…、平十郞といふ、然るに、郞從等、子なきよしを申しゝは、彼の郞從等、多くは康政が時に附けさせ玉ひし兵共なりければ康勝が家亡ひなば、將軍家にめし返さるべ…
- p006…式部大輔忠次は、大須賀出羽守忠政が男なり、忠政即ち故の式部少輔康政の嫡男、外祖の家繼しなり、御家號を賜りて松平と名のりけり、忠次…
- p006…つきて、天王寺に至る、此年叔父康勝卒して子なきよし聞えて、忠次して、祖父康政が家繼かせ玉ひ、從五位下式部少輔に任せられしかば、大須賀の家は絕てけり、…
大久保 第四中 · 5
- p006…家忠日記にも、其餘の傳記にも、井伊本多榊原大久保には、關白殿内々の仰有て、所領の地賜ふとしるす、又按ずるに此人々に…
- p009…秋、東西一時に軍起る、中納言殿、宇都宮より引返し、山道より攻め上り玉ふ、榊原康政、忠隣父子、子息加賀守忠常、此時新十郞といふ、本多正信佐渡守…
- p009…渡守隨ひ奉る、眞田安房守昌幸、上方に心合せて、信州上田の城に立籠る。康政忠隣まづ手合に眞田が伊勢崎の要害を落す、八月五日先陣の軍勢等粮料の爲に、…
- p009…敵は多勢に恐れて、打出る事は、よもあらじ、只打捨て御通りあれと申ければ、康政忠隣、佐渡守が計ひに、若くべからずと申す、明れば七日御勢又稻刈らんと、爰…
- p009…を御立あり、急きて打たせ玉へども、關が原の軍は既に終りぬ、此事の始終、榊原が傳をあはせ見るへし、○此年慶長五年の冬、大坂の西城に入らせ給ひし…
植村 第四中 · 2
戶田 第四下 · 1
- p001…事、大御所の御氣色宜しからず、此時に至てこそ、人々も口惜き事に思ひたれ榊原が傳合見べし、明れば慶長六年二月近江國大津の城は、要害宜しからず、勢…
北條 第六 · 1
- p003…五月、北條の使者、初て都に上る、この美濃守氏規をさゝれたり、德川殿よりも榊原康政つけて參らせらる、やがて氏政上洛あるべきよしを宣ひながら、其事なく年月を…
池田 第七上 · 1
- p008…日、侍從兼右衞門督に任す、此年將軍家の御養女、利隆の家に入らせ給ふこれ榊原式部少輔康政の息女、此時引出物として、靑江の御刀左文字の御脇刀、御馬二匹を給ひしと…
遠藤 第九上 · 1
- p007…手に從ふ、慶隆思ふ所あれば、其催促に從はず、斯る所に、德川殿の仰として、榊原式部少輔康政が許より、急き東國に組し參らすべき由、傳へければ、慶隆大に悅ひ、頓て東國…
松平(大須賀) 第十一 · 3
北條 第十一 · 1
- p003…ずとて御使をば返してけり、御使三度に及びし後、四月廿一日甘繩の城をば本多榊原井伊の人々に下げ渡して德川殿の御陣にぞ參りたる、北條程なく亡びし後、德川…
富田 第十二下 · 1
- p002…れて、其權日々に衰へけりと云ふ、按ずるに德川殿豐臣家と御中直りの後、始て榊原式部大輔が御使承て上洛せしに、富田が家を旅館に點せられ、其後相摸の北條が訴に依つ…底本:式部大輔
松下 第十二下 · 1
- p001…、駿河國久野の城賜て一万六千石を領按ずるに創業記に慶長十一年の春、榊原式部少輔康政が兄七郞右衞門尉淸政を御家人になされて、駿河の國久野の城に在らしむと云々…
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