家一覧 › 第九下 › f130
大村
この家によく出る人物・地名
人物 大村喜前 9大村純忠 3小西行長 3徳川家康 3加藤清正 3豊臣秀吉 2大村純信 2大村純長 2藤原純友 1有馬晴純 1豊臣秀頼 1小西家臣千束善左衛門 1小西家臣大矢松右衛門 1小西家臣大江源右衛門 1大村純頼 1伊丹勝長 1
地名 九州 5摂津国大坂 3朝鮮 2関東 2肥前国長崎 2肥前大村城 1薩摩国 1長門国下関 1上方 1肥後国 1肥後熊本城 1肥前国島原 1
人々頓て催促に隨ひ、兵船に取乘て、馳せ上る程に、喜前長門國下の關にして、有馬松浦五島の人々と、一所にこそ寄合うたれ、丹後守、彼の人々に對面して、評議しけるは、抑も故太閤、隱れさせ給ひし時、我子幼けなからん程は、天下の事、悉く內府の御沙汰あるべしとこそ仰せ置れたれ、然るに此程道すがら、上方の樣子を承るに、此度大坂に軍勢を召さるゝ事、彼の奉行等が、私の宿意を遂けんとて、事を公儀にかりて、內府を傾け參らせんと謀ると、覺えたり、人々は如何にもあれ、喜前に於ては、思ふ子細はべれば、本國に引返し、東國の荷擔、仕るべきにて候とて、是より船を押戾す、此所に馳せ集りたる人々、大村が旨に任せて、皆々是より又本國にぞ下りける、喜前まづ肥後國に使を立て、加藤主計頭淸正が許に牒狀し、我身は己が城を守て、軍勢を引分け、隈本の城に差遣し、淸正に隨ひ、此所彼所に軍す、淸正この由を東國に執し申ければ、德川殿の御感、大方ならず、御敎書を成されて、其志を賞せらる、大坂兩度の軍には、鎭西の人々は參るに及はず、明れば元和二年八月八日、喜前四十八歲にて卒す、其子新八郞純賴、父に繼て叙爵し、民部大輔に任し、元和五年十一月十三日、廿八歲にて世を早くす、其子丹後守純信、跡を繼ぎて、寛永中、島原の賊起りし時、純信仰を蒙て、長崎の港を守る、此後長崎の事ある時、大村が家、常に仰を蒙れり、慶安三年五月廿六日、三十三歲にて卒し、其子因幡守純長、家を繼く、純長實は伊丹藏人勝長が男なり、所領二万七千石也