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豊臣秀頼
本文表記 秀賴・秀賴公・豐臣家・若君・右大臣秀賴・秀賴君・右大臣家・前右大臣殿
鳥居 第四中 · 2
淺野 第七上 · 1
- p002…舍弟右兵衞佐長晟を以て其家を繼しむ、長晟は、長政が二男にて秀賴の昵近なりしかど、後に政所の御方に附けられて、都に住す、慶長十五年、大御…
前田 第七上 · 2
京極 第七上 · 1
- p001…くして又軍起りければ、大御所猶常高院殿して、東西御和睦の事仰せけれども、秀賴用ゐ給はで、五月七日城落ちぬ、忠高搦手に向ひ、打取る首三百七を獻る、寛永…
黑田 第七上 · 2
伊達 第七下 · 3
毛利 第八上 · 3
鍋島 第八上 · 4
- p006…近江の國愛智川の邊に新關をすゑて、東國下向の軍勢を押止む、大坂の奉行等、秀賴の仰として書を勝茂に送て、抑も內府自らの家建ん事を謀りて、やゝもすれば太…
- p006…に組する事なく、速かに大坂に馳せ參るべき由を載す、安國寺惠瓊、また來て、秀賴の仰を傳ふる事、これに同じ、勝茂此由を聞て、勝茂內府に從つて軍せんと思ふ…
- p006…を傳ふる事、これに同じ、勝茂此由を聞て、勝茂內府に從つて軍せんと思ふも、秀賴の命を重んずるが故なり、如何で違命の人の方人せんとて、こゝより引返へし、…
- p006…の御勢に向ひ、弓を引き矢をはぐべからず、兼ては又故太閤の仰せ置れし如く、秀賴君に背き奉らず、内府の命を重んずべき所なりと制しければ、勝茂又大に驚き、我…
上杉 第八下 · 1
- p019…、慶長五年の秋、德川殿、奧に向はせ給ひしに、石田治部少輔三成が計ひにて、秀賴の御催促として、山陽山陰南海西海の軍勢、大坂に馳せ集り、德川殿失ひまるら…
土方 第八下 · 1
- p002…あるに似たり、さりながら彼等が初の謀、家康に私の仇を搆ふるにあらず、偏に秀賴の爲に忠を致さんと思ふにあり、古の人は舊惡をだに思はずと聞け、これは短慮…
眞田 第九上 · 2
大村 第九下 · 1
- p003…の軍起りし時、小西攝津守行長が許より、鎭西の人々の許へ、使者を立て、急き秀賴公の仰に任せて、軍勢を率して、馳せ參るべき由、大坂の奉行等が奉書をぞ下して…
小出 第十上 · 6
- p004…、秀家が事、關原の諸記には吉辰と記す其跡にして石田三成が計ひにて、秀賴の仰と稱して、德川殿の御方人細川三位法印が丹後の國を攻むべしとて、丹波但…
- p004…年に至て六十五歲にして卒す、初め太閤小出播磨守秀政、片桐市正且元を以て、秀賴の御傳になさる、薨し給はん際に臨て、彼の二人を御枕近く召されて、いかに汝…
- p004…歸しなまし、物の心をも分たぬ輩が、なまじひに秀吉が私の恩、忘れかねて幼き秀賴を、主になし立てんなど計て、彼家と天下爭はんとせんには、我家自ら亡びんこ…
- p004…は振舞はじ、汝等我世嗣の絕えざらんことを思はゞ、相構へて此人に能く隨て、秀賴が事惡しう思はれぬ樣にすべし、さらば又我が世嗣絕えざらん幸もありぬべし、…
- p004…德川殿奥に向はせ給へば、二男をば御供に參らせたり、其後又上方に軍起りて、秀賴の仰也と披露あつて、殊に丹波但馬の軍勢を催して、丹後國を攻めらるゝ上は、…
- p004…攻めしこと何の御咎もなし、其後市正且元も、かの仰せ置かれし御言葉を思て、秀賴の御母子を諫め參らせし者なりと或書に委しく記し置きたり○按ずるに誠に此說…
木下 第十上 · 2
織田 第十下 · 3
片桐 第十下 · 5
- p001…正に成され、豐臣の姓賜り所領の地加へらる、攝津の茨木一万二千石の地秀賴公の御傳として大坂の城に在り、慶長十八年秀賴公の仰せとして所領の地加へ賜ふ…
- p001…攝津の茨木一万二千石の地秀賴公の御傳として大坂の城に在り、慶長十八年秀賴公の仰せとして所領の地加へ賜ふ、直盛關東の御旨を憚りて固く辭す、此年九月二…
- p001…旨を憚りて固く辭す、此年九月二日駿河の國府に參る、大御所彼が見參の序に、右大臣家加恩の事、辭し申さで給るべしと仰せ下さる、一万石を賜ひしと云ふ、此事內…
- p001…關東に心を合せ、當家を傾けまゐらせんとする所なりと讒し申す人ありしかば、秀賴公御母子、大に怒らせ給ひ、さらば直盛召して速に首を刎られ、天下の軍勢を催し…
- p001…軍起りしには直盛病に伏す、子息孝利も父が病看んとて駿府に止る、同五月八日秀賴公御母子の御事ありし後、同廿八日直盛卒しぬ六十歲とぞ聞えける、…
伊東 第十下 · 2
福嶋 第十二上 · 15
- p003…則一人進み出で申けるは、上方に軍起りし事、風聞の及ぶ所は、大坂の奉行等が秀賴の仰を蒙りて、天下の軍勢を催すとこそ承れ、秀賴御年わづか八歲にこそならせ…
- p003…の及ぶ所は、大坂の奉行等が秀賴の仰を蒙りて、天下の軍勢を催すとこそ承れ、秀賴御年わづか八歲にこそならせ給へ、いかで斯る御結搆やあるべき、是は偏に三成…
- p005…には正則必御味方仕るべし、さりながら太閤の仰せ置るゝ旨はべれば、正則が身秀賴の世にましまさん限りは、心にも任すべからずと語りて暇給はつてぞ歸りける、…
- p007…此時右大將たり姫君、大坂に入らせ給ひし時、上方の大名悉くに起請文書て秀賴公に參らす、これ正則が計らひし所とぞ聞えける、同き十年五月右大將家拜賀の御…
- p007…えける、同き十年五月右大將家拜賀の御時、大御所も都へわたらせ給ひしかば、豐臣家に御對面のため、上洛の事催させ給ひしに、淀殿御憤深くして豐臣家に御腹めさ…
- p007…ひしかば、豐臣家に御對面のため、上洛の事催させ給ひしに、淀殿御憤深くして豐臣家に御腹めさせ、御身も失せさせ給ふべしと聞えて、京大坂の間以の外物さわがし…
- p007…て押込め、終に首を刎て其妻德川殿の御養君を返し參らす、明れば十三年の春、豐臣家疱瘡煩はせ給ふと聞て、上方の大名忍ひ〱に大坂に馳せ集る、中にも正則最初に…
- p007…、上方の大名忍ひ〱に大坂に馳せ集る、中にも正則最初に馳せ參る、十六年三月豐臣家上洛あつて大御所に御見參の時、侍從輝政池田肥後守清正加藤紀伊…
- p007…大坂より父の卿に送りし牒狀を得て、密に大御所に献せらる、其文を御覽あるに豐臣家御年既に盛りにならせ給ひぬ、すべからく早く大坂に參て、助け參らせらるべき…
- p007…者なれば、我が爲に又關東に趣て正則に申さんには、此度大坂の軍起りしこと、秀賴の心とも覺えず、是は偏に織田有樂大野木村渡邊等が計らひにこそあるべ…
- p007…木村渡邊等が計らひにこそあるべけれ、抑も正則元より故太閤のゆかりに就きて秀賴にも親しく、又家康父子にも疎からず、されば正則が身に取ては何れの方に組み…
- p007…も此度大坂の兵起りし事、尤も不思儀といひつべし、されば仰せ下さるゝ如く、秀賴の母子かゝる事思召し立て給ふべしとも思はれず、近習の輩が計らひに因りしこ…
- p007…と仰せ下さる、明れば廿三日都に入らせ給ひし日、正則が使大坂より歸り參る、秀賴の御母子答へさせ給ふ旨もなしと申て關東に馳せ下る、十一月十一日將軍家都に…
- p007…ぞ聞えける、同廿九日備後守正勝、重利と打連れ軍勢引率して大坂に馳せ來り、豐臣家より正勝に賜りける、數通の御書を獻て城を攻む…
- p012…らず、初め大坂にて失ひ參らせんとせしこと、一たび二たびのみにあらず、終に秀賴の仰なる由にて、上方の諸軍勢馳せ集りて事起りしかど、此時かの御年わづかに…
加藤 第十二上 · 3
最上 第十二上 · 1
- p003…しかば、駿河守家親は父が遺言に任せぬ、里見誅せられて後、彼が調度の中より秀賴公の御手印を取り出す、清水大藏大輔相語らひ義光失ふべき由を聞召し、悅ひ思ひ…
堀尾 第十二上 · 2
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