人物索引 › 大村喜前
大村喜前
本文表記 喜前・大村・大村新八郞喜前・丹後守藤原喜前・新八郞・丹後守
有馬 第九下 · 1
- p005…時、小西攝津守が牒狀に隨て、鎭西の大名等、兵船に取乘て、長門國下關に至る大村新八郞喜前が謀に隨ひ、鎭西の人々、又是より皆本國に押戾す、晴信我身は本國に止りて、…
大村 第九下 · 9
- p001…丹後守藤原喜前は民部大輔純忠が男、累代の先祖、鎭西の國人にて、肥前の國大村の城に住す、…
- p003…八日に卒せしなり豐臣關白、薩摩の嶋津を追討の爲め、自ら筑紫に發向あり、喜前生年二十歲、未だ新八郞と申せしが、御勢に馳せ加り、頓て御恩に預て、本領を…
- p003…臣關白、薩摩の嶋津を追討の爲め、自ら筑紫に發向あり、喜前生年二十歲、未だ新八郞と申せしが、御勢に馳せ加り、頓て御恩に預て、本領を安堵す、朝鮮の軍起りて…
- p005…人々頓て催促に隨ひ、兵船に取乘て、馳せ上る程に、喜前長門國下の關にして、有馬松浦五島の人々と、一所にこそ寄合うたれ、丹後守、…
- p005…に、喜前長門國下の關にして、有馬松浦五島の人々と、一所にこそ寄合うたれ、丹後守、彼の人々に對面して、評議しけるは、抑も故太閤、隱れさせ給ひし時、我子幼…
- p005…公儀にかりて、內府を傾け參らせんと謀ると、覺えたり、人々は如何にもあれ、喜前に於ては、思ふ子細はべれば、本國に引返し、東國の荷擔、仕るべきにて候とて…
- p005…國の荷擔、仕るべきにて候とて、是より船を押戾す、此所に馳せ集りたる人々、大村が旨に任せて、皆々是より又本國にぞ下りける、喜前まづ肥後國に使を立て、加…
- p005…此所に馳せ集りたる人々、大村が旨に任せて、皆々是より又本國にぞ下りける、喜前まづ肥後國に使を立て、加藤主計頭淸正が許に牒狀し、我身は己が城を守て、軍…
- p005…る、大坂兩度の軍には、鎭西の人々は參るに及はず、明れば元和二年八月八日、喜前四十八歲にて卒す、其子新八郞純賴、父に繼て叙爵し、民部大輔に任し、元和五…
松浦 第十上 · 1
- p003…印、兵船に取り乘て長門國下關に至り、鎭西の人々、此所に會合して軍評定す、大村が異見に隨ひ、人々爰より本國に漕き戾す、天下悉く德川殿に屬して後、法印も…
五島 第十上 · 1
- p003…應して、兵船に取乘て長門國下の關に至り、鎭西の人々會合して、軍の評定し、大村が異見に任せ、是より皆本國に漕き戾す、德川殿天下知し召されて後、五嶋も恙…
索引は本文を読んで人物・地名などに項目IDを付けたものです(標本点検の適合率約98.6%)。同名の別人は括弧で区別し、本文表記と異なる比定は注記に記しました。 詳しく