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六郷

第九下 · 段落 1 · 780524 63コマ Lから

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この家によく出る人物・地名

人物 4 3 2 1 1 1 1 1 1 1

地名 2 2 1 1 1 1 1 1 1 1

兵庫頭藤原政乘は、二階堂信濃判官行忠が後、彈正忠道行が男、其祖代々出羽國山北六鄕の庄の地頭たりしより、六鄕とは名乘りしなり、豐臣太閤、世を知し召されし後、政乘本領を安堵す、山北衆七人の中なり所領いか程といふ事を知らず朝鮮の軍起りし時、催促に隨ひ、軍勢率ゐて、筑紫の御陣に馳せ參る、慶長五年の秋、德川殿、奧の上杉御退治あるべきにて、山北の人々は、出羽守義光に隨ひて、軍すべしと仰せ下さる、政乘三百人にて、馳せ來る、かゝる所に、上方にも、又軍起り、東西より挾て、德川殿討れ給ふべしと聞えしかば、山北の人々、取る者も取り敢へず、本領に引き返す、同國の住人小野寺遠江守綱元は、双なき西方と聞て、政乘かしこに押し寄せて、同十月の初より、十一月の始に至て、攻め戰ふこと五六度、多くの敵を討ち滅す、味方討るゝ者も少からず、頓て大坂に馳せ上りて、十一月と云ふ德川殿の見參に入る、其後常陸國府中の地を賜て移る、一万石大坂前後の戰に、馳せ向ひ首斬て奉る、首一元和九年、出羽國由利郡を賜りて、本庄の城に移る、二万石余寬永十一年四月廿八日、六十八歲にして卒す、嫡男長五郞政勝繼き、寬永十七年十二月廿九日、叙爵して、伊賀守に任し、延寶四年六月晦日、致仕して、家を嫡男佐渡守政信に讓る、政信萬治三年十二月廿八日、叙爵して父が讓を受く、