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家一覧 › 第十二下 › f184

古田

第十二下 · 段落 6 · 780526 59コマ Rから

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この家によく出る人物・地名

人物 14 4 3 3 3 2 2 2 1 1 1 1 1 1 1

地名 6 1 1 1 1 1 1 1

關が原の戰に東國の味方してければ、賞行はれて所領餘多加へらる、一万石を領す元和元年の夏の初、大坂の兵再ひ起る、兩御所程なく都に入らせ給ひ、五月二日大坂に向はせ給ふべしと聞ゆ、かゝる處に四月廿六日重勝が婿鈴木左馬助、近江國の御代官也日岡の邊にて兄の敵討つて三井寺に遁れ去る、戸田八郎右衛門といふ者を討ちしなり彼の鈴木が下人からめ取て、其下人に持せし調度中を見るに、大坂の牒狀あり、挾箱といふ者の中より出たり京職其牒狀を奉る、重勝が近く召仕ふ者木村宗喜といふ茶道なり鈴木に組せし由、彼狀に見えてければ、急き其餘黨廿餘人を搦め取て糺問するに、織部正重勝大坂に謀を合せ、兩御所都を立たせ給ひし御跡にて、主上を取り參らせ二條の城を襲ひ取て、洛中悉く燒き拂ふべき謀、一々に顯はれたり、先づ重勝をば鳥居土佐守成次に召預られ、重勝が從者を初め廿餘人の凶徒等を禁獄せられて後、五月五日兩御所大坂に向はせ給ひ、同七日大坂の戰事終る、同六月十一日織部正重勝其男山城守某父子二人切腹、其餘黨悉く誅せられてけり、
織部正は古き玩器の全きをば、餘りに思ふ所なしとて好まず、されば書畫やうの物をも、かしこを切りこゝを斷ち、凡の茶具をも多くは損ひ毀りて、又補ひ綴りてぞ用ゐける、世の人皆興ある事に思ひ學ひて、世に全き者のなからんとす、松平伊豆守信綱の實父大河内金兵衞久綱、常にかたへの人に言ひしは、必禍ひに罹りて死すべき者なりといひき、其後この人罪蒙りて誅せられしかば、人々大に驚き如何で兼てより斯くは相知れるぞと久綱に問ふに、古の寶器と聞えしも、世々の亂に失せて今ある所の物は、皆神佛の護持してこそ、かく世には殘るらめ、それにおのれ一人の好に隨ひて、損ひ破ること必鬼神の憎む所にやあるべき、さらば其人も又身を全くして終る事を得べからずと思ひきと言ひしとなり、さる名言たるよし、ふるき人の物語りを承りき、此事萬にわたり心得あるべき事にや、