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平岡

第十二下 · 段落 3 · 780526 73コマ Lから

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人物 5 5 3 2 2 2 2 2 2 1 1 1 1 1 1

地名 2 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1

按ずるに平岡と云ふは元伊豫の河野が家第一の老なり、河野四郞通直は毛利元就の孫婿にて候ひしが、土佐の長曾我部元親が爲に戰負て元親に属す、豐臣太閤元親を攻め降し給ひ、通直が振舞ひ言がひなしとて本領を召放され、小早川左衞門督隆景、所緣に付て申預り、安藝國沼田の庄竹が原といふ所に迎へ置きしが、彼處にて終に卒して河野が家は絕えたり、是より平岡小早川が家に仕へしなるべし、秀秋は隆景が養子なり、
慶長五年の秋東西の軍一時に起る、金吾秀秋は初より無二の東國方にてありけり、家の老石見守重定は三万石を領せしといふ黑田勘解由入道如水が姪婿なりければ、重定して入道の男甲斐守長政と謀を通し、德川殿攻め上らせ給ふを待つて、必ず裏切りすべきよしを申す、重ねて重定が舍弟出羽守某を、東國に質として參らす、美濃の國關が原の戰に秀秋裏切りして、上方の軍をかけ破り、その勸賞に備前備中美作の地を賜はる、幾程なくて秀秋卒し世嗣なくして、家絕えぬ、大御所やがて石見守重定を御家人に召出され、美濃の國德野の地下し賜ふ、一万石その男石見守賴資父に繼ぐ、大坂前後の戰に從ひ首三十三切つて獻る、寛永年中賴資狂疾出で來りて所領の地沒收せられぬ、息男市十郞賴重に二千石を賜ひ賴重子なければ有馬左衛門佐入道假宿が三男養つて世嗣とす伊織某と云ふはこれなり