右衞門佐源康親は、累代の先祖河野が家の被官として、伊豫國の住人なり、土佐國の住人長曾我部が起るに及て、土佐守元親、阿波讃岐を徇へて天正四年伊豫國に發向し、戰ふ事凡そ七年、同き十年に至て、河野通春1を始として三十一人の國人等皆長曾我部に降る、來嶋得居兄弟ばかり、これに隨はず同き十三年の秋、元親も亦豐臣家に降る、本領なれば土佐の國をば賜りて、阿波讃岐伊豫の國をば收公せらる、元親に降りし國人等、悉くに本國を追却せられ、來嶋兄弟には本領を賜て、其武勇を賞せらる、來島助兵衞に一万四千石得居太郞左衞門に三千石を賜ひき
- 河野通春 — 底本のまま。天正年間に長宗我部と対峙した河野氏当主は河野通直(牛福丸)で、通春はその前の世代の人物である