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九鬼嘉隆
本文表記 嘉隆・九鬼・九鬼大隅守嘉隆・右馬允嘉隆・大隅守嘉隆・九鬼右馬允嘉隆・大隅守・右馬尤嘉隆・御父・大隅守殿
比定未確認:慶長2 渡海。守隆の可能性がある。未確認
戶田(田原) 第四下 · 1
- p002…之丞千賀孫兵衛向井兵庫等も、同しく伊勢の國を鎭めんとて、九鬼右馬允嘉隆と、小濱といふ所に戰ふ、忠次が手の者、先かけして、敵の勢を打破りぬ、十八…
岡部 第六 · 3
山口 第六 · 4
- p001…とて、前田與十郞を留て、城を出づ、前田忽に心變し、瀧川左近將監一益九鬼右馬允嘉隆と謀を合て、山口が許に使者を立て我等が父子、佐久間殿を恨…
- p001…前田與十郞を留て、城を出づ、前田忽に心變し、瀧川左近將監一益九鬼右馬允嘉隆と謀を合て、山口が許に使者を立て我等が父子、佐久間殿を恨み參らする故あ…
- p001…へ不孝の子となりぬとも、不忠の人に組みせんこと叶ふべからずと返答す、瀧川九鬼これを聞て、につくい物のいひやうかな、いで〱その儀ならんには、山口めが城…
- p001…す、重政勢こそなかりけれ、所々の御方に急を告け知らせ、來る敵を待居たり、九鬼が兵船數十艘、まづ大野の川に押登る、重政急て松炬いくらも拵へ置き、手に手…
加藤 第七下 · 5
- p001…御感大かたならず、明れば十五年の春、關白自ら嶋津を伐ち給ひし時、嘉明脇坂九鬼大隅守嘉隆等と兵船を泛め、薩摩の國に攻め入て隍河の城を下し、三人共に千代川に舟梁…
- p001…く、兵船を泛め東海を押渡つて城を攻め、文祿元年、朝鮮の事起りしかば、脇坂九鬼と同じく、海路の先陣給りて押渡り、三人共に、朝鮮の慶尙右兵使元均を打破つ…
- p001…坂が兵船、全羅水軍節度使李舜臣と、巨濟の洋中に戰て、利あらずと聞き、嘉明九鬼と共に、これを助けて戰ふ、明れば二年の春、脇坂九鬼と、熊川に在て李舜臣元…
- p001…、利あらずと聞き、嘉明九鬼と共に、これを助けて戰ふ、明れば二年の春、脇坂九鬼と、熊川に在て李舜臣元均等と戰ひ、二月廿一日、又大に戰ふ、嘉明進み戰て、…
- p001…朝に歸り、慶長二年、大明の和親破れて後、嘉明また藤堂佐渡安高虎脇坂九鬼等と、朝鮮に押渡る、かの統制使元均が兵船、海の面に夥しう漕き浮む、藤堂人…
九鬼 第九上 · 30
- p001…長門守藤原守隆は大隅守嘉隆が男、其先祖紀伊國熊野八庄司の一人にて、子孫住せし地の名に因り、九鬼とこ…
- p003…見七鄕の地をぞ、たぶたりける、其子宮内大輔定隆、其嫡子宮内少輔淨隆、二男右馬允嘉隆、是後に大隅守が事なりけり、淨隆が時に至て、七嶋の輩、北畠殿則伊勢の…
- p003…ぶたりける、其子宮内大輔定隆、其嫡子宮内少輔淨隆、二男右馬允嘉隆、是後に大隅守が事なりけり、淨隆が時に至て、七嶋の輩、北畠殿則伊勢の國司加勢乞て…
- p003…に依て、終に城をば落されず、戰の中にぞ死したりける、其子彌五助澄隆、叔父嘉隆と共に田城の城に籠つて、防き戰ふといへども、多勢に無勢、叶はずして、朝熊…
- p003…朝熊岳に落行く其後合戰度々にて、再ひ田城を攻取て、幾程なくて死しければ、右馬允嘉隆、家繼き、伊勢の國に取つても、南方九頭の中となり、鳥羽の城にぞ住けしる、…
- p003…長、伊勢國を隨へんと永祿十二年の秋、尾張の國を立て、大河內の城に發向す、右馬尤嘉隆等、國司に背き、織田殿に組みす、北畠の軍、利なくして。權中納言具敎卿、信…底本:尤(允の誤植)
- p003…らる、北畠前內府信雄公と申し、此時は茶筅御曹司と聞えし御事なりけり、斯て嘉隆、信長に隨て、高名又度々に及べり、天正二年、伊勢國長嶋の城に向ひ、海路よ…
- p003…に向ひ、海路より攻入て、敵を破り、同き六年の秋、攝津國大坂の城を攻らる、嘉隆軍勢を率て、大船六艘小船餘多に取乘り、伊勢浦を押出し、紀伊の國熊野の浦に…
- p003…海上の通路を差塞く、同き十一月六日、西國の兵船六百餘艘、木津浦に寄來る、九鬼兵船を揃て、乘り向ふ、陸に陣せし御方の人々、波打際に滿ち〱て見物す、手合…
- p003…揃て、乘り向ふ、陸に陣せし御方の人々、波打際に滿ち〱て見物す、手合の戰、九鬼負色になつて押戾す、陸の人々、是を見て、あはや負色しつと、片唾を呑て見る…
- p003…鮮を討ち給ひしにも、常に海路の大將を承る、太閤薨し給ひし後、慶長四年の夏嘉隆、稻葉藏人道通と、相論の事起て、德川殿の御裁斷を仰く、嘉隆が申す所、その…
- p003…、慶長四年の夏嘉隆、稻葉藏人道通と、相論の事起て、德川殿の御裁斷を仰く、嘉隆が申す所、その謂れなき由を仰下さる、嘉隆大に怒て、息男長門守守隆に家讓て…
- p003…の事起て、德川殿の御裁斷を仰く、嘉隆が申す所、その謂れなき由を仰下さる、嘉隆大に怒て、息男長門守守隆に家讓て引籠る、明れば五年の秋、長門守守隆、德川…
- p003…、德川殿に隨ひ、奧の御陣に馳參る、かゝる所に、上方の軍又起る、石田三成、嘉隆日でろ德川殿を恨み參らする事を、知てければ、頓て彼に牒狀す、嘉隆まづ子息…
- p003…田三成、嘉隆日でろ德川殿を恨み參らする事を、知てければ、頓て彼に牒狀す、嘉隆まづ子息が鳥羽の城を奪ひ、賊船を催し、東海の津々浦々に押入て、兵粮おし取…
- p003…獻る首なれば、御感尤も淺からず、關が原の合戰、上方の軍悉くに破れしかば、嘉隆新宮に伴ひて、紀伊國へぞ落行きける、長門守守隆、鳥羽の城に入て、頓て大坂…
- p003…輝政又福島左衞門大夫正則と相謀り、重て二人一所に歎き申さる、さらばとて、大隅守嘉隆が死刑を宥められし上、守隆所領の地餘多加へたぶ、二万石を加へられ、本…
- p003…千石守隆歡ふこと、限りなく、頓て新宮に使たてゝ、此由かくと告げけるに、嘉隆自ら首はねて、死したるこそは無慚なれ、年五十九歲…
- p004…世に傳ふる所、嘉隆自害しける事は、初め長門守守隆、奧の御陣に隨ひし時、家のおとな豐岡五郞右…
- p004…の御陣に隨ひし時、家のおとな豐岡五郞右衞門と云者して、鳥羽の城を守らす、嘉隆が石田に組して、城奪はんとせし時、豐岡も、さすがに敵し難くて、嘉隆にさけ…
- p004…らす、嘉隆が石田に組して、城奪はんとせし時、豐岡も、さすがに敵し難くて、嘉隆にさけわたす、凡そ兵の城を守ると云ふは、かゝる事の爲にこそあれ、如何に主…
- p004…けわたす、凡そ兵の城を守ると云ふは、かゝる事の爲にこそあれ、如何に主君の御父なりとも、餘りに穩便なる豐岡が振舞かなと、傍輩打寄々々爪はじきしけり、此…
- p004…る豐岡が振舞かなと、傍輩打寄々々爪はじきしけり、此を口惜しとや思ひけん、嘉隆が在かを、忍ひ〱に尋ぬるに、熊野の奧に隱れ居たりと聞て、新宮の城に行向ひ…
- p004…ひ、安房守氏喜に附て、長門守殿、內府に御歎きあつて、此度の賞に申替へて、嘉隆の罪、宥められ、某急き參り向ひ、御供申すべき由の御使に、來り侍ると申しけ…
- p004…宥められ、某急き參り向ひ、御供申すべき由の御使に、來り侍ると申しければ、嘉隆運や盡きたりけん、やす〱と、たばかられて、豐岡を具して、本國に趣く、豐岡…
- p004…たりけん、やす〱と、たばかられて、豐岡を具して、本國に趣く、豐岡は道にて嘉隆に向ひ、誠は君の御事、内府の御憤、殊に深く、當家旣に亡さるべきに事定て候…
- p004…候、あはれ如何にも御計らひあつて、御子孫の後榮を期し給ふべしと云ければ、嘉隆さらば我首取て、德川殿へ參らせよとて、腹切てければ、豐岡首取て歸るとて、…
- p004…へ參らせよとて、腹切てければ、豐岡首取て歸るとて、伊勢の明星の茶屋にて、嘉隆の罪、御赦免の御敎書に行逢ふ、豐岡按に相違して、以の外に驚きしが、さらぬ…
- p004…違して、以の外に驚きしが、さらぬ躰にもてなし、守隆に參て、某熊野に參じ、大隅守殿の御供仕るべき由を申て候に、いかに親子の中なりとも、一度敵と成て、生て再…
- p006…或書に初め大隅守嘉隆が、石田に組みせし時に、上方の軍、勝つことを得ば、嫡孫なれば式部少輔隆季…
脇坂 第十上 · 9
- p001…、關白の御感をぞ蒙りける、十五年の春、關白自ら島津を伐ち給ふに、安治嘉明九鬼大隅守嘉隆と共に兵船を泛め、薩摩の國に向ひ隍河の城を降し、千代川に舟橋渡して御勢を…
- p001…、安治四國の人々と東海を押渡て、伊豆國下田の城を攻め、關白の召に隨ひ嘉明嘉隆等と、同じく小田原に馳せ來て城を攻む、下田の城降りぬと聞えへしかば、安治…
- p001…えへしかば、安治行き向て城を受け取たり、文祿元年朝鮮の軍起る、安治又嘉明嘉隆等と、海路の先陣を承て押渡り、王城に攻め入る、釜山より王城に向ひて、道路…
- p001…餘人と記したり、斯る所に朝鮮の水軍、夥しう巨濟を差して押向ふと聞て、嘉明嘉隆と共に夜を日に繼て馳せ歸り、熊川に至る、安治急き兵船に取乘り、眞先に進み…
- p001…年二月廿一日の戰に、李舜臣が巧み出して作りたる板屋船を乘取りぬ、此日安治九鬼と彼船を爭て、同士軍せんと、ひしめく軍の撿使早川主馬首長秀これを制し、太…
- p001…御敎書をなされ、安治が功を感ぜらる、此年安治は安骨浦の城に留て守り、嘉明嘉隆本朝に召歸さる、三年の春嘉隆來て安治に代て彼城を守る、四年の春安治又嘉隆…
- p001…ぜらる、此年安治は安骨浦の城に留て守り、嘉明嘉隆本朝に召歸さる、三年の春嘉隆來て安治に代て彼城を守る、四年の春安治又嘉隆に代て守る、慶長元年の春、本…
- p001…嘉隆本朝に召歸さる、三年の春嘉隆來て安治に代て彼城を守る、四年の春安治又嘉隆に代て守る、慶長元年の春、本朝に歸りぬ、同き二年大明の和親破れて、四月安…
- p001…朝に歸りぬ、同き二年大明の和親破れて、四月安治等又朝鮮に押渡り、藤堂加藤九鬼の人々と熊川に入て船揃へし、七月七日の夜、巨濟に押渡て、彼國の統制使元均…慶長2 渡海。守隆の可能性がある。未確認
久留嶋 第十上 · 1
- p006…關が原の諸記に、來嶋九鬼と兵船を泛べ、東海の津々浦々に押入て、兵粮秣等奪ひ取り、上方の城々に入れ…
富田 第十二下 · 5
- p001…を守りし大將なり彼國を打從へんとす、前田やがて與みしてけれは、一益また九鬼大隅守嘉隆と相談して木造の城を去て一益嘉隆が軍兵都合二千餘人、大船に取り乘て尾張の…
- p001…やがて與みしてけれは、一益また九鬼大隅守嘉隆と相談して木造の城を去て一益嘉隆が軍兵都合二千餘人、大船に取り乘て尾張の國に押渡り蟹江の城に趣く、德川殿…
- p001…、德川殿の御勢に攻められて、からうじて城に入る、寄手つゞいて攻めければ、九鬼兵船に取乘て落ち失せぬ、瀧川前田怺へずして頓て降人になつて出づ、同二十七…
- p003…吉田の城に至て輝政の船共借て軍勢取乘せ、伊勢の國に押渡らんとす、斯る所に九鬼大隅守嘉隆が兵船に行き逢ふ、敵はさすが多勢なり、取籠められては叶はじと思ひしかば、…
- p003…行き逢ふ、敵はさすが多勢なり、取籠められては叶はじと思ひしかば、知高頓て九鬼が船に近付て、大坂の御催促承て知高も馳せ參らんが爲に、急き東國を去て唯今…
稻葉 第十二下 · 6
- p004…太閤薨し給ひて後、慶長四年の秋九鬼大隅守嘉隆と、道通と相論の事起る、德川殿の御裁斷に依て、九鬼が訴ふる所非據に定つて…
- p004…慶長四年の秋九鬼大隅守嘉隆と、道通と相論の事起る、德川殿の御裁斷に依て、九鬼が訴ふる所非據に定つてければ道通悅に堪へず、九鬼は無念の事に思ひ、やがて…
- p004…、德川殿の御裁斷に依て、九鬼が訴ふる所非據に定つてければ道通悅に堪へず、九鬼は無念の事に思ひ、やがて子息に家を讓て籠居す、明れば五年の秋德川殿、奧の…
- p006…程なくまた上方の軍起り、九鬼大隅守嘉隆其催促に從ひ、子息は關東に參りしなり其家の傳を合せ見るべし當國中嶋…
- p006…へ、岩出を去る事一里なり軍兵を籠て岩出の城を攻め落さんと支度す、九鬼が姪婿堤庄藏と云ふもの大將たりといふ藏人道通安からぬ事に思ひ、…
- p006…と云ふもの大將たりといふ藏人道通安からぬ事に思ひ、今一色といふ處に嘉隆が兵粮數多ありと聞て、先づこれを燒き拂はんと軍兵を差遣はす、敵中嶋の要害…
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