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寺沢広高
本文表記 廣高・寺澤・寺澤志摩寺廣高・志摩守紀廣高・忠次郞・正成
黑田 第七上 · 1
- p001…の銘に詳なり今は大畧を採る、太閤薨し給ひし後、朝鮮の事終り、長政等小西寺澤等と功を爭て訴へ起り、軍奉行の輩、流刑に處せらる、慶長四年の春、秀賴の奉…
嶋津 第八上 · 1
- p003…友を御使にて、鏃二千暑衣百領、忠恒に賜りて軍のやうを問はせ給ひ、九月また寺澤志摩寺廣高して、嶋津に加勢させ、又山口を差し下され、主從が間を和げさせ給へば、源二…寺は守の誤植
寺澤 第十二上 · 8
- p001…志摩守紀廣高は、初め忠次郞一名は正成武内大臣の後胤、紀淑望が末孫なり、初め淑望…
- p001…志摩守紀廣高は、初め忠次郞一名は正成武内大臣の後胤、紀淑望が末孫なり、初め淑望が子孫美濃國に住…
- p001…志摩守紀廣高は、初め忠次郞一名は正成武内大臣の後胤、紀淑望が末孫なり、初め淑望が子孫美濃國に住し、其後別れ…
- p001…濃國に住し、其後別れて尾張の國に在り、兩國の寺澤悉く其後胤とぞ聞えける、廣高が父尾張の國の住人越中守廣正、織田殿に隨ふ其後廣正廣高父子、豊臣家に仕へ…
- p001…後胤とぞ聞えける、廣高が父尾張の國の住人越中守廣正、織田殿に隨ふ其後廣正廣高父子、豊臣家に仕へ次第に身を起して、肥前の國唐津の城を賜る…
- p003…朝鮮の軍に廣高先陣して彼國に押渡り、戰ふこと凡そ七年、太閤薨し給ひてのち、慶長四年九月…
- p003…四年九月島津が家人伊集院源治郞、主を恨みて、おのが城に立籠りしと聞えて、廣高德川殿の仰蒙て島津を援く、明れば五年の秋東西の軍一時に起る、廣高初より德…
- p003…聞えて、廣高德川殿の仰蒙て島津を援く、明れば五年の秋東西の軍一時に起る、廣高初より德川殿に從ひ參らせ東國に向ひしかば、御方の人々と海道を攻め上り、美…
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