世に傅ふる所は是よりさき、
七月將軍家關東に下らせ給ふ時、
駿河の國田中に至らせ給ふ折、
長坂血鑓が訴へ1申すに因て、彼れが弟
十左衞門並に
伊丹彌藏二人が
介殿のために誅せられぬること始て知召され、
八月六日關東に着かせ給ひ、
同十日に
介殿の家人召して
長坂伊丹誅せられし事を御糺問ありしに、
介殿守山の宿を過きさせ給ふほど馬武者二騎若黨十四五人つゝ具して、すぐ御さきを走る者共、
上總介殿の通らせ給ふに何者なれば狼籍なりと咎めしに、我等二人の主になきものを、何條下馬に及ぶべきとて、打過くるを追かく、二人馬のり棄てゝ道の邊りの家に逃け入る、是故に其儘に打捨て
介殿通らせ給ふ、二人待ちかけて、太刀ぬき連て切て出づ、御供の輩我も々々と打物の鞘をはづして駈け向ふ、二人また引返して逃ぐるを追かけて鬪ふ、されば初より御家人とも存ぜざるによつて、終に討ち留め訖んぬと陳じ申す、此由を聞召し、
長坂伊丹既に死したり汝等陳じ申す所、證となし難し、且つ初め事の急なるに臨みては、誰某と知らずとも、事既に終りて後、など御家人とは知らざらん、それに
少將が此旨を申さゞる事、尤も驕恣の至なりと仰ありしかば、
介殿大に恐れ給ひ、さらば
平井安西を召搦め
長坂伊丹が一族に渡さるべしと議せらる二人聞て深く恨み參らせ忽に逐電しぬ
安西猶も恨みに堪えかねて、
關東に忍ひ下りて一封の書を獻る、これ
大坂の戰に怠らせ給ひし事の由を告げ申せし所とも申すなり、
介殿のきり人
花井主水遠江守が子なり關東に召され
安西と召决せらる、
花井また
大御所に召されて
駿河に參り、
介殿大坂の戰に合はせ給はざる由を御推問ありて、尙尋ねらるべき事ありとて召いましめられ、
松平忠左衞門尉を御使として、
介殿へ仰せられしは、去りしころ
關東の御家人二人、恣に誅せられ其事を申し謝せられず、我今永らへて世にあるにだに、かく
將軍家に向ひ無禮を顯さる、我なからん跡の事思ひやられぬ、且此度
都にありし時、我れ
將軍家と共に内に參りしに、
忠輝病と稱して供奉に候せず、川道遙のため
嵯峨の邊に出で、日をくらし又暇をば賜らざるに、
都を立て間路を經て直に國に歸り、國家の大法、我が子初にこれを破る此等の罪、輕からず、先つ早く
將軍の御家人討ちし輩を召取つて、
關東に參らせらるべき者かとありけるに、
介殿聞召して
長坂伊丹を殺せし事、步行侍凡三百餘人が中に取込めて討ち留む、何れをさして下手人と定め難きか、又御不審の條條、身に誤りなきに似たりと、一々に言葉を飾て陳じ申し給ひし程に、
大御所の御怒り殊に甚しく、
介殿の步侍の頭
山田將監富永大學、此由を聞て、すべからく早く我等二人を以て、かの下手人として御不審を申披らかせ給ふべき由を訴ふ、三百餘人の步侍、又是を聞て此事我々が手より事起る、何ぞ罪なき二人の人々を失ふべきと僉議して、下手人たらん事を望むもの三人、さらば是等を
關東へ參らせよとて、
小澤水右衞門松岡淸右衛門を御使に差遣さる、
小澤かの三人を搦めて渡さるべしと申す、
松岡聞て三人旣に下手人たらん事を望む、いかで死を逃れんとは思ふべき、只よのつねの如く刀を帶させて給るべしといふ、
小澤又彼等が逃け奔るべからざらんこと勿論なり、
將軍家へ參らせられん下手人を、搦めで參らせ給はん事、頗る緩怠に似て、
君の御爲しかるべからずといふ、
小澤松岡此事を相論して日を移す、かの步侍三人が內一人、
洞庵といふ寺に走せ入て、此度
長坂伊丹等を討ちしには侍らず、身不肖には候へども、
君の御爲に死を顧みず、下手人たらん事を望み畢んぬ、然るに縲絏の耻を蒙りて
關東へ引き渡されん事、無念の次第なり、此上は速に御使を給りて腹切て死し候ふべしと申切て、彼寺を出でざれば、殘る二人を
松岡一人召具して、まづ
駿河に參る、
大御所此由を聞召され、下手人を參らせらるゝ事、延引に及ぶのみにあらず、罪なき者を下手人に差出さるゝ事、御憤り尙淺からず