인물 색인 › 伊達政宗
伊達政宗
본문 표기 政宗・伊達政宗・中納言政宗・中納言藤原政宗・二郞・伊達左京大夫政宗・伊達殿・松平陸奥守政宗・伊達二郞政宗
越前 第一 · 1
- p002…られ、十二月二日、將軍家御裁斷有て、淸水今村遠流に處せられ、今村は奧州伊達政宗に預けられ、淸水は岩城鳥居左京亮に預らる彼國務、伊豆守富正たすくべき…
太田 第六 · 1
- p008…宮仕し、常に御側に侍らひて、日々に御寵愛淺からず、御娘一人をまうく、奧の伊達政宗の男忠宗に配せらるべしと仰合されしに、四つの御年かくれ玉ひしかば、於梶の…
伊達 第七下 · 75
- p001…中納言藤原政宗は、河邊左大臣魚名公の玄孫、中納言山蔭の末葉なり、…
- p003…中納言政宗八代の祖をも大膳大夫政宗とぞ申ける、代々陸奧伊達郡に住しけり、此人累代弓…
- p006…宗、其子左京大夫輝宗、按るに代々公方の御諱字賜ひしと見えき、是則ち中納言政宗の父なり、輝宗初め子息二郞が元服せし時、先祖大膳大夫政宗、文武の名譽、天…
- p006…々公方の御諱字賜ひしと見えき、是則ち中納言政宗の父なり、輝宗初め子息二郞が元服せし時、先祖大膳大夫政宗、文武の名譽、天下に隱れなかりき、されば汝…
- p006…政宗、文武の名譽、天下に隱れなかりき、されば汝も又あやかり參らせよとて、政宗と名のらせ、政宗十八歲の時、天正十二年十月家讓らる、政宗初め米澤の城に在…
- p006…、天下に隱れなかりき、されば汝も又あやかり參らせよとて、政宗と名のらせ、政宗十八歲の時、天正十二年十月家讓らる、政宗初め米澤の城に在り、明れば十三年…
- p006…り參らせよとて、政宗と名のらせ、政宗十八歲の時、天正十二年十月家讓らる、政宗初め米澤の城に在り、明れば十三年十月八日父輝宗、同國二本松右京亮義繼が爲…
- p006…り、明れば十三年十月八日父輝宗、同國二本松右京亮義繼が爲に討れ、義繼また政宗がために討たる是れより政宗隣國の敵と戰つて、終に蘆名の家を滅し、天正十…
- p006…輝宗、同國二本松右京亮義繼が爲に討れ、義繼また政宗がために討たる是れより政宗隣國の敵と戰つて、終に蘆名の家を滅し、天正十六年六月の事なり、會津…
- p008…領せし國々を、悉く打從へて、やがて奧羽の地を差して、攻め下るべしと聞ゆ、政宗まづ太宰金七といふ家子して、秀吉の軍の樣を伺はしむ、北條が亡びんごと遠か…
- p008…らずと申す、さらばとて郞等遠藤不入齋を使者として、關白に音信を通ず、急き政宗御陣にまゐり向ふべきよし仰せ下さる、やがて家の子郞等百騎を具して、天正十…
- p008…後國へ係り、日數經て小田原に至る、關白まづ底闇といふ山の中に旅館點して、政宗を入れらる、政宗二十餘りの男の、眼片方なる、髪短く押し切て打かぶり、其貌…
- p008…經て小田原に至る、關白まづ底闇といふ山の中に旅館點して、政宗を入れらる、政宗二十餘りの男の、眼片方なる、髪短く押し切て打かぶり、其貌甚た異體なり、關…
- p008…凡そ王命を重んずるほどのもの、我が門に祇候する輩千里を遠しとせず、然るに政宗累代の家をうけ繼き、數郡の地を押領し、遂に一度の使者をだにまゐらせず、每…
- p009…の地を合せ奪ふの條、甚以て奇怪なり、きつと一々に陳し申べしと仰せ下さる、政宗此由を承て政宗去年三浦介盛隆が男義廣を討取る事、天下既に泰平に屬せんとす…
- p009…の條、甚以て奇怪なり、きつと一々に陳し申べしと仰せ下さる、政宗此由を承て政宗去年三浦介盛隆が男義廣を討取る事、天下既に泰平に屬せんとするに及びて、政…
- p009…宗去年三浦介盛隆が男義廣を討取る事、天下既に泰平に屬せんとするに及びて、政宗濫りに干戈を動して、隣國を侵し奪ひし樣にも聞し召されてや候らん、さりなが…
- p009…近きに决すといへども、其事の由を尋るに、一朝一夕の故にあらず、初め義廣、政宗が父輝宗に叛きし、郞等大内何某と備前といひし、申者に組みし佐竹岩城…
- p009…んぬ、程なく父にて候ふ者の、二本松が爲めに討たる、父の讎の末なるに依て、政宗二本松を討たんとする所に、義廣又佐竹岩城と二本松を助く政宗彼等と戰ふ事、…
- p009…末なるに依て、政宗二本松を討たんとする所に、義廣又佐竹岩城と二本松を助く政宗彼等と戰ふ事、日々夜々、遂に一戰の利を得て、義廣を滅す、されば政宗が四隣…
- p009…を助く政宗彼等と戰ふ事、日々夜々、遂に一戰の利を得て、義廣を滅す、されば政宗が四隣にかたきを受けて、日夜の戰ひ止む時なく、道路既に差塞つて、近き境の…
- p009…が滅びんこと近きにあり、秀吉又王命に叛く東夷等を、悉くに征伐せんと欲す、政宗陳じ申す所詐る事なからんには、此程合せ奪うたる會津仙道の地、悉くに奉りて…
- p009…御下向を待ち奉るべきなり、此度の見參はまづ叶ふべからずとて、押て返さる、政宗急ぎ會津に馳せ下り、同き七月十三日、黑川を打立て、米澤の城に移り、關白の…
- p009…、秀吉大に悅び給ひ、やがて對面の上、色々の饗應事終り、自ら茶點して賜ひ、政宗を先き立てゝ、陸奧に下り給ひ、木村伊勢守をして、政宗が手より會津の城を受…
- p009…、自ら茶點して賜ひ、政宗を先き立てゝ、陸奧に下り給ひ、木村伊勢守をして、政宗が手より會津の城を受取しめ、會津仙道、幷に越後の國小河の庄、凡そ十二郡の…
- p009…崎の地、此處彼處逆徒蜂起して、木村が城々攻め落さると聞えければ、氏郷急ぎ政宗に牒し合せて、軍勢を率ゐ馳向て、逆徒を打滅す、かゝる所に伊達が譜弟の郞等…
- p009…て、逆徒を打滅す、かゝる所に伊達が譜弟の郞等、須田伯耆、氏郷の陣に來て、政宗會津仙道の地、奪れて安からず思ひ、賊徒等催して、國亂さんと、支度し候と告…
- p009…んと、支度し候と告てければ、氏郷さればこそ、初より怪しき事の多けれとて、政宗に心をゆるさず、關白奥に軍起りぬと聞召し、淺野彈正少弼長政、追討の御使を…
- p009…氏郷既に賊徒を退治して引返し、二本松にして長政に行合ひ、打連れて上洛す、政宗も同じく上洛し、讒者の實否を糺さんとて、都に上り、妙覺寺を旅舘とし、罪な…
- p009…き由を陳し申す、關白更に實事とし給はざりしかど、深き慮まし〱ければ、まづ政宗が伊達信夫刈田柴田等の郡をば、氏郷が此度の勳賞に賜ひ、木村が葛西大崎の地…
- p009…田柴田等の郡をば、氏郷が此度の勳賞に賜ひ、木村が葛西大崎の地を沒収して、政宗に賜ひ、天正十九年の六月、暇賜て、國に歸へさる、此說は、會津四家合考…
- p009…考に出づ、氏郷記には十九年九戶陣の後、伊達等の地賜ひしと見えたり、又政宗隱謀の申分けせし樣は氏郷記四家合考を合せ見るべし、成實日記は、詳ならず…
- p009…申分けせし樣は氏郷記四家合考を合せ見るべし、成實日記は、詳ならず、今年政宗岩手澤に移る、今の仙臺程なく賊徒起りて、宮崎の城に立籠たるを攻破つ…
- p009…も都に獻りければ、關白の御感を蒙り、其後侍從に任じ、朝鮮の事起りしかば、政宗干餘人を引具し、名護屋に陣す、…
- p010…の陣よりは、然るべき侍の出て制する者もなかりしかば、狼籍既に起らんとす、政宗が陣、無碍に近く、日比又德川殿にも利家にも親し、されども事出來なんには、…
- p010…、されども事出來なんには、德川殿の方人すべしと見えければ、家子郞等ら悉く政宗が陣に集り、今や事起ると待ちかゝる所に、德川殿の御內に渡邊服部兩半藏とて…
- p010…の陣の後なる山に打上りて、事起ると見ば、大將の陣を打破るべう見えしかば、政宗大に驚き、宗徒の家人二三人をして、兩方を鎭めぬ、…
- p011…明れば文祿二年三月政宗、淺野左京大夫幸長と、朝鮮に渡りて、手合にまづ釜山の邊りにて、朝鮮の兵八…
- p011…す、其後少將に任ず、同き四年二月氏郷卒して後、其男宇都宮に移されしかば、政宗仰を承り、歸國して、國務を沙汰す、此年七月、關白秀次、謀反の聞いありて、…
- p011…して、國務を沙汰す、此年七月、關白秀次、謀反の聞いありて、誅せられ給ひ、政宗も彼が與黨たるよし風聞す、政宗大に驚き、急ぎ大坂に趣き、まつ施藥院の家に…
- p011…關白秀次、謀反の聞いありて、誅せられ給ひ、政宗も彼が與黨たるよし風聞す、政宗大に驚き、急ぎ大坂に趣き、まつ施藥院の家に在て、罪なき由を陳ず、太閤御使…
- p011…ん程は、おのが館に籠居すべき由にて、都に登り聚樂の家にあり、かゝる所に、政宗が家子郞等、京中を焚き拂て切り死すべしと聞えて、洛中以ての外に騷動し、又…
- p011…が家子郞等、京中を焚き拂て切り死すべしと聞えて、洛中以ての外に騷動し、又政宗が太閤打ち奉らんとする謀の樣、一々にしるし、江戶中納言殿、伏見の御館の邊…
- p011…にしるし、江戶中納言殿、伏見の御館の邊に榜を建つ、太閤此榜の樣を御覽じ、政宗憎しと思ふ者のしたる、ごさんなれ、さては秀次に組せしなど云ふ事も、此榜建…
- p011…伊達上野、年經て後、親しき者に語りしを、聞きしと申す老人の申せしは、此度政宗が咎免されし事、偏に德川殿の御力なり、初め太閤政宗を伊豫の國に移さんとせ…
- p011…す老人の申せしは、此度政宗が咎免されし事、偏に德川殿の御力なり、初め太閤政宗を伊豫の國に移さんとせられしに、政宗大きに驚き、德川殿に就て愁訴せんとて…
- p011…し事、偏に德川殿の御力なり、初め太閤政宗を伊豫の國に移さんとせられしに、政宗大きに驚き、德川殿に就て愁訴せんとて、伊達上野幷に親しき家子一人添へて、…
- p011…、二人にたぶ、御心よげに、いろ〱の御物語どもあり、やゝありて、二人の使、政宗如何に待遠に存ずらん、御返事うけ給るべしと申せし時、御褥より下りさせ給ひ…
- p011…の貴賤、驚き騷ぐ事夥し、此よし大坂に聞えしかば、太閤事の樣をも見よとて、政宗が在國の家人等急ぎ召すべきよし、催促の御使を給はる、政宗が家子郞等を初め…
- p011…樣をも見よとて、政宗が在國の家人等急ぎ召すべきよし、催促の御使を給はる、政宗が家子郞等を初め、雜人ばらに至るまで或は弓押張り矢かき負ひ、鐵砲に火繩さ…
- p011…押張り矢かき負ひ、鐵砲に火繩さし挾み、槍長刀杖につき、大庭にみち〱たり、政宗御使と聞て、大童なるまゝにて、刀をも帶せず、兵者共おしわけ〱、門開かせ内…
- p011…にて、刀をも帶せず、兵者共おしわけ〱、門開かせ内に請じ入れ、仰せ承て後、政宗こたび仰せ承てより、此かた、家子郞等、僉議して曰く、何條先祖累代の地を離…
- p011…く、何條先祖累代の地を離れて、知らぬ國にさまよひ、天下に恥をさらすべき、政宗は尋常に腹を切れ、おのれらは、一々に討手の御使を待つて、切死仕るべきと議…
- p011…に腹を切れ、おのれらは、一々に討手の御使を待つて、切死仕るべきと議定す、政宗是を制して、言葉を盡すといへども、かゝる大臆病の主人とは、日頃思はぞと、…
- p011…、かゝる大臆病の主人とは、日頃思はぞと、一向に下知を用ゐず、さしも年頃は政宗が申さん程の事、如何なるひが事ならんにも、背く事なかりし奴原が、今政宗が…
- p011…は政宗が申さん程の事、如何なるひが事ならんにも、背く事なかりし奴原が、今政宗が殿下の御咎め蒙りて候へば、おのが主をも、あるものとも存せず、かゝる不思…
- p011…存せず、かゝる不思議を振舞ふ事に候、此由さだめて御聽にも達しけんが、全く政宗が所存にあらず、もし御尋あらんには、よきに申し開きて給るべし、又在國の家…
- p011…て、御使を返しぬ、德川殿も洛中の騷動を聞しめして、大坂に參り給ひ、都にて政宗が家人等を誅せられん事、何程の事か候べき、さりながら、在國の家人等、累代…
- p012…かくて太閤薨じ給ひて後、慶長五年の秋、景勝追討の事起る、政宗その手合の爲めに、德川殿に先立つて、本國に馳せ下り、軍勢催して先づ白石の…
- p012…、かゝる所に、德川殿の御使來て、石田等退治のため、まづ上方に登りぬべし、政宗在國の軍を止め、速かに岩手澤に引返し、重ねて御下知あらん程は、軍出すべか…
- p012…岩手澤に引返し、重ねて御下知あらん程は、軍出すべからずと仰せ下さる、其後政宗出羽の最上に加勢して、景勝が勢を打破る、關が原の戰事終りて、諸國一時に平…
- p012…が原の戰事終りて、諸國一時に平均し、天下既に弓を袋にし戈を包む、されども政宗やゝもすれば軍出して、景勝が地を侵し取らんとする事、明年の春に至て止まぞ…
- p013…關が原の軍終りて後ち、此年七月政宗長井の庄湯の原に發向し、明る慶長六年二月伊達郡宮越にて合戰し、景勝が兵を…
- p014…天下の大名、此度の勳賞として、國郡賜ひし人々多き中に、政宗僅か攻取る所白石の地のみ賜ひ、させる恩賞もなし、是は政宗が振舞ひ、かねて…
- p014…し人々多き中に、政宗僅か攻取る所白石の地のみ賜ひ、させる恩賞もなし、是は政宗が振舞ひ、かねてより仰せ下されしに違ふ事多きに依りし故なれば、政宗も恨み…
- p014…、是は政宗が振舞ひ、かねてより仰せ下されしに違ふ事多きに依りし故なれば、政宗も恨み申さず、同き十一年二月八日、政宗が家に成らせ給ひ、常陸の國龍が崎の…
- p014…れしに違ふ事多きに依りし故なれば、政宗も恨み申さず、同き十一年二月八日、政宗が家に成らせ給ひ、常陸の國龍が崎の地を賜ふ、此日父子に御刀賜ひしなり、…
- p014…が家に成らせ給ひ、常陸の國龍が崎の地を賜ふ、此日父子に御刀賜ひしなり、政宗に長光、忠宗に小原眞守といふ、但し龍か崎如何程の地にや知らず、…
- p014…ひける、これ大御所の御外孫なり、又此事は慶長六年の事なり、また政宗の娘をば、上總介殿の北の方に參らす、十三年、政宗御家號を賜る、來國光の…
- p014…六年の事なり、また政宗の娘をば、上總介殿の北の方に參らす、十三年、政宗御家號を賜る、來國光の御刀を賜ふ、大坂の軍起りし時、將軍家の先…
- p014…、此度の勳賞と聞ゆ、寛永三年八月十九日、從三位權中納言に任ず、同十三年、政宗病既に甚し、五月十三日、同十九日、左大臣家再び彼家にならせ給ひ、自ら其病…
- p014…家再び彼家にならせ給ひ、自ら其病を訪せ給ふ、例少なき御事なり、此月廿四日政宗積る年七十歲にて薨す、其子少將忠宗、家を繼き、明曆四年七月十二日卒す、六…
- p016…侍從兼遠江守藤原秀宗、伊達と稱す政宗が長子、初め文祿二年、右大臣秀賴生れ給ひし時、政宗其子秀宗が、いまだ幼き…
- p016…秀宗、伊達と稱す政宗が長子、初め文祿二年、右大臣秀賴生れ給ひし時、政宗其子秀宗が、いまだ幼きを、彼の御家人に參らす、太閤大に悅ばせ給ひ、同四年…
- p017…兵部少輔藤原宗勝、伊達と稱す政宗が末子なり、十男と云正保元年、將軍家に召し出さる、少將綱宗籠居の後…
相馬 第八下 · 13
- p004…景勝が兵起りし時、伊達左京大夫政宗は、急き本國に歸りて、搦手より攻め入るべき由の仰承て、大坂を打立ち、夜を…政宗은 左京大夫 아님
- p004…んとするに、相馬又累代の敵國なり、恙なく通らんこと、叶ふべからず、然るに政宗僅かに五十騎計、引具して、常陸の國を經て、岩城と相馬との境に至て、先づ相…
- p004…に至て、先づ相馬が許に、使者を立て、此度德川殿、上杉を征伐し給ふに因て、政宗搦手より向ふべき由を承りぬ、路次既に塞りて候ひし程に、東路に隨ひて、漸く…
- p004…ゞらんは、其詮なし、抑も窮鳥懷に入る時は、獵者もこれを殺さずとこそ承れ、政宗ほどの大名が、既に年來の恨を棄て、君を賴みて、來りしを、たばかつて、闇々…
- p004…國の境駒が峯に到らんこと、行程僅に三里、けふの日、未だ未の時に下がらず、政宗おのが境に、到らんとだに思はば、日ゆふべならざる間に、到りぬべし、それに…
- p004…四面に篝火たかせ、兵共に夜をめぐらせ、警衞心を盡してけり、義胤が士共も、政宗が餘りに取鎭めたる躰を見て、憎しいざ彼が振舞を試みんとて、夜更けて、馬一…
- p004…んとて、夜更けて、馬一二疋切て放つ、雜人原走り散て、以の外に、騷き罵る、政宗は小童一人に燭持たせ、白き小袖、上に打掛けて、左の手に刀提て、立出で、相…
- p004…、御人や候ふと云ひし時、さむらふとて參りければ、物音高う候ふ、何事にや、政宗が雜人原、狼藉候はんには、能く鎭めてたべとて、又內にぞ入りにける、斯て夜…
- p004…戰、事終り、天下悉く平きて、相馬既に世帶を沒收せられ、家亡ぶべきに極る、政宗德川殿に訴へ申けるは、相馬は只だにも、政宗が年頃の敵なり、夫に上杉石田等…
- p004…沒收せられ、家亡ぶべきに極る、政宗德川殿に訴へ申けるは、相馬は只だにも、政宗が年頃の敵なり、夫に上杉石田等に與みしたるが、一定に候はんには、政宗彼が…
- p004…も、政宗が年頃の敵なり、夫に上杉石田等に與みしたるが、一定に候はんには、政宗彼が爲に討たるべき時至て候ひしに、君の仰せ承り馳せ下る由を聞て、忽に舊き…
- p004…意見違ふ事あるべからずと、色代して罷出づること長き佳例となりにけり、其後政宗は、井伊掃部頭直孝を媒にて、大膳亮利胤に、中直りせんとしけれども、利胤聞…
- p004…頭直孝を媒にて、大膳亮利胤に、中直りせんとしけれども、利胤聞て、我家既に伊達殿の芳志に因て、本領を安堵すといへども、累代の敵國、私に中直りすべき事、其…
上總介殿 第十一 · 1
- p003…四万石此時十八万石同き十年四月十六日四位の少將になされ、十一年十二月伊達政宗が娘を迎へ給ひぬ、こゝに皆川山城守廣照は、昔介殿を取りて養ひ參らせし者な…
駿河殿 第十一 · 1
- p002…軍家失ひ參らせて駿河殿御代に立て參らせん由の、めぐらし文をめぐらす、此時松平陸奥守政宗、最初に將軍家に參りて、かくと申す、藤堂和泉守高虎これに續ぎ、其餘の人々…
蒲生 第十二上 · 1
- p003…の初關白御上洛の後、葛西大崎の地に賊徒起て木村父子を攻む、氏鄕此由を聞て伊達二郞政宗に牒狀し、軍勢を率る馳せ向つて是處彼處の賊徒悉くに打平く、明れば十九年の…
색인은 본문을 읽고 사람·지명 등에 개체 ID를 붙인 것입니다(표본 점검 정밀도 약 98.6%). 같은 이름의 다른 사람은 괄호로 구분했고, 지면 표기가 다른 비정은 문맥 주석에 적었습니다. 자세히