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遠藤
이 가문에 자주 나오는 인물·지명
인물 遠藤慶隆 24遠藤胤直 9遠藤盛数 5東常慶 5文覚 5遠藤胤好 4遠藤胤基 4遠藤胤縁 3遠藤盛任 3徳川家康 3金森長近 3遠藤望任 2遠藤盛光 2遠藤遠光 2東胤行 2豊臣秀吉 2金森可重 2遠藤慶利 2遠藤常季 2遠藤盛政 1土岐光衡 1織田信長 1千葉常胤 1東胤頼 1
지명 美濃郡上城 4関東 4美濃国大地 3摂津国大坂 3摂津国 2美濃国 2美濃国郡上郡山田荘 2美濃国小原 2朝鮮 2美濃国郡上郡 2美濃国関ヶ原 2美濃曽根城 1信濃国諏訪 1上方 1美濃国赤坂 1飛騨国 1
世に云ふ所、遠藤の家系、其說同からず、一には遠藤太郞左衞尉盛數、實は胤好が子、常慶其女に配せて、家讓りぬと、見えたり、常慶が讓を得て、其家を繼かんには、東とこそ名乘るべけれ、遠藤と名乘る事、心得られず、又一說には、遠藤は桓武平氏、其祖遠藤左近將監望任が子遠藤武者盛任が後、盛任十九歲にして出家す、文覺坊則是なりと見えたり、按ずるに文覺坊は、攝津の國渡邊黨にて、遠藤左近將監盛光が孤子、十三歲に成りける時、一門遠藤次郞瀧口遠光と云ふ者、元服させて、父盛光が盛を取り、鳥帽子親遠光が遠を取て、盛遠と名付けしとは見えたり、其父の名、望任にもあらず、又其俗名の盛任なるにもあらず、又文覺坊の子ありと云ふ事も心得られず、思ふに、是れ文覺坊が一門なる遠藤が後なるを、かく誤り傳へしも知るべからず、又遠藤氏は、藤氏の由、見えたり、桓武平氏なるべき事も、亦心得られず、但し美濃國の遠藤は、平氏也と云ふ事、東が家を繼きしに依れる歟、其家の說を聞かざれば、如何とも分つべからず
慶長五年の秋、東西の軍起りし時、當國の人々、多くは大坂の催促に從て、岐阜中納言秀信の手に從ふ、慶隆思ふ所あれば、其催促に從はず、斯る所に、德川殿の仰として、榊原式部少輔康政が許より、急き東國に組し參らすべき由、傳へければ、慶隆大に悅ひ、頓て東國の味方として、纔なる勢を以て、一族を離れ、多くの敵の中に在て、軍を起す、先祖累代の傳領なれば、郡上の郡、下し給はらんには、速に八幡の城、攻め取るべき由、金森法印に付て、關東に申す、法印が子出雲守可重は慶隆が婿なればなり德川殿、本領安堵の御敎書を成されて、法印が子息出雲守可重、加勢の事承り、夜を日に繼て、馳せ登り、慶隆が許に牒し合せ、終に八幡の城を攻め下す、程近ければ、先づ此由を中納言殿のおはします諏訪の御陣に告け申す、御消息賜て、速成の功を賞せらる、慶隆が一族にて、婿なりける同き小八郞胤直が、當國大地と云ふ所に在て、上方に組せしをも、終に攻め伏てこそ降してけれ、
其系圖を按ずるに、遠藤太郞左衞門尉盛數が兄同新兵衞尉胤緣、其子大隅守胤基、文祿二年、朝鮮に押渡り、彼地の軍中に死す、其男小八郞胤直と云ふ、慶隆は此胤直が家承けし樣に見えたり、いぶかし、慶隆は盛數が子と見えき、然れば小八郞が父大隅守胤基と、慶隆とは、從弟にして、小八郞又慶隆が第二の娘を妻とせる也、或記に太閤の時、慶隆が本領二萬六千石の地、二つに分て、慶隆には小原の地七千五百石、大隅守胤基には、大地の地一萬八千五百石を賜ひしかば、慶隆安からぬ事に思ひし故、此度も大坂の催促にも從はず、東國に組して、終に本領を合せ領したりと記しぬ、此說の如くならば、慶隆小八郞胤直が家を繼きしにあらず、系圖に見えし樣は、慶隆小八郞が家を合せ領せしと云ふ事なるべし、但某が見し系圖に誤あるにや、