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土方
이 가문에 자주 나오는 인물·지명
인물 土方雄久 22徳川家康 8織田信雄 6斎藤龍興 5豊臣秀吉 4大野治長 4前田利長 4岡田重孝 3斎藤道三 3土方雄高 3土方彦三郎(雄久父) 2浅野長政 2土方雄氏 2源頼親 1源頼光 1土方秀治 1織田信長 1斎藤義龍 1斎藤喜平次 1斎藤孫四郎 1佐竹義宣 1結城秀康 1豊臣秀頼 1徳川秀忠 1
지명 加賀国 3美濃国関ヶ原 3美濃国 2能登国 2摂津国大坂 2伊賀国 1尾張犬山城 1下野国小山 1近江国大津 1北陸道 1伊勢国 1伊勢国三重郡 1近江国栗太郡 1東海道 1陸奥国岩城 1奥州 1
或記に云ふ、土方雄久若かりし時、美濃守護齋藤右兵衞佐龍興に賴れて、齋藤山城守が子二人を、同じ枕に切り伏せ、北畠の家人岡田を誅せられし時も、雄久武勇を顯せりと云ふ、岡田を誅せしは勿論なり、龍興が爲に山城守が子討ちしといふ事、如何があるべきや、龍興が亡ひしは、永祿七年八月の事なり、此時雄久十二歲、龍興いかでかく幼き者を賴むべき、又龍興が弟殺せし事いまだ聞かず、山城守が嫡子右兵衞大夫義龍、二人の弟喜平治孫四郞を討ちし事あり、此等を誤り傳へしなるべし、其家の系譜にも、此事見えず、世に誤り傳ふる事此類猶多し此年秀吉軍起して北畠殿と戰ふこと、度々に及び、同き冬、信雄秀吉中直りし給ふ時、雄久使を承て、事調ひしかば、其賞行はれて、尾張の國犬山の城をぞ賜りたりける、四万五千石信雄流され給ひし後、關白家に召仕はる、太閤薨し給ひ、明る慶長四年の秋、淺野彈正少弼長政が計らひにて、雄久大野修理亮治長と共に、德川殿さし殺し參らせんと結搆すと申す者ありしかば、如何なる罪にも行はるべかりしに、德川殿寬宥の御沙汰あつて長政己が國に籠居し、雄久治長、流されて大名に預けらる、土方は佐竹に大野は結城殿に同き五年の秋、東西一時に軍起る、德川殿雄久を小山の御陣に召し、御使にさゝれて、加賀國に馳せ向ふ、此れは中納言利長、外戚につきて雄久と親しかりし故とぞ聞えける、外從兄弟と申すなり關が原の合戰終りて後、雄久利長と共に大津の御陣に來りて見參に入る、雄久が御使の賞、行はるべしとぞ聞えければ、或人德川殿を諫め參らせて、抑も彼の雄久が、初め君を失ひ申さんとせし罪、輕からず夫れが命助けさせ給ふだに候を、重て所領賜はんこと餘りに賞の過きたるにや候と申けるに、汝が申所、理あるに似たり、さりながら彼等が初の謀、家康に私の仇を搆ふるにあらず、偏に秀賴の爲に忠を致さんと思ふにあり、古の人は舊惡をだに思はずと聞け、これは短慮の誤てる所なり、何ぞや深くこれを咎むべき、まして此度の騷亂に、雄久我が爲に使して、北陸を鎭め、治長又關が原の先駈す、家康に功なしといふべからず、如何で其賞なかるべきとて、遂に所領を賜ひけり、
慶長十三年十一月十二日、雄久五十六歲にて卒す、嫡子丹後守雄氏、父が所領を分ち賜ふ、伊勢國三重郡一万石、近江國栗本郡1二千石、凡一万二千石なり雄氏初め關が原の戰に、海道の御供し、大坂前後の戰に、將軍家の先陣し、首二つ切て献り、身煩ふ所ありとて、寛永十二年三月、子息木工助雄高に家を讓る、雄高男子なかりしかば、舍弟立圓入道が子を養て世嗣とす、備中守雄豐、雄高が家を繼き市正に任す、其子木工助豐高、靱負某
- 近江國栗本郡 — 지면 그대로. 「栗太郡」의 저본 오식으로 보임
掃部頭源雄重は、河内守雄久が二男、慶長九年年九歲にて關原に參1り、將軍家に近仕し、父が遺領分ち賜ふ、大坂前後の戰に從ひ、首八つを献り、元和八年九月廿八日、所領の地加へ賜ひ、岩城にて五千石を加へられ二万石を領す、能登の國にて一万石奧州にて一万石といふ、寛永五年十二月廿九日卒す、三十七歲、其子河內守雄次、父に繼く其嫡子山城守雄直二男民部某
- 關原に參 — 지면 그대로. 慶長九年 문맥이라 「關東」의 저본 오식으로 보임. 미확인