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斎藤龍興
본문 표기 龍興・齋藤右兵衞佐龍興・屋形・右衞門督龍興・右兵衞督龍興
土方 第八下 · 5
- p002…或記に云ふ、土方雄久若かりし時、美濃守護齋藤右兵衞佐龍興に賴れて、齋藤山城守が子二人を、同じ枕に切り伏せ、北畠の家人岡田を誅せら…
- p002…人岡田を誅せられし時も、雄久武勇を顯せりと云ふ、岡田を誅せしは勿論なり、龍興が爲に山城守が子討ちしといふ事、如何があるべきや、龍興が亡ひしは、永祿七…
- p002…誅せしは勿論なり、龍興が爲に山城守が子討ちしといふ事、如何があるべきや、龍興が亡ひしは、永祿七年八月の事なり、此時雄久十二歲、龍興いかでかく幼き者を…
- p002…如何があるべきや、龍興が亡ひしは、永祿七年八月の事なり、此時雄久十二歲、龍興いかでかく幼き者を賴むべき、又龍興が弟殺せし事いまだ聞かず、山城守が嫡子…
- p002…永祿七年八月の事なり、此時雄久十二歲、龍興いかでかく幼き者を賴むべき、又龍興が弟殺せし事いまだ聞かず、山城守が嫡子右兵衞大夫義龍、二人の弟喜平治孫四…
遠山 第九上 · 1
- p001…德川殿に仕へ奉り、菅沼小大膳定利が手に屬られたり、或書に友政初め美濃守護齋藤右兵衞佐龍興に屬しければ、信長の爲に亡されしと記す、不審、天正十年、信濃の木曾、武田…
稻葉 第十上 · 2
竹中 第十二下 · 11
- p001…郡岩手の城にあり、重治幼くして父に繼ぎ、菩提の城に在り、生年十九歲、主の右兵衞督龍興を恨むる事あつて己が主從僅に十六人、永祿七年三月十八日の夜、稻葉山の城を…
- p001…あつて己が主從僅に十六人、永祿七年三月十八日の夜、稻葉山の城を襲ひ取る、龍興辛き命のがれて落ち行く、織田殿この由聞き給ひ、其城參らせたらんには、美濃…
- p001…に參らせて所領賜らん事、望む所にあらずとて參らせず、一歲を經て後に城をば龍興にぞ歸し與へける、…
- p002…しく變れり、重治童なる時には、年頃よりは愚かに見えたる人なりけり、元より龍興が被官たれば、質として舍弟久作を城中に置きけり、龍興も此人の愚かに見えし…
- p002…る人なりけり、元より龍興が被官たれば、質として舍弟久作を城中に置きけり、龍興も此人の愚かに見えしを侮て、常に無禮の事共多かりけり、十九歲の時城に登り…
- p002…に見えしを侮て、常に無禮の事共多かりけり、十九歲の時城に登りて返りしに、龍興が侍共、主の常に侮るにならひて、櫓の上より重治に小便をしかけてけり、重治…
- p002…ぬ躰にもてなし、押拭ひておのが城に歸り、舅の安藤伊賀守が許に行て、重治は屋形を恨み參らする事あつて、襲ひ參らせんと思ふなり、加勢給はるべしといふ、安…
- p002…なり、加勢給はるべしといふ、安藤もあはれ愚かなる人かな、我等が小勢を以て屋形を傾けんこと叶ふまじと思ひしかば、此事ゆめ〱然るべからずと敎訓して歸す、…
- p002…ふためく所を十七人の者共、此處彼處に切て廻る程に、討たるゝもの少からず、龍興からき命を助りて落ち去りぬ、城中に早鐘鳴し出て以の外に騷動しける程に、安…
- p002…鞭鐙を合せて馳せ來るに、城をば既に重治が手に取てけり、其後安藤が計ひにて龍興重治中直りして城をば龍興に返し與へ、重治は近江の國に去てけりとぞ、…
- p002…城をば既に重治が手に取てけり、其後安藤が計ひにて龍興重治中直りして城をば龍興に返し與へ、重治は近江の國に去てけりとぞ、…
색인은 본문을 읽고 사람·지명 등에 개체 ID를 붙인 것입니다(표본 점검 정밀도 약 98.6%). 같은 이름의 다른 사람은 괄호로 구분했고, 지면 표기가 다른 비정은 문맥 주석에 적었습니다. 자세히