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加賀国
본문 표기 加賀・加賀國・加賀の國
越前 第一 · 1
- p009…取したゝめ、出しまるらせけり、慶長十九年十二月四日のあした、越前の軍勢、加賀の兵と先を爭て、眞田が城を攻めし時、國松殿眞先を懸け玉ひ、天下に名を揚け…
本多 第四上 · 1
- p004…河內國須奈に陣して、奈良口の敵を防き、五月七日、城中の兵、出戰ふに及び、加賀勢の右に出て、敵陣を打破り、嫡男下總守俊次二男美作守忠相等みづから首きつ…
大久保 第四中 · 1
- p009…、明れば慶長六年の秋、大納言家の姫君、大相國家此時には權大納言、加賀國へ入らせ給ひしに、忠隣して送らせらる、七年の五月佐竹が仙北に徒されし時、…
石川 第四中 · 1
- p001…に從はぬ者をば、攻ふせ〱歸服せしむ、是を其時に一揆といひしなり、大坂長島加賀越前等の一揆といふ是なり、北國の大將は、下野の住人下妻が末葉にて、加賀の…
太田 第六 · 1
- p008…、其後賴房卿の御娘を養君とせらる、左大臣家彼の御娘とりて御子となし玉ひ、加賀の光高朝臣へ配せ玉ふこれ大姫君と申せし御事なり、寛永十一年六月尼御前、鎌…
前田 第七上 · 8
- p002…庄へ趣く、秀吉續て北庄を攻落せば、勝家腹切て死す、秀吉また利家を賴みて、加賀の國を平け、其賞として石川河北二郡を與へ、御山の城を守らす、御山は今の金…
- p002…二郡を與へ、御山の城を守らす、御山は今の金澤の城なり、かくて利家、加賀能登の境、末森と云ふ所に城廓を構ふ、佐々內藏助成政越中にあり、北畠…
- p002…傳を仰置る利長をば御いたきもりと定らるといふ父利家薨じて後、加賀越中の地を領し、八十一万石を領す、能登國は舍弟侍從利政が領せしなり、…
- p002…能登國は舍弟侍從利政が領せしなり、此年八月廿八日、利長入部のために、加賀の國に赴く、かゝる所に、石田三成が謀にて利長謀反の由にて討手向ふべしと聞ゆ、…
- p002…度の軍に怠りしに依て、彼の所領沒收せられ、利長が勳功の賞として、能登國に加賀の能美江沼二郡そへて下し賜る、明れば六年五月十一日、利長の養子犬千代丸元…
- p002…し、德川殿より御家號賜りて、侍從兼筑前守になされ、同き九月中納言殿の姫君加賀國に下らせ給ふ、七年正月の末、利長關東に赴き、大納言家へ此時台德院殿大納…
- p007…守利孝極て母の愛せし子なれば、連れて關東に下らる、關が原の軍終て後、利長加賀能登加へ賜ひ、かの母の方へも一万石の地賜ひき、又土方河内守雄久にも、上野…
- p007…なり此時に老母關東にあれば、其便よからんために、利長望みて、土方が領と、加賀の地と替へて七日市をば芳春院の領とす、大和守又芳春院より傳領せしともい…
上杉 第八下 · 7
- p003…ける、此後爲景、越中の國府內の城に住し、越後の國をも打隨へ、天文十一年、加賀國へ發向し、敵の爲に欺かれ、梅檀野と云ふ所にて、闇々と討れ死にけり、…
- p004…これは爲景、一向宗の一揆平げんとて、加賀國に向ふ、敵欺て降參して案內し、路におとし穴、所々に拵て、爲景が軍勢を導て…
- p005…越後國悉く靡き隨ひぬ、さらば父爲景が吊ひ軍、あるべしとて、越中國に打入て加賀能登を隨へ、佐渡國へ押渡る、斯る所に、十六年の八月、信濃の國の住人村上義…
- p009…十四歲より、弓矢を取て三十六年、北陸東山東海の諸道に、威を震ひ、越後越中加賀能登佐渡飛驒上野半國餘下野半國餘陸奥二郡出羽五郡…
- p013…感して、父政景が領せし植田三庄を始めて、殘る所なく返し賜ふ、十五歲にて、加賀能登の軍に高名し、廿四歲の時、輝虎卒し、景虎と戰て、三年の中に討ち亡す、…
- p013…なかりき、輝虎死し、國亂れしと聞くよりも、上杉が國々打取て領せよやとて、加賀國をば佐久間玄蕃允、能登をば前田又左衞門尉、越中をば佐々內藏助に、分ちたぶ…
- p017…處彼處の城々落して、小田原に至り、北條亡ひて後、關白殿に隨て、奧に下り、加賀の筑前守利家と、陸奥出羽の撿地し、朝鮮の軍起りしかば、名護屋の陣に隨ひ、…
丹羽 第八下 · 3
土方 第八下 · 3
一柳 第九上 · 1
- p005…万石の中にて、五千石を分つと云ふ直興後に罪蒙り、寛文五年七月廿九日、加賀の國へ流され、加賀守綱利に預けられて家絕えぬ、…
織田 第十下 · 1
- p003…り、此上は如何がせましと案じ煩ふ內に、關が原の合戰事終りぬ、子息の宰相、加賀の中納言利長と共に大津の御陣に參られけれど、仕出したる事もなければ、唯何…
本多 第十一 · 5
- p001…人にあらずとぞ感しける、正信松永が許に仕へたりしにや詳ならぞ其後又加賀の國に趣き、小山の邊り山中といふ所に至りて留り住む、天正十年の春武田四郞亡ひ…
- p001…殿より仰ありて正信を召さる、織田殿に伴ひ給ひ御上洛ありと聞えしかば、正信加賀國を立つて大津の宿に至る、殿は和泉の堺に趣かせ給ふと聞て、頓て彼處に參らん…
- p002…一向專修の門徒等、此處彼處に蜂起して、世には是を一向の一揆とぞいひける、加賀の國は、殊に其徒の多かりし程に、正信を迎へて一方の大將とは仰きたるなり、また…
- p005…正信男子三人あり、嫡男上野介正純、二男安房守政重は加賀國にあり、三男大隅守忠純といふ、上野介正純年十九より大御所に仕へ、終に執事…
- p010…に、正重瀧川左近將監一益が足輕大將となつて城を攻め破る、十二年九月十三日加賀の國前田筑前守利家が足輕大將として末森の城の後卷し、佐々內藏助成政が勢と戰ひ…
最上 第十二上 · 2
稻葉 第十二下 · 2
松倉 第十二下 · 1
- p009…是は去年十二月四日に越前加賀の勢、互に先を爭つて城に攻め近づく、藤堂和泉守が手に隨ひし大和勢、我れ劣…
색인은 본문을 읽고 사람·지명 등에 개체 ID를 붙인 것입니다(표본 점검 정밀도 약 98.6%). 같은 이름의 다른 사람은 괄호로 구분했고, 지면 표기가 다른 비정은 문맥 주석에 적었습니다. 자세히