家一覧 › 第十二下 › f199
村上
秀政が男左衞門督秀治が越後の國に移りし時、村上も同じく移て、本庄の城を領す、今の村上の城なり九万五千石餘慶長五年の夏德川殿、上杉中納言を追討あるべきにて、越後國の人々は左衞門督秀治に隨て、北陸道より奧に向ふべしと定めらる、かゝる所に上方また軍起りしかば、先づ東國の軍をば止められ、上方に向はせ給ふに因つて、村上等は已が國に止て上杉を防ぐ、此國元は上杉が傳領の所なれば、彼に心を合はせて、賊徒國中に蜂起す、溝口伯耆守宣勝1等と力を合せて此處彼處打平ぐ、
- 溝口伯耆守宣勝 — 底本のまま。慶長5年越後一揆の際の新発田城主は溝口秀勝(伯耆守)で、宣勝はその子である。どちらを指すか未確認