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溝口秀勝
本文表記 秀勝・溝口・溝口伯耆守・溝口伯耆守秀勝・伯耆守源秀勝・竹丸・金右衞門尉・溝口金右衞門・溝口竹・金右衞門・伯耆守秀勝・溝口伯耆守宣勝
堀 第七上 · 2
丹羽 第八下 · 1
- p003…出ければ、丹羽が宗徒の家人引すぐつて、長束大藏大輔村上周防守溝口伯耆守靑山修理亮靑木民部少輔戶田武藏守寺西下野守上田…
溝口 第九上 · 13
- p001…伯耆守源秀勝は、尾張の國の住人、溝口彥左衞門尉勝政が男なり、昔し逸見又太郞義重、承久…
- p001…國に在り、其後尾張國に遷て、溝口の地に住せしより、溝口とは名乘れるなり、秀勝未だ竹丸と申して童なりし時より、丹羽五郞衞門尉長秀に仕へ、元服の後、金右…
- p001…、其後尾張國に遷て、溝口の地に住せしより、溝口とは名乘れるなり、秀勝未だ竹丸と申して童なりし時より、丹羽五郞衞門尉長秀に仕へ、元服の後、金右衞門尉と…
- p001…秀勝未だ竹丸と申して童なりし時より、丹羽五郞衞門尉長秀に仕へ、元服の後、金右衞門尉と名のる、天正九年四月十六日、計らざるに織田殿に召出され、御家人に連り、…
- p002…世嗣絕えしかば、彼の所領八千石の地を分ちて、三千石は武田孫八郞、五千石は溝口金右衞門に賜ひしと云々、信長記に溝口竹としるす、竹とは童名なり、此頃は金右衞門と…
- p002…分ちて、三千石は武田孫八郞、五千石は溝口金右衞門に賜ひしと云々、信長記に溝口竹としるす、竹とは童名なり、此頃は金右衞門と申せしなり、…
- p002…口金右衞門に賜ひしと云々、信長記に溝口竹としるす、竹とは童名なり、此頃は金右衞門と申せしなり、…
- p003…、柴田修理亮勝家、越前の國に引返へす、筑前守秀吉、續て攻め入り給ひしに、秀勝手勢引具し、敦賀の津にて、秀吉の御手に馳せ加り、先駈して戰ふ、頓て其賞行…
- p004…世に傳ふる所は、織田殿失せ給ひて、溝口元の主人なれば、丹羽に属す、天正十三年の夏、長秀卒す、今年秀吉越中の佐々…
- p004…終に長重が所領を奪はる、これより丹羽が家人、多く秀吉の家人になさる、此時溝口等も、秀吉に召出さると云、不審、…
- p005…同き五年の秋、東西一時に軍起りし時、當國は陸奥に隣て、大事の所なれば、秀勝德川殿の御方として、己が城を守て、賊徒等國中に蜂起せしを討ち平く、同き十…
- p005…の御方として、己が城を守て、賊徒等國中に蜂起せしを討ち平く、同き十五年、秀勝六十三歲にして卒す、嫡子伯耆守宣勝、初め太閤諱字賜て、秀信と名乘る、叙爵…
- p006…伊豆守源善勝は、初の字は孫左衞門伯耆守秀勝が二男なり、慶長六年、生年十八歲、初て大御所に見參し、此年叙爵して、伊豆…
村上 第十二下 · 2
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