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松平忠輝
本文表記 介殿・上總介殿・辰千代殿・君・辰千代丸・越後少將殿・此御子・上總介忠輝・少將・忠輝
松平(能見) 第二 · 2
井伊 第四上 · 1
- p010…上野國安中に住むべしと仰下さる、安中は直勝が所領なればなり、十四年の冬、上總介殿に近江國まゐらせられ、澤山の城に住せ玉ふべし、直勝は信濃國河中島に移るべ…
奧平 第六 · 5
- p013…七郞康忠をまうけらる、康忠、文祿二年の冬卒し玉ひ、世嗣なし、大御所の御子上總介殿して其家を繼せらる、元和二年の秋、上總介殿流され玉へばこの下總守忠明を以…
- p013…し玉ひ、世嗣なし、大御所の御子上總介殿して其家を繼せらる、元和二年の秋、上總介殿流され玉へばこの下總守忠明を以て、其家を繼せらると云々、此事慥なる實紀に…
- p013…へばこの下總守忠明を以て、其家を繼せらると云々、此事慥なる實紀に見えず、上總介殿長澤の家繼せ玉ふ事は勿論なり、上總介殿流され玉ひし時は、忠明既に大坂の城…
- p013…ると云々、此事慥なる實紀に見えず、上總介殿長澤の家繼せ玉ふ事は勿論なり、上總介殿流され玉ひし時は、忠明既に大坂の城を守て、十万石を領せり。如何なるゆゑ有…
- p013…され玉ひし時は、忠明既に大坂の城を守て、十万石を領せり。如何なるゆゑ有て上總介殿の御跡を受けしといふにや、覺束なし、但し此家の紋、奧平家と同しからぬは、…
土屋 第六 · 3
伊達 第七下 · 1
- p014…大御所の御外孫なり、又此事は慶長六年の事なり、また政宗の娘をば、上總介殿の北の方に參らす、十三年、政宗御家號を賜る、來國光の御刀を賜ふ、…
溝口 第九上 · 2
上總介殿 第十一 · 45
- p001…上總介殿は德川殿第六の御男、御母は於茶阿の御方後に朝覺院殿と申す才ある物がた…
- p001…御男、御母は於茶阿の御方後に朝覺院殿と申す才ある物がたり多き御方也介殿初め生れさせ給ひし時、如何なる故にや德川殿御子ともし給はず、八藏になり給…
- p001…德川殿御子ともし給はず、八藏になり給ひし時、長澤殿うせ給ひ世嗣なければ、介殿して其家つがせらる、…
- p002…、これ德川殿と同じ流にして岩津殿の御すゑ德川殿の御妹婿なり、世に傳ふるは介殿生れ給ひし時、德川殿御覧じけるに色きはめて黑く、皆さかさまに裂けて恐しげ…
- p002…しげなれば、憎ませ給ひて捨てよと仰あり、皆川山城守廣照とりて養ひ參らせ、辰千代殿と名づけまゐらす、七歲にならせ給ふ時、此御子さが〱しくまします事共聞召さ…
- p002…城守廣照とりて養ひ參らせ、辰千代殿と名づけまゐらす、七歲にならせ給ふ時、此御子さが〱しくまします事共聞召され、いかにや生ひたちぬらんとて召さる、つく〱…
- p002…けり、文祿二年の冬長澤殿うせ給ひてのち、山城守廣照かの家のおとなと相謀り辰千代殿してかの家つがせんと望みしかば、御許しありといふなり、…
- p003…慶長七年の春下總國佐倉の城を賜らせ給ひ、上總介忠輝と名のり給ふ、明れば八年二月六日信濃國川中嶋に移り給ひ、元四万石此時…
- p003…なされ、十一年十二月伊達政宗が娘を迎へ給ひぬ、こゝに皆川山城守廣照は、昔介殿を取りて養ひ參らせし者なりければ、彼家につけられて信濃の國飯山の城を賜ふ…
- p003…けられて信濃の國飯山の城を賜ふ、四万石を領す皆川が傳は別に見えたり介殿御年さかりにならせ給ふほど、あら〱しき御振舞のみ多くして、國中の上下、悉…
- p003…月廣照、山田長門守松平讃岐守と打連れて駿河の國府に參て、此由を愁ひ訴ふ、介殿關東にてかくと聞召し、夜を日に繼きて大御所へ馳せ參らせ給ひ、山城守おのが…
- p004…初め大御所の召仕れし小童に、花井三九郞と云ふもの亂舞堪能の者なりければ、介殿いとけなくまします時、この事敎へ申せとて參らせらる、やがて於茶阿の御方が…
- p004…敎へ申せとて參らせらる、やがて於茶阿の御方が、昔まうけし娘にあはせけり、介殿の異父同母の御姉聟なりければ、双なき御覺えにて遠江守に受領し、家の事司ど…
- p004…異父同母の御姉聟なりければ、双なき御覺えにて遠江守に受領し、家の事司どる介殿かれが申さん程の事は、如何なる事をも用ゐ給はずと云ふ事なし、宗徒の御家人…
- p004…め、御歸依の僧達に至るまで、深く賴みて花井が罪まぬかれん事を歎き申し、又介殿へも、かくと告け申されしかば、國府に馳せ參らせ給ひて、如何に仰せ拔かれけ…
- p005…り關東に下向まします、ことし十二月廿三日松平大隅守重勝に三條の城を給ひて介殿につけらる、十九年の冬大坂の軍起る介殿は關東に留り守り給ひ、元和元年の夏…
- p005…日松平大隅守重勝に三條の城を給ひて介殿につけらる、十九年の冬大坂の軍起る介殿は關東に留り守り給ひ、元和元年の夏重ねて軍起りしかば、介殿は村上溝口等に…
- p005…冬大坂の軍起る介殿は關東に留り守り給ひ、元和元年の夏重ねて軍起りしかば、介殿は村上溝口等に先陣うたせて、北陸道より打て上らせ給ふほどに、近江國守山の…
- p005…上らせ給ふほどに、近江國守山の宿にして武者二騎、若黨十二三人つゝ引具して介殿の御勢に押並びて打て行く、御先を打ちし人々、なに者なれば乘打ち仕るぞ、馬…
- p005…入る、平井三郞兵衞安西右馬允追詰めて組て伏せ刺殺してぞ捨てゝける、さても介殿初より大和路の大將軍承らせ給へども、五月六日道明寺の戰爭終て後着かせ給ひ…
- p005…の御氣色宜からず同八月の初め大御所都を立たせ給ひ、水口に至らせ給ひし時、介殿將軍の御家人誅せられぬと聞召され、其邊りの者共、御推問ありしに事實なりし…
- p005…此後永く御對面の事叶ふべからざる旨を仰せ遣さる、同九月十日勝隆馳せ歸り、介殿陳し申させ給ふやうを聞召して、御氣色いよゝゝ宜からず、…
- p006…らせ給ふ折、長坂血鑓が訴へ申すに因て、彼れが弟十左衞門並に伊丹彌藏二人が介殿のために誅せられぬること始て知召され、八月六日關東に着かせ給ひ、同十日に…
- p006…のために誅せられぬること始て知召され、八月六日關東に着かせ給ひ、同十日に介殿の家人召して長坂伊丹誅せられし事を御糺問ありしに、介殿守山の宿を過きさせ…
- p006…かせ給ひ、同十日に介殿の家人召して長坂伊丹誅せられし事を御糺問ありしに、介殿守山の宿を過きさせ給ふほど馬武者二騎若黨十四五人つゝ具して、すぐ御さきを…
- p006…過きさせ給ふほど馬武者二騎若黨十四五人つゝ具して、すぐ御さきを走る者共、上總介殿の通らせ給ふに何者なれば狼籍なりと咎めしに、我等二人の主になきものを、何…
- p006…くるを追かく、二人馬のり棄てゝ道の邊りの家に逃け入る、是故に其儘に打捨て介殿通らせ給ふ、二人待ちかけて、太刀ぬき連て切て出づ、御供の輩我も々々と打物…
- p006…ては、誰某と知らずとも、事既に終りて後、など御家人とは知らざらん、それに少將が此旨を申さゞる事、尤も驕恣の至なりと仰ありしかば、介殿大に恐れ給ひ、さ…
- p006…らざらん、それに少將が此旨を申さゞる事、尤も驕恣の至なりと仰ありしかば、介殿大に恐れ給ひ、さらば平井安西を召搦め長坂伊丹が一族に渡さるべしと議せらる…
- p006…の書を獻る、これ大坂の戰に怠らせ給ひし事の由を告げ申せし所とも申すなり、介殿のきり人花井主水遠江守が子なり關東に召され安西と召决せらる、花井ま…
- p006…なり關東に召され安西と召决せらる、花井また大御所に召されて駿河に參り、介殿大坂の戰に合はせ給はざる由を御推問ありて、尙尋ねらるべき事ありとて召いま…
- p006…て、尙尋ねらるべき事ありとて召いましめられ、松平忠左衞門尉を御使として、介殿へ仰せられしは、去りしころ關東の御家人二人、恣に誅せられ其事を申し謝せら…
- p006…ん跡の事思ひやられぬ、且此度都にありし時、我れ將軍家と共に内に參りしに、忠輝病と稱して供奉に候せず、川道遙のため嵯峨の邊に出で、日をくらし又暇をば賜…
- p006…く將軍の御家人討ちし輩を召取つて、關東に參らせらるべき者かとありけるに、介殿聞召して長坂伊丹を殺せし事、步行侍凡三百餘人が中に取込めて討ち留む、何れ…
- p006…似たりと、一々に言葉を飾て陳じ申し給ひし程に、大御所の御怒り殊に甚しく、介殿の步侍の頭山田將監富永大學、此由を聞て、すべからく早く我等二人を以て、か…
- p006…り、將軍家へ參らせられん下手人を、搦めで參らせ給はん事、頗る緩怠に似て、君の御爲しかるべからずといふ、小澤松岡此事を相論して日を移す、かの步侍三人…
- p006…いふ寺に走せ入て、此度長坂伊丹等を討ちしには侍らず、身不肖には候へども、君の御爲に死を顧みず、下手人たらん事を望み畢んぬ、然るに縲絏の耻を蒙りて關…
- p007…介殿大に恐れ給ひ將軍家に就きて御歎き申させ給ひけり、かくて明れば元和二年正月…
- p007…月の末より、大御所御違例の事ありて、將軍家夜を日に繼きて馳せ參らせ給ふ、介殿この由聞召し此際に及びて、かく御勘氣かうふらせ給ふ事を深く歎き給ひしかど…
- p008…世に傳ふるは介殿御勘氣うけ給ひし後、駿河の宿老より既に御不審かうふらせ給ひて、猶も御國に…
- p008…に、主の罪訴ふる事、勇士の本意にあらずとて、是も首をば刎られたり、かくて介殿藤岡に歸らせ給ひ五十餘日を送り給ひて後、將軍家宿老の人々より、御愁訴緩々…
- p008…、越後國に向ひ小笠原左近大夫長政、信濃國に向ひて城々を受取る、八月十二日介殿伊勢國に趣かせ給ふとて、大御所より賜らせ給ひし相國寺と聞えし御茶入、浪游…
- p010…世に傳へしは、飛驒國へ移され給ひし時、御使は中山勘解由なり、介殿仰せけるは初め此所に流されし時、に御許しを蒙り自害すべき由を申せしに、御…
- p010…、いかにも彼が心に任せて、御使は速に罷り歸るべしとありしかば、中山此由を介殿に申し御暇を申し關東に歸らんとす、如何が思ひ返させ給ひけん、此上は汝よき…
- p010…預り人金森出雲守重賴が手に渡し參らせて、中山は御暇申て關東に歸る、かくて介殿御心改らせ給はず、けしかる御振舞の多ければ、金森守護し參らせんこと如何に…
皆川 第十一 · 5
- p001…殿の御手に屬し東國に止る、大田原の邊に陣取しと也同き八年二月六日、上總介殿に信濃國にして所領の地、參らせられし時、廣照かの御傳になされて飯山の城を…
- p001…らせられし時、廣照かの御傳になされて飯山の城を給ぶ、四万石を領す、是は上總介殿幼なく渡らせ給ふ時、廣照取て養ひ參らせし故なり然るに介殿の御振舞…
- p001…は上總介殿幼なく渡らせ給ふ時、廣照取て養ひ參らせし故なり然るに介殿の御振舞荒々敷まし〱て、古き老臣共の諫をも用ゐ給はず、十四年九月廣照を初…
- p001…て、山田長門守松平讃岐守等、駿河の國府に參て密かに大御所に訴へ申ければ、介殿この由關東にて聞召され、夜を日に繼て馳せ參らせ給ひ、一々に陳じ申させ給ひ…
- p001…せ、慶長五年十一月十九日叙爵す、父が罪蒙りし時、隆庸も其綠坐に處せらる、上總介殿御行ひ改らたまらせ給はず、大御所の御不興蒙らせ給ひ、終に流されさせ給ひぬ…
最上 第十二上 · 2
村上 第十二下 · 5
- p004…や、但しこの子といふ字、守といふ字を誤りしも知らず、世には亡びし周防守は上總介殿の家人花井主水正が妹婿の由をも傳ふ、しからば長秀に仕へし周防守にはあらざ…
- p005…同き十五年の春秀治の男越後守忠俊、罪かうむりて上總介殿に越後國を賜らせ給ふ、村上又彼御手に從ひ、元和元年の夏大坂に向ふ、介殿軍…
- p005…總介殿に越後國を賜らせ給ふ、村上又彼御手に從ひ、元和元年の夏大坂に向ふ、介殿軍の事怠らせ給へば、御手に屬せし人々も戰に合はず、明れば二年七月介殿流さ…
- p005…ふ、介殿軍の事怠らせ給へば、御手に屬せし人々も戰に合はず、明れば二年七月介殿流されさせ給ひし時、村上も罪かうむりて、所領沒收せられてけり、是れ上總…
- p005…介殿流されさせ給ひし時、村上も罪かうむりて、所領沒收せられてけり、是れ上總介殿の家老花井主水正の緣坐のよしなり…
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