家索引 › 上杉氏
上杉氏
本文表記 上杉
越前 第一 · 1
- p001…上方の軍勢は、みな國〱の集り勢、何十萬騎ありとて、何程の事かあるべき、抑上杉が家は、累代坂東の大將にて、中にも故輝虎入道が時に至り、弓矢取て天下に肩…
酒井 第四上 · 2
本多 第四上 · 1
- p004…年五月、德川殿、任大臣の御時、康俊叙爵して、縫殿助に任ぜらる、同五年奧の上杉を御征伐の時、御陣に隨ひ、上方の軍起ると聞て、御陣に隨ひて馳上り、美濃國…
井伊 第四上 · 1
- p006…御下向あり、大坂の奉行等、其隙を窺ひて、天下の軍勢を催し、關東に攻下り、上杉と牒じ合て、德川殿を討んとす、其事下野の國小山の御陣に聞ゆ、御供にさふら…
大久保 第四中 · 3
安部 第四中 · 1
- p001…死したり、子息信盛幼なかりしを大坂に召れて、父が跡を繼がせらる、此年奧の上杉を御退治のとき、本多佐渡守正信が手に屬して馳向ふ、其後信盛、將軍家に召仕…
渡邊 第四中 · 1
- p001…人を增して五十人を屬せらるといふ、九戶名護屋等の御陣に從ひ、奧の上杉追討のとき、足輕の兵百人を屬せらる、此時南蠻の鎧を給はり、足輕五十人…
小笠原 第六 · 4
- p001…を生き延びず、近く召仕ふ小童のために刺れて死せしぞ無慙なる、かくて越後の上杉、當國に攻入るべしと聞えしかば、貞慶同國の住人高坂眞田等の人々と同しく、…
- p001…信濃に打入たり、貞慶を先として、高坂眞田等、北條の多勢をや恐れけん、忽に上杉を背きて、北條に從ひ、景勝と戰はんと、屋代川中島を經て、善光寺に向ひて、…
- p001…では打出たれ、此事既に顯はれ、高坂誅せられぬと聞えけり、かけあひの軍に、上杉と戰はん事叶べからずとや思ひけん、此處より引返して、甲斐國に入て、德川殿…
- p001…歸る、同き九月貞慶三千餘人を率ゐて、川中島に打ち出て、龍王の城を襲うて、上杉大將清野入道が爲に清就軒と云破られて、鹽尻に引返す、同國の住人保科…
岡部 第六 · 1
- p001…所領の地を賜ふ、一萬二千石關が原の戰には、下野國黑羽根に陣取つて、上杉が勢と戰はんとす、慶長十二年伏見の城を守る、是を城番といひしなり同…
屋代 第六 · 3
秋元 第六 · 4
- p001…にては源氏なりと申、其系圖を見ねば、其祖出し所群が累代の先祖關東の管領上杉の家人井草秋元園庭とて、武藏國の深谷三人の宿老なり、相摸の北條、威を關東…
- p001…深谷三人の宿老なり、相摸の北條、威を關東に奮ひしよりこのかた、主なりける上杉も、北條に屬ひぬ、天正十八年の春、關白殿北條を伐ち玉ひし時、泰朝が父越中…
- p001…上方の軍勢攻下りなん、此事如何あるべきとありしに、本多佐渡守正信、謀て、上杉が家老直江山城守が許に、越中守長朝を使として、云ひ送る旨ありしかば、奧方…
- p001…する所の國を獻て、德川殿に見參し、天下忽に事なく治りぬ、これは秋元が先祖上杉の被管にして、しかも長朝、智謀ゆゝしき者なれば、かゝる大事の御使を再ひま…
堀 第七上 · 1
- p003…東山二手に分つて攻せ上らせ給ふに依つて、秀治奧に向ふに及ばず、越後に在て上杉勢を防く、同き十一年、三十二歲にして卒す、其男久太郞生年十二歲にして家を…
堀 第七上 · 2
上杉 第八下 · 17
- p002…家、四流あり、白井惣社宇留窪足利等の長尾なり、中頃より、此等の長尾、悉く上杉の家老たり、これ長尾もと上杉の家より繼がれし故に、長尾が子孫又上杉の被官…
- p002…足利等の長尾なり、中頃より、此等の長尾、悉く上杉の家老たり、これ長尾もと上杉の家より繼がれし故に、長尾が子孫又上杉の被官たりしにや、後に上杉憲政の、…
- p002…、悉く上杉の家老たり、これ長尾もと上杉の家より繼がれし故に、長尾が子孫又上杉の被官たりしにや、後に上杉憲政の、長尾輝虎に家號と管領の職とを讓れるも、…
- p002…、兩家元由緣あるが故なるべし、されど時行が亂に、長尾の家絕えたりとても、上杉のゆかりならで、其家つぐべき樣もなし、想ふに長尾が一族の中に、足利殿に仕…
- p002…想ふに長尾が一族の中に、足利殿に仕へし者ありしが、夫れに子なかりしかば、上杉が子養て、嗣とせしにや、かくあれば、家は長尾なれど、血脈は此時より藤氏な…
- p003…元弘建武の後に至て、尊氏將軍の三男左馬頭基氏、鎌倉の管領に備り給ひし時、上杉は御外戚の家なれば、世々關東の執事とはなりたるなり、此後いつとなく、上を…
- p003…るなり、此後いつとなく、上を僣し下に驕つて、鎌倉殿を私に將軍と崇め、執事上杉を管領殿と仰きぬ、安房守憲顯が時より、伊豆上野越後三箇國を領しければ、子…
- p003…箇國を領しければ、子孫自ら此國々に居住す、鎌倉の左馬頭持氏、失せ給て後、上杉が權勢、日々に强くして、關東の諸大名、靡き從はずと云ふ事なし、又長尾は、…
- p003…關東の諸大名、靡き從はずと云ふ事なし、又長尾は、其家の老なりしかば、是も上杉が領せし國々に分れ住む、輝虎が父長尾信濃守爲景に當て、主君越後の上杉民部…
- p003…境なる長森原に、出向て戰ひ、高梨が爲に打負て入道終に討れにけり、此入道上杉中興の管領たり年五十七歲子息憲房、越後國に溜りかね、上野國に引返し、…
- p005…て迎ひ入れ御館殿と仰きつゝ、よきにかしづきまゐらす、憲政大に悅ひ、景虎に上杉の家繼がせ、管領の職讓りしかば、彈正大弼從四位下藤原政虎と名乘て、上杉の…
- p005…に上杉の家繼がせ、管領の職讓りしかば、彈正大弼從四位下藤原政虎と名乘て、上杉の管領とは申しけり、政虎頓て入道し、謙信と號す、甲陽軍鑑には廿三歲に…
- p012…りしこと九年を經て、十四歲の時、父爲景が主君上杉顯定を失ひ、己が子六郞を上杉の世嗣とせしことを憤り、上杉譜代の士と、心を通じ、如何にもして、上杉の家…
- p012…時、父爲景が主君上杉顯定を失ひ、己が子六郞を上杉の世嗣とせしことを憤り、上杉譜代の士と、心を通じ、如何にもして、上杉の家を興さばやと思ひしに、程なく…
- p012…郞を上杉の世嗣とせしことを憤り、上杉譜代の士と、心を通じ、如何にもして、上杉の家を興さばやと思ひしに、程なく父討たれ、天文三年、兄の六郞、姉婿の政景…
- p012…を行ひしこと、昔人には多くありし俗なり、謙信遺言して、葬りし有樣、又今も上杉の家にて、謙信の像に仕ふる儀範を聞くに、罪障懺悔の爲に、持戒せしとは見え…
- p013…使奉り物獻ずる事、更に空しき月なかりき、輝虎死し、國亂れしと聞くよりも、上杉が國々打取て領せよやとて、加賀國をば佐久間玄蕃允、能登をば前田又左衞門尉…
佐竹 第八下 · 2
秋田 第八下 · 1
- p006…せり、實季陳じて、實季元より當家に對し參らせ、二心を存ぜず、是を以て、上杉に與して、出羽國由利の郡八島の庄、自然古の城に立籠りたる敵を攻め破り、百…
眞田 第九上 · 7
- p003…更級の住人村上義清と戰て、討たれぬ、幸隆所領を失て、長野信濃守を賴て、上杉の家人なり上野の國簑輪の城に在り、甲斐の武田大膳大夫晴信、信濃國を打…
- p003…勝、又當國に發向すと聞えしかば、信濃國の國人、眞田蘆田小笠原を始て、永く上杉が被官たるべしと、起請文を書て、越後國へぞ參らせたる、同き六月十八日、景…
- p003…國へぞ參らせたる、同き六月十八日、景勝信濃に發向す、眞田を始て、國人等皆上杉が陣に至て見參す、斯る處に、北條左京大夫氏直、武藏上野を經て、信濃國を隨…
- p003…が陣に送りければ、眞田等はや顯はれぬと、氏直の先陣して、川中島に向つて、上杉と戰はんとす、上杉其勢四千餘人、四千三百餘と申すなり北條が五万餘騎…
- p003…眞田等はや顯はれぬと、氏直の先陣して、川中島に向つて、上杉と戰はんとす、上杉其勢四千餘人、四千三百餘と申すなり北條が五万餘騎に向て、五万五千…
- p003…すなり北條が五万餘騎に向て、五万五千人と申也戰はんとぞ進みたる、上杉が少勢あなどり憎しとや思ひけん、北條爰より引返し、甲斐の國に打入て、德川…
- p003…はんには、御勢を賜て攻取らるべうもや候と、仰せられ候へと、答へ參らせて、上杉の家人須田相摸嶋津淡路に就きて、景勝に申しけるは、昌幸むかし…
戶澤 第九下 · 1
- p003…、引き返へす、斯て關が原の合戰、上方の軍敗れぬと聞えて、此程最上と戰ひし上杉の大將直江山城守兼續、上山の城を去て、米澤に引て入る、義光三男清水大藏大…
那須 第九下 · 1
- p001…に軍起りし時、資晴德川殿の味方として、宇都宮の城に、人質を參らせ、奥方の上杉と戰はんとす、天下既に德川殿に歸して後、同き七年の頃より、資晴常に大御所…
北條 第十一 · 6
- p001…成かくと見るよりも三千人を引具して、城戶押開き切て出づ敵散々に打成されて上杉終に亡びてけり、…
- p002…、この年十六歲是も氏康の寵を受く、綱成氏康の命蒙て武藏の河越の城を守り、上杉に背きし侍五百人を召出し、己が此度賜りたる所領、悉くに分ち與へ、人質一々…
- p002…悉くに分ち與へ、人質一々に取りて城中に込む、天文七年の秋綱成廿四歲の時、上杉が八万騎押寄せて河越の城を攻む、氏康謀を運らして後卷せんとす、因て謀を城…
- p002…て、やす〱と城中にこそ入てけれ、去程に此夜七月十五日子の刻ばかりに、氏康上杉が陣に切て入り立さま横さま切て廻る、寄手討たるゝもの一万六千餘人手負ふ者…
- p002…、氏康かねて謀りし事なれば、急き軍勢を集めて松山の城にぞ引籠る、案の如く上杉が侍大將等、討ち漏されたる軍兵を集て、氏康と戰はんと取て返す、氏康既に松…
- p002…ば十六日左衞門大夫綱成、城中の兵一騎も殘さず引具して打て出づ、打集つたる上杉が軍勢を、散々に駈け破つて松山の城にぞ入りにける、世に傳ふる河越の夜軍是…
最上 第十二上 · 1
- p002…、夏目が記には義氏としるす、いづれかよろしき、〇按ずるに天正十六年八月、上杉が被官本城越前守重長が爲に、庄內三郡をば攻め取られしなり、…
堀尾 第十二上 · 2
里見 第十二上 · 1
- p003…と同じく下野の國宇都宮の城に留て景勝と戰はんとす、關が原の戰ひ事終つて、上杉佐竹降つて後此度の勸賞として、常陸國鹿島郡を分つて義康にぞ賜ひける、三…
藤田 第十二下 · 9
- p001…七郷の庄をも打從へ、八王寺天神山等の城を構へて移り住む、關東の管領上杉にぞ屬してける、藤田太田とて上杉が下にて二人の大名といふ上杉が家衰…
- p001…神山等の城を構へて移り住む、關東の管領上杉にぞ屬してける、藤田太田とて上杉が下にて二人の大名といふ上杉が家衰へ北條が起るに及んで、關東の侍悉く…
- p001…の管領上杉にぞ屬してける、藤田太田とて上杉が下にて二人の大名といふ上杉が家衰へ北條が起るに及んで、關東の侍悉く北條に隨ふ、左京大夫氏康北條…
- p001…國名護屋に馳せ集る、中納言景勝安藝の國に差懸り、宮嶋の宿に陣取らんとす、上杉が侍大將安田上總介先陣に打つ、かゝる所に德川殿の御勢六七百、既に宮嶋の宿…
- p001…安田德川殿の御家人に使立てゝ、抑も此度都にて路次の先陣後陣定められしに、上杉は三番德川殿は四番とこそ承れ、それに上杉に先達て陣取らせ給はん事、叶ふべ…
- p001…にて路次の先陣後陣定められしに、上杉は三番德川殿は四番とこそ承れ、それに上杉に先達て陣取らせ給はん事、叶ふべからず、速に此所をさけ渡さるべしと云はせ…
- p001…て十万石東國の御道しるべ仕るべしと仰せ下さる、入道承りて抑も入道が上杉が家を立ち去りし事、如何にもして讒人の訴ふる所を申披き、我二心なき事を顯…
- p001…を運らす、關が原の戰事終て後、景勝終に降人になつて參る、信吉頓て御暇給て上杉が家に歸らんとす、德川殿信吉を御前に召され、汝が主初に兵を擧て世を亂る、…
- p001…は、初め賜ひし所の那須の地領せん事、相違あるべからずと仰せ下さる、信吉猶上杉が家に歸らん事を望みしかば、景勝德川殿に參りし時、信吉を召出され、ありし…
村上 第十二下 · 2
成田 第十二下 · 3
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