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堀秀治
본문 표기 秀治・左衞門督秀治・左衞門督藤原秀治
堀 第七上 · 6
- p001…左衞門督藤原秀治は、利仁將軍八代の孫、堀權大夫秀高が末孫、故左衞門督秀政が男なり、初め美…
- p003…秀政男子三人、嫡男は左衞門督秀治、二男美作守親良、三男近藤信濃守政成といふ、秀治父に繼ぎて、四位の侍從兼…
- p003…男子三人、嫡男は左衞門督秀治、二男美作守親良、三男近藤信濃守政成といふ、秀治父に繼ぎて、四位の侍從兼左衞門督になされ、慶長三年越後國を賜て、春日山の…
- p003…六万石を給ひしと云ふ、同き五年の秋、德川殿上杉中納言を伐たせ給ひし時、秀治北陸道より奧に攻入るべしと仰せ下さる、かゝる所に、大坂の軍起りしかば、ま…
- p003…ば、まづ東國の軍をば止めて、東海東山二手に分つて攻せ上らせ給ふに依つて、秀治奧に向ふに及ばず、越後に在て上杉勢を防く、同き十一年、三十二歲にして卒す…
- p004…、四万石、此內一万石は家人近藤織部重勝領せしと云、慶長七年兄秀治が二男鶴千代丸を養うて所領讓り、我身は都に上り住む、一万八千石を鶴千代…
堀 第七上 · 6
- p002…て堀と名のらす、此時源氏を改めて、藤氏と稱すといふ、秀政の子秀治、越後に移りし時、三條の城を守る、五百石を領せしといふ、慶長五年の亂…
- p002…と申しければ、太閣幼き身にて望み申す所神妙なりとぞ仰られける、慶長三年、秀治越後國を給ひし時に及びて、三十郞直寄、丹後守に任ぜられ、かの國の目代にな…
- p002…任ぜられ、かの國の目代になされ、坂戶の城を領す、殿下より一万石を給ひ、秀治又一万石を與へ、合せて二万石を領す同き五年の秋、東西軍起りし時、…
- p002…合て四万石を領すといふ說あり、實記には見えず、覺束なし、同き十一年、左衞門督秀治卒し、越後守忠俊繼ぐ、十三年、監物直政死して、嫡男雅樂助直清、父に繼て監…
- p004…と云ひしは覺束なし、但し初めの四万石も、一万石は太閤より給ひ、一万石は秀治より與へ、大御所より給ひし所二万石、合せて四万石、此度忠俊の國亡ひし上は…
- p004…大御所より給ひし所二万石、合せて四万石、此度忠俊の國亡ひし上は、太閤秀治より賜ひし二万石は、自から失せて、大御所より給ひし二万石ばかりを元のま…
村上 第十二下 · 3
색인은 본문을 읽고 사람·지명 등에 개체 ID를 붙인 것입니다(표본 점검 정밀도 약 98.6%). 같은 이름의 다른 사람은 괄호로 구분했고, 지면 표기가 다른 비정은 문맥 주석에 적었습니다. 자세히