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丹後国
본문 표기 丹後の國・丹後・丹後國
保科 第一 · 1
- p001…此年賜りし事見えず、高遠城は京極修理大夫兼領せし所なり、修理大夫此年丹後を賜りて移れる上は、正光此時たまはりし事疑ふべからず、大坂の兵起りし…
京極 第七上 · 1
- p002…在家に、火を掛けて、大津の城に至りしに、城をば既に攻落さる、同き十一月、丹後の國を賜て、十二万七千石丹後守になされて、此度の功を賞せらる、高和田邊…
細川 第七下 · 8
- p007…彼の兄弟に御致書賜て賞せらる、天正六年彼の父子三人が、年來の功を賞して、丹後國を藤孝にぞ賜りける、此後は忠興常に織田殿父子の軍に從つて、此處彼處に戰ふ…
- p007…彼處に戰ふ、明れば十年の夏、織田殿明智光秀が爲めに討れ給ふ、初より藤孝は丹後にあり、忠興この時山陽に向はんとて、本國にぞ歸りたる、明智は忠興が舅なり…
- p007…の時山陽に向はんとて、本國にぞ歸りたる、明智は忠興が舅なりければ、やがて丹後に使たてゝ、光秀年頃の本意とげて、織田殿父子失ひぬ、折ふし攝津國闕國に侍…
- p011…、おとなしき者共に、兵をば少し附て、豐後の國へ下して、杵築の城を守らす、丹後には藤孝入道に年老たると、幼けなき者共とばかり殘り居て、はか〱しく軍すべ…
- p012…ん事、叶ふべからず、此よし又都に聞えしかば、三條西大納言、綸命を含みて、丹後の國に下向あつて、速に勅に應じて、其城を去るべしとありければ、入道畏りて、普…
- p012…りけり、されば其勳賞に此年、豐前の國一圓に下し賜ひぬ、按るに、忠興初め丹後の國十一万石を領し、其後杵築の地五万石を加へられ、此度豐前の國にうつりて、…
- p013…だ備らず、こゝに彼の藤孝入道は、世々の公方に仕て、しかも當時の有職なり、丹後の國を出でしより、都にのぼり、仁和寺の邊に、幽かなる栖居して、籠り居たり、德…
- p017…の國片岡の城の先懸し、能き首取て城を落せしより、一生の高名、數多し、藤孝丹後に移りし時、父に属して峯山の城にあり、小田原滅ひし時、兄忠興と共に韮山の…
小出 第十上 · 4
- p004…にして石田三成が計ひにて、秀賴の仰と稱して、德川殿の御方人細川三位法印が丹後の國を攻むべしとて、丹波但馬の軍勢を向けらる、大和守吉政其催促に隨ひ丹後國に…
- p004…丹後の國を攻むべしとて、丹波但馬の軍勢を向けらる、大和守吉政其催促に隨ひ丹後國に向ふ、關が原の軍終て後、遠江守秀家が初より御方に候ひしに因て、父と兄と…
- p004…後又上方に軍起りて、秀賴の仰也と披露あつて、殊に丹波但馬の軍勢を催して、丹後國を攻めらるゝ上は、彼と云ひ是と云ひ、秀政辭すべき所にあらず、嫡子吉政をば…
- p004…政をば向はせしと見えたり、德川殿も此人他人の例に準ずべき者ならねば、吉政丹後を攻めしこと何の御咎もなし、其後市正且元も、かの仰せ置かれし御言葉を思て…
谷 第十上 · 1
- p001…ば、父子の事、詳なることを知らず慶長五年の秋、石田三成等が兵起りし時、丹後國を攻めんとて、丹波但馬の軍勢を差向く細川越中守忠興は德川殿に隨て奧に下る…
生駒 第十二上 · 1
- p001…かゝる所に上方にも又軍起りて、一正が男左近大夫正俊は、大坂の催促に從ひ丹後の國に向ふ、一正元より東國に在て德川殿の味方に加はり參らせけれは、海道の先駈…
稻葉 第十二下 · 1
- p009…通大に怒て京極が家人の此所通らん奴、打つて此恨晴さん者をと待ち居たるに、丹後の國の飛脚通りぬと聞て、急き櫓に飛ひ上り、自ら鐵砲を放ちて打ちしに、京極が飛…
杉原 第十二下 · 1
- p004…りて父が家を繼くと云ふ、慶長五年の秋東西の軍一時に起り、但馬の國の人々は丹後の國に向ふ、細川が領なり長房も其催促に隨ひて寄手にぞ候ひける、關が原の…
前田 第十二下 · 1
- p003…終に隨はず、玄以が男主膳正茂勝は大坂の催促に隨ひ、丹波但馬の人々と同じく丹後の國に向つて細川が城を攻む、關が原の軍終て後、別の義を以て茂勝本領を安堵す、…
松倉 第十二下 · 2
색인은 본문을 읽고 사람·지명 등에 개체 ID를 붙인 것입니다(표본 점검 정밀도 약 98.6%). 같은 이름의 다른 사람은 괄호로 구분했고, 지면 표기가 다른 비정은 문맥 주석에 적었습니다. 자세히