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武田氏
본문 표기 武田・甲斐の武田・武田家
保科 第一 · 1
- p001…其子彈正忠正直、初め越前守とぞ申ける、天正十年の春、織田三位中將信忠卿、武田を亡さんとて、信濃國に發向あり、正直仁科五郞信盛と、勝賴の弟伊那の…
松平(形原) 第二 · 1
- p001…、德川殿に隨ひて、所々の戰に高名す、家信、父家嗣に繼ぎて、天正十年の秋、武田亡ひ、織田殿失せさせ玉ひ甲斐信濃の國々亂る、家信いまだ又七郞と申て生年十…
松平(深溝) 第二 · 1
- p001…ゐらす、伊忠御方に有て、額田の郡野羽の古城を攻破る、其後長澤の城を守て、武田が兵を防く、高名度々に及びて後、長篠の合戰の時、鳶巢の要害を攻めて討死す…
松平(久松) 第三 · 1
- p002…事なり深く歎き玉ひ、かれが兄源三郞、今川殿へ質とし、駿河國にありしを、武田がために奪はれ、かろうじて彼國を逃れ出て、深雪の中を蹈わけて、手足の指み…
酒井 第四上 · 9
- p005…屬せらるゝといふ、源三郞殿は、久松の男、德川殿異父同母の御弟、此後武田が今川を亡ぼせし時、おのが國に取參らせてゆく、頓て歸り給ひしなり、此…
- p005…じと、玆より山路を歷て、本國へぞ歸りける、同三年十二月三方が原の合戰に、武田が侍大將小山田備中守が陣を討破る、天正元年二月、忠次鳳來寺の城を攻落す、…
- p007…月より攻られしなり、又小山の城攻むべしと議せらる、忠次諫め參らせて、武田が城既に落ちぬ、此後所々皆かくこそあるべけれ、まづ此度は御勢を返さるべう…
- p007…、みづから眞先に進み、左衞門尉忠次我なりと名乘かけ〱、敵の勢をうち破る、武田が方にも高坂彈正忠、主人を强て諫めければ、戰ひに及ばず、同き四年二月七日…
- p007…き四年二月七日上杉管領輝虎より忠次に書をぞ給りける、是れ德川殿と相謀て、武田を亡さんとの事なりけり、夏目が記を考るに、元龜三年の秋、德川殿より遠…
- p007…に書を贈れりと記す、然れは今年初て上杉と好み結ばれしにあらず、同六年武田北條黃瀨川に對陣せし時、其隙に乘して、駿河國に入玉はんと、議せられしに、…
- p007…駿河國田中の城をせめ、十月高天神城おちしとき、首四十二切て獻る、同き十年武田亡ひし時、先陣打て甲斐に入り、織田殿、駿河遠江三河を經て、本國に歸り玉ふ…
- p007…て、御設けの事、沙汰せらる、四月十二日織田殿濱松に至り、忠次に向ひ、此度武田を討し事、是れ併しながら、德川殿の武功による所なりと宣ひて、夜いたく更く…
- p007…ぐして向ふ、國人等あへて忠次が命に從はず、かゝる所に、北條左京大夫氏直、武田が領せし國々從へんと、數萬騎を引卒して、打て入ると聞えしかば、忠次信濃國…
本多 第四上 · 2
本多 第四上 · 2
本多 第四上 · 2
井伊 第四上 · 2
榊原 第四上 · 3
大久保 第四中 · 8
- p003…餘人、敵の陣取たる犀が棧に押寄せ、鐵炮こと〱しう、續けざまにぞ打つたる、武田にては、今夜夜討のあらんとは思ひ設けず、俄の事にてはあり、敵思ふにも似ぬ…
- p003…べからず、家康が軍のやう、あなどりにくしとて、明れば井谷に引入る、今夕武田が兵、犀が棧に落て死するもの數千人といふは僻事にや、大久保が物語並…
- p003…岩が勢、同しく續て打て出、兄弟まづ足輕を出し、敵に向て鐵砲を一度に放つ、武田が方にも、山縣三郞兵衞昌景、千五百人、是も同じく下り立て、錣を傾け、面も…
- p003…此年六月七日忠世二俣の地を賜ひ、皆野の原に、要害搆て、二俣の城を攻む、武田が加勢も來らざれば、城の大將依田右衞門尉信蕃こらへかね、忠世に城をさけわ…
- p003…られける、かゝりし程に、德川殿古國府に御陣を居立られて、山林に伏し隱れし武田が家の士をも、皆御家人にめされて後、十二月廿一日、濱松に歸り玉ふ時、忠世…
- p003…召るゝ事、度々に及へども參らず、主の行方、覺束なしとて、甲斐國に歸りき、武田が兵多き中に、彼が忠を存ぜしに、似たるものも候はず、又忠世二俣田中の兩城…
- p010…ふ老翁、御館へ參りて、本多佐渡守に申事あり、この馬塲といふ者は、元は甲州武田が士、年頃御勘氣を蒙て、相摸守に預られて、小田原の城にあり、相摸守に我罪…
- p012…將近松丹波守を討ち、天正三年五月長篠の合戰に、兄の忠世を勸め、先駈して、武田が勢を打破て、織田殿の御感に預る、忠世の記に詳なり、長湫の戰に、御…
石川 第四中 · 2
鳥居 第四中 · 1
- p001…、此年武田四郞亡び、元忠等仰を承り、古府中に陣を取る、北條左京大夫氏直、武田が國を爭うて、甲斐國に向ふ、元忠三宅惣左衞門康俊等と、御方わづかに六百餘…
內藤 第四中 · 1
- p001…る中にも、天正三年五月廿一日長篠の合戰に、御方いまだ陣の行も成さゞるに、武田が物見の者と見えて、武者三騎、引かけ〱出來り、馬の鼻を並て、此方に向て打…
安部 第四中 · 1
- p001…て八向山を守る、敵樽井山に要害かまへしをも、又攻め落して、陣を移す、斯て武田が大將三浦右馬助、樽井山に寄せ來るを、父子戰て打破る、此時御書をな…
戶田(田原) 第四下 · 1
- p002…兵衛等なり、元龜二年七月、遠江國濱名の住人、德川殿に背き、城を去て、武田に組す、忠次本多百助と同く、御使を承り、かしこに行向ふ、此所の士を二つに…
戶田 第四下 · 1
- p001…とす、酒井左衞門尉忠次、諸軍を下知して、打て出づ、一西眞先に進み戰つて、武田が家の侍一人當千と聞えたる廣瀨鄉左衞門尉と、互ひに名乘て鎗を合はす、甲…
松平(松井) 第四下 · 3
西郷 第四下 · 1
- p001…を攻落し、天正六年より此かた、譜代の御家人等と輪番して、牧野の城を守り、武田既に亡ひし秋、甲斐國に向ひ玉ふ時、駿河國江尻の城に留て、北條が勢を防き、…
永井 第五 · 1
- p007…天正十年の春武田亡ひし後、德川殿、安土に參り給ひければ、御供の人々の座を分ちて、右大臣殿…
稻垣 第五 · 1
- p001…へ、長茂が身に及て、右馬允康成を輔て、家の事を司る、天正十年の秋、德川殿武田が國々打從へんとて、御勢を向られし初め、長茂仰を承て、足高山の麓、天神川…
奧平 第六 · 6
- p003…、多くの敵を討つ、同き三年、貞能が父監物貞勝入道道文を始とし一族、甲斐の武田に從ふ、貞能も亦これに同じ、天正元年七月、德川殿、長篠の城を攻め玉ふ時、…
- p003…窃に德川殿に志を通し、敵の謀を一々に告け知らせ奉る、奧平が作手の城にも、武田が侍大將甘利左衞門尉馳せ加る、其上貞能が謀をば、一族等にも深く包みければ…
- p003…を去て、宮崎瀧山に要害構て立籠る、創業記に、貞能が父の道文入道幷に二男は武田に組みすとあり、按ずるに、道文は文祿四年十月九日八十四歲にて卒す、二男と…
- p004…德川殿此よし聞召し、御勢を加らる、貞能父子、武田勢と戰ふこと止む時なし、貞能一族を離れ、おのが城を捨て、子息信昌、武田が…
- p004…、武田勢と戰ふこと止む時なし、貞能一族を離れ、おのが城を捨て、子息信昌、武田が許に質とせし、最愛の妻を捨て、父子同じく御方に參る事、其志尤も深し、其…
- p007…へて賜ひ、其外に物多く給て歸さる、是より信昌と名のるといふ同き十年武田亡ひ、織田殿失せ給ひ、信昌、酒井忠次と共に、信濃の國に向ひ、伊奈の郡を打…
小笠原 第六 · 6
- p001…にたらで、深志の城に立籠る、晴信つゞきて攻ければ、此城にも、たまり得ず、武田に城をさけ渡す、晴信大に悅ひ、武田小笠原同し流れの源氏なり、何か苦しかる…
- p001…ゞきて攻ければ、此城にも、たまり得ず、武田に城をさけ渡す、晴信大に悅ひ、武田小笠原同し流れの源氏なり、何か苦しかるべき甲斐の國にて、所領一所、參らせ…
- p001…國にて、所領一所、參らせんと曰せたり、長時聞て、我等が先祖兄弟より分る、武田は兄なれど甲斐に住し、小笠原は弟なれど都に在り、足利殿に近侍せしに依て、…
- p001…なれど甲斐に住し、小笠原は弟なれど都に在り、足利殿に近侍せしに依て、常に武田が下に立たず、今長時が時に至りて、彼家の被官たらん事、思ひもよらぬ事なり…
- p001…三男右近大夫貞慶をば、織田殿に參らせたり、天正十年の春、木曾左馬助義政、武田に背きて、織田殿に從ふ、三位中將信忠卿、信濃國を經て、甲斐の國に攻め入て…
- p001…て、織田殿に從ふ、三位中將信忠卿、信濃國を經て、甲斐の國に攻め入て、終に武田を討亡し、木曾が功莫大なり、其賞これ輕かるべからず、本領あれば、木曾郡は…
岡部 第六 · 3
諏訪 第六 · 2
土屋 第六 · 6
- p001…卿法印公深七代の孫、金丸伊賀守藤次が玄孫なり、藤次が時に至て。甲斐の源氏武田が被官となり、武田一族の名字なりとて、一色を改て秋山と名のらせ、又家人金…
- p001…、金丸伊賀守藤次が玄孫なり、藤次が時に至て。甲斐の源氏武田が被官となり、武田一族の名字なりとて、一色を改て秋山と名のらせ、又家人金丸が家を繼かせけれ…
- p001…方散々に亂れしに、昌次一人、晴信入道の側を離れす、入道大に感じて、土屋は武田譜代の家人、今は其家絕えたるなり、昌次して名字繼せんとて、金丸を改て土屋…
- p001…引破り〱、切て入らんとせし所に、忽ち鐵炮に中つて死す、三十一才此日武田が軍勢さん〱に戰つて、討るゝ者數を知らず、虎義が五男昌次が舍弟總藏昌恒…
- p002…兄右衞門尉昌次が家を繼きしにはあらず、初め駿河の岡部忠兵衞といふ者あり、武田に從て後、岡部は忠ある者なりとて、これも土屋と名のらせて、備前守と云ふ、…
- p003…武田が家滅ふる時に當て、一族郞從悉く心變して、後矢射ける程に、勝賴行くべき方…
屋代 第六 · 1
- p001…はす、甲陽軍鑑を考るに屋代は七十騎の大將と記せり、天正十年、武田が家の滅し時、丸子の城に立籠り、越後の上杉に屬し、本領の地を安堵す、此時…
池田 第七上 · 1
- p007…同し年又羽柴秀吉と共に、淡路の國に押渡り、安宅駿河守を攻め降し、十年の春武田亡ひしに、兄弟共に先陣す、父入道して後、紀伊守となる、…
森 第七下 · 1
- p001…六歲にり軍して、度々の高名を顯はし、當時京家の輩は、鬼武藏とぞ名付たる、甲斐の武田が亡ひし時、長一先陣を承る、信濃甲斐上野等の國々打從へ、信濃の更級高井水…
上杉 第八下 · 2
佐竹 第八下 · 1
- p001…に當りて、關東の管領上杉亡ひしかば、關東八家の人々、悉く北條に隨ふ、北條武田軍起りて後、常陸下野の國人等、又北條を背て、義重に隨ふ、此より又佐竹北條…
眞田 第九上 · 2
遠山 第九上 · 1
- p001…龍興に屬しければ、信長の爲に亡されしと記す、不審、天正十年、信濃の木曾、武田に背き、苗木久兵衞に付て、信長に心を通せし由、安土日記信長記等に見えたり…
織田 第十下 · 1
- p002…子ともし給はず、まして信雄の家繼かれし事、安からぬことに思ひ給ひ、内々は甲斐の武田に心合せて、信長に背かれんとの結搆ありと聞ゆ、されば天正四年十一月廿五日…
薩摩守殿 第十一 · 1
- p004…あしの時も、井伊は此殿の御供せし故に、追ふべしともせざりしを、郞等にもと甲斐の武田が家人たりし者、頻りに追打すべしと勸めし故に、こらへずして追懸けしといふ…
駿河殿 第十一 · 2
松平(竹谷) 第十一 · 2
松平(大須賀) 第十一 · 2
平岩 第十一 · 1
- p002…かくて親吉つれなき命ながらへて、程なく武田亡び織田殿も討たれ給ひ、甲斐信濃の國々御手に屬しければ、親吉を甲斐の國の…
本多 第十一 · 3
高力 第十一 · 2
菅沼 第十一 · 2
北條 第十一 · 1
- p001…駿河國今川宗徒の被官、遠江の國高天神の城にあり、綱成が父福島上總介正成、甲斐の武田と戰はんと西郡に發向し、信虎が信玄の父ために討たる綱成幼けなくして…
筒井 第十二上 · 1
- p008…り、九年九月伊賀國の戰に從ひ、十年三月國中の軍勢引具して信濃の國に向ふ、武田亡びて又四國の地に向ふべしとて本國に歸り、六月二日既に打立に及び、織田殿…
藤田 第十二下 · 2
石川 第十二下 · 1
- p003…しとて、感じ給ふこと斜ならず、長篠の合戰に織田殿の加勢乞ひ給ふ、信長父子武田が勢に恐て、向ひ給ふべしとも聞えず、數正御使承て行き向ひ、彼の父子迎へ參…
색인은 본문을 읽고 사람·지명 등에 개체 ID를 붙인 것입니다(표본 점검 정밀도 약 98.6%). 같은 이름의 다른 사람은 괄호로 구분했고, 지면 표기가 다른 비정은 문맥 주석에 적었습니다. 자세히