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堀尾吉晴
본문 표기 吉晴・仁王丸・小太郞・茂助・帶刀高階吉晴・堀尾茂助・吉晴父子・堀尾帶刀吉晴
堀尾 第十二上 · 45
- p001…帶刀高階吉晴は武家補任には高階氏と記せり或人の云ふ在原氏也といつれか實なる尾張…
- p001…住人中務少輔吉久が男也、吉久國人三十六人の內にして、上四郡の事を知行す、吉晴童名は仁王丸、生年十六の春夜軍のありし時、眞先かけて善き首一つ取てけり、…
- p001…輔吉久が男也、吉久國人三十六人の內にして、上四郡の事を知行す、吉晴童名は仁王丸、生年十六の春夜軍のありし時、眞先かけて善き首一つ取てけり、人みな實とも…
- p001…、人みな實とも思はず、明る日岩倉の敵と戰ふ、味方散々に打なされて引返す、仁王丸只一人、馬より下りて敵の方に向ひ立ち居たり、伯父修理亮これを見て大に驚き…
- p001…疑ふ所もなかりけりと、人皆大に感じあへり、明れば十七歲の夏の頃、髻あげて茂助と名のり、秀吉朝臣の勸めにて織田殿に召され、頓て秀吉の手に屬せらる、…
- p002…此時太閤近江の國長濱の城を領せられ、吉晴始て百五十石を領せしといふ、又三百石を領すとも云ふ○按ずるに吉晴が事、小…
- p002…せられ、吉晴始て百五十石を領せしといふ、又三百石を領すとも云ふ○按ずるに吉晴が事、小瀨甫庵が記せる太閤記に詳なり、小瀨は吉晴を眼のあたり知れる人なれ…
- p002…を領すとも云ふ○按ずるに吉晴が事、小瀨甫庵が記せる太閤記に詳なり、小瀨は吉晴を眼のあたり知れる人なれば、傳ふる所誤らじ、又世に傳ふる傳記に見えし所、…
- p002…なれば、傳ふる所誤らじ、又世に傳ふる傳記に見えし所、彼記に少しく異なり、吉晴童名仁王丸、小太郞と改て秀吉朝臣に從ふ、淺井が兵起りし時、秀吉の使として…
- p002…傳ふる所誤らじ、又世に傳ふる傳記に見えし所、彼記に少しく異なり、吉晴童名仁王丸、小太郞と改て秀吉朝臣に從ふ、淺井が兵起りし時、秀吉の使として岐阜の城に…
- p002…誤らじ、又世に傳ふる傳記に見えし所、彼記に少しく異なり、吉晴童名仁王丸、小太郞と改て秀吉朝臣に從ふ、淺井が兵起りし時、秀吉の使として岐阜の城に參て、此…
- p002…の城に向ひ、淺井が物見の兵と戰て、首取つて秀吉に參らす、秀吉大に感じ給ひ小太郞具して岐阜に參り、彼首を献られしかば、織田殿小太郞が振舞ひ誠に一騎當千と…
- p002…らす、秀吉大に感じ給ひ小太郞具して岐阜に參り、彼首を献られしかば、織田殿小太郞が振舞ひ誠に一騎當千と謂つべし、今よりは信長めし仕ふべき者なりと仰ありて…
- p002…御刀を賜ひぬ、此後常に秀吉の手に屬す、秀吉筑前守從五位下になり給ひし時、吉晴茂助と改む、凡そ信長よりも秀吉よりも勸賞を給ひしこと數多たびといふ、此說…
- p002…を賜ひぬ、此後常に秀吉の手に屬す、秀吉筑前守從五位下になり給ひし時、吉晴茂助と改む、凡そ信長よりも秀吉よりも勸賞を給ひしこと數多たびといふ、此說太閤…
- p002…む、凡そ信長よりも秀吉よりも勸賞を給ひしこと數多たびといふ、此說太閤記に吉晴秀吉の勸めにて織田殿に仕へ、又秀吉の手に屬せしといふ事の由、詳かなるに似…
- p002…時、大なる猪と組みて遂に刺殺せし者を御覽し驚き給ひ、名を尋ね給ひしかば、堀尾茂助と申せしにより、御家人に召加へられ足輕大將になさる、其後秀吉朝臣に仕ふと…
- p003…吉晴十六歲より軍して大小の戰に逢ふこと四十餘年が間、或は自ら先懸けし、多くの…
- p005…太閤薨し給はん年の七月、三人の中老職を定めらる、吉晴その選に入られたり、是は我が子幼弱の程は天下の政務、家の奉行等、五人の大…
- p006…月にだに滿たず、大坂の奉行等、利家大納言を勸めて德川殿失ひ參らせんとす、吉晴が計ひに因て德川殿の御心の儘に事平きぬ、德川殿悅ばせ給ふ事斜ならず、御家…
- p006…御家絕えざらんうちは其志の程忘れ給ふまじきとの御誓あるべしと聞えければ、吉晴大に畏れて固く辭し申ければ、御代官として井伊侍從直政が許より起請文書て送…
- p006…政が許より起請文書て送る、此後も世既に亂れんとする事、度々に及びしかど、吉晴いみじく謀て事故なく平く、德川殿かく天下の動きなき事、彼が功尤も鮮からず…
- p006…ある可らずと仰られしかば、慶長五年二月豐臣家の仰として、越前の國府の城を吉晴に加へ賜ひぬ、六万石の地加へられ本領合て十八万石也此年の夏德川殿、…
- p006…本領合て十八万石也此年の夏德川殿、奧の上杉追討のため御發向ありと聞て、吉晴も隨ひ參らせんとて、越前の國府より濱松の城に來る、六月廿三日濱松を過させ…
- p006…の國府より濱松の城に來る、六月廿三日濱松を過させ給ひし時、晝の御餉献る、吉晴をば爰より越前に歸されて、子息信濃守忠氏をば奧に具せらる、…
- p007…これ石田が兵起らん事を知召し、吉晴を越前に歸し給ひ、佐和山のやうを伺はせ給はん爲なりといふ、…
- p008…吉晴濱松の城を立て越前に趣く、一說此時吉晴入部のため初て越前に趣くと云…
- p008…吉晴濱松の城を立て越前に趣く、一說此時吉晴入部のため初て越前に趣くと云七月十九日の夕、參河國池鯉鮒の宿に着く、…
- p008…の儲けす、加賀井彌八郞秀望來り合ひ、酒終つてのち秀望忽ち忠重を斬て倒す、吉晴すかさず秀望と引組み取て押へて刺殺す、水野が郞等、事俄に起て主のかたき何…
- p008…水野が郞等、事俄に起て主のかたき何れとも知らず、太刀拔き連れて切て入る、吉晴が身に疵かうむること凡そ十七箇所、されども去るしたゝか者にて、ちつとも痹…
- p008…野が郞等太刀長刀の鞘をはづして、家の邊に滿ち〱たり、如何にしてか來りけん吉晴が侍一人奈良伊織つと參り、吉晴を肩に掛け家の後を廻り助け出して板戶…
- p008…邊に滿ち〱たり、如何にしてか來りけん吉晴が侍一人奈良伊織つと參り、吉晴を肩に掛け家の後を廻り助け出して板戶索め出しかき載せて行く、吉晴郞等に向…
- p008…と參り、吉晴を肩に掛け家の後を廻り助け出して板戶索め出しかき載せて行く、吉晴郞等に向ひ和泉守痛手おひぬ、我を彼城に具すべしといふ、仰せ承りぬと答へて…
- p009…心地例ならずとて出させ給はざりしかば、二人力なく引返へす、加賀井は道にて吉晴に行逢ひ、其當時は御使の身なれば大坂に歸り參りぬ、御使の事終らば必內府に…
- p009…ぬ、御使の事終らば必內府に從て奧に向はんと存す、彼御家人に知れる人なし、吉晴の執し給はん事を賴み入りぬといふ、吉晴聞て吉晴も北國に趣きぬ、和殿又下ら…
- p009…んと存す、彼御家人に知れる人なし、吉晴の執し給はん事を賴み入りぬといふ、吉晴聞て吉晴も北國に趣きぬ、和殿又下らん時爰にあらず、和泉守忠重は德川殿に親…
- p009…、彼御家人に知れる人なし、吉晴の執し給はん事を賴み入りぬといふ、吉晴聞て吉晴も北國に趣きぬ、和殿又下らん時爰にあらず、和泉守忠重は德川殿に親しき人な…
- p009…人なり、此人をこそ賴み給ふべけれと答ふ、加賀井いまだ忠重を知らずといふ、吉晴聞て今宵は池鯉鮒の宿にして忠重にあふべし、いざさせ給へとて打連れて來りし…
- p009…忠重にあふべし、いざさせ給へとて打連れて來りしなり、されば水野殿の郞等、吉晴うたんとせしも理りなり、水野殿の家來竹本左內といふ十三歲なりし小童、かた…
- p010…此時吉晴が男信濃守忠氏は、中納言殿に隨て宇都宮に陣す、初め小山の御陣に飛脚到來し…
- p010…氏は、中納言殿に隨て宇都宮に陣す、初め小山の御陣に飛脚到來して、和泉守殿吉晴が爲に討れ給ひぬと聞ゆ、德川殿大に驚せ給ひ急き此由を宇都宮の御陣に告けら…
- p010…、德川殿大に驚せ給ひ急き此由を宇都宮の御陣に告けらる、中納言殿聞召され、吉晴父子君に背き參らすべき者にあらず、たとへ承る事の如くなりとも、彼男に於ては二…
- p010…功を賞せられ、同き年十一月出雲隱岐兩國を下し賜ふ、二十三万五千石餘吉晴は近曾の疵うれへて子息に國ゆづり、松江の城に籠り居けり、松江の城は吉晴…
- p010…吉晴は近曾の疵うれへて子息に國ゆづり、松江の城に籠り居けり、松江の城は吉晴始て築きし所也忠氏國を受けて出雲守に任し、同き九年八月四日廿七歲にて…
- p010…四日廿七歲にて父に先立て卒す、其子小太郞年わづかに六歲にて父に繼ぐ、祖父吉晴其孫幼なければ、再ひ國務を沙汰し年積て六十九歲、同き十七年六月十七日に卒…
生駒 第十二上 · 1
- p001…、息男讃岐守一正朝鮮に渡てけり、太閤薨し給はん年の七月、中村式部少輔一氏堀尾帶刀吉晴、親正と同じく中老の職になさる、大坂の奉行等、德川殿と不快の事起りしには…
색인은 본문을 읽고 사람·지명 등에 개체 ID를 붙인 것입니다(표본 점검 정밀도 약 98.6%). 같은 이름의 다른 사람은 괄호로 구분했고, 지면 표기가 다른 비정은 문맥 주석에 적었습니다. 자세히