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小笠原忠脩
본문 표기 忠脩・信濃守・信濃守忠脩・忠修
小笠原 第六 · 6
- p003…領を知行す、元和元年五月七日攝津國天王寺の合戰に討死す、年四十七歲、嫡子信濃守忠脩、大御所の御外曾孫、又忠脩が妻も同き御外曾孫にて、本多美濃守忠政が娘なり…
- p003…國天王寺の合戰に討死す、年四十七歲、嫡子信濃守忠脩、大御所の御外曾孫、又忠脩が妻も同き御外曾孫にて、本多美濃守忠政が娘なり、初め大坂の兵起りし時、父…
- p003…、本多美濃守忠政が娘なり、初め大坂の兵起りし時、父秀政は松本の城に留り、忠修大坂に向ふ、再ひ兵起りしに、我身松本の城に留り、父秀政向ふべしと仰ありし…
- p003…向ふ、再ひ兵起りしに、我身松本の城に留り、父秀政向ふべしと仰ありしかば、忠脩大に憤て、御下知をも用ゐず、馳上つて、五月七日、父が手の眞先かけ、大勢の…
- p004…日合戰に大勢の敵と戰て、あまた重手負ひ、首餘多切て、双なき高名を極む、兄信濃守が子息なほ襁褓の中にあれば、成人の程は、忠眞彼の家の事知行すべき由を仰下…
- p004…に一年を隔て、元和三年に至て固辭す、彼が志の程を感し玉ひ、其請に依て、故信濃守が遺領は、其息男に給ひ、播州明石の郡に新に城築かれて、多くの地つけて、忠…
색인은 본문을 읽고 사람·지명 등에 개체 ID를 붙인 것입니다(표본 점검 정밀도 약 98.6%). 같은 이름의 다른 사람은 괄호로 구분했고, 지면 표기가 다른 비정은 문맥 주석에 적었습니다. 자세히