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建部光重
본문 표기 光重・內匠頭光重
建部 第十下 · 10
- p001…丹波守源政長は內匠頭光重の子、壽德入道が孫也、入道生國は近江の者、宇多源氏の流、若かりし時兄の敵…
- p001…の轉漕、多くは入道に仰せて沙汰せらる、年老い致仕せる後、其職務を以て嫡男光重に讓る、關が原の戰の時、光重大坂の催促に隨ひ毛利長曾我部長束等の人々と、…
- p001…汰せらる、年老い致仕せる後、其職務を以て嫡男光重に讓る、關が原の戰の時、光重大坂の催促に隨ひ毛利長曾我部長束等の人々と、伊賀の國を經て伊勢の國に向ひ…
- p001…安濃津の城を攻む、富田信濃守知信散々に戰ひ、味方攻めあぐんて見えし所に、光重が兵眞先に第二の城に攻め入て、終に城をぞ降しける、此時建部が侍田中甚九郞…
- p001…に城をぞ降しける、此時建部が侍田中甚九郞、一番に城に乘て吾主の幟を立て、光重一番の由を名のる、池田伊豫守秀武が兵續て攻入ると云々、此事關が原誌記と云…
- p003…光重本領安堵の事、思ふに光重が後妻は池田輝政の養女なれば、輝政の歎き申されし…
- p003…光重本領安堵の事、思ふに光重が後妻は池田輝政の養女なれば、輝政の歎き申されし故に因るか、…
- p004…慶長十二年九月廿日壽德入道七十二歲にて死し、同き十五年五月廿七日內匠頭光重三十三歲にて卒す、光重細川二位法印に幽齋の事刀を相する事を傳へて當…
- p004…德入道七十二歲にて死し、同き十五年五月廿七日內匠頭光重三十三歲にて卒す、光重細川二位法印に幽齋の事刀を相する事を傳へて當時無双の名を得たりき、…
- p004…細川二位法印に幽齋の事刀を相する事を傳へて當時無双の名を得たりき、光重が卒せし時、息男纔に八歲になりしかば父祖の領、収公せらるべしと聞えて、輝…
색인은 본문을 읽고 사람·지명 등에 개체 ID를 붙인 것입니다(표본 점검 정밀도 약 98.6%). 같은 이름의 다른 사람은 괄호로 구분했고, 지면 표기가 다른 비정은 문맥 주석에 적었습니다. 자세히