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有馬義純
본문 표기 義純・太郞義純・有馬義純・鎭純
有馬 第九下 · 9
- p003…計を領す仙岩入道と聞えしは、此晴純が事なりけり、其子修理大夫義直、其子太郞義純、二代共に公方の御諱字賜りし由、系圖に見天正の初、有馬、豐後の大友…
- p003…が勢日々に衰へ、本領高來一郡に成てけり、義直終に隆信と、中直りして、嫡子義純が娘を以て、龍造寺が男民部大輔鎭賢後に政家が妻とぞなしにける、…
- p004…是れ龍造寺記の說に依る所なり、但し龍造寺記には、有馬義純、大友に隨ひ、義鎭が諱を受けて、鎭純と改め名のり、龍造寺と戰ひ、後に隆信…
- p004…に依る所なり、但し龍造寺記には、有馬義純、大友に隨ひ、義鎭が諱を受けて、鎭純と改め名のり、龍造寺と戰ひ、後に隆信に中直りし、嫡子修理大夫義直が娘を以…
- p004…嫡子修理大夫義直が娘を以て、隆信が男の妻とすと云々、有馬の系圖を見るに、義純と云ふは、義直が子にて、父にはあらず、龍造寺記の誤り記せしにや、暫く系圖…
- p005…家種を大將として、餘多の軍勢を差向けて、戰ふこと止む時なし、同き十一年、義純終に島津に隨ひ、其加勢乞うて戰ふ、隆信が勢、利なくして引返す、嶋津が大將…
- p005…馬の城に向ひ、江上家種、高來に向ふ、嶋津中務大輔家久、三千餘騎引率して、義純が後卷す、政家速に有馬の城を攻め破らざるを怒て、隆信自ら五萬餘騎を引率し…
- p005…馬の城を攻め破らざるを怒て、隆信自ら五萬餘騎を引率して、有馬の城に向ふ、義純森岳に立籠て、要害二三箇所搆て敵を待つ、同き三月廿四日、隆信家久が陣取り…
- p005…に向て、攻め戰ひ、龍造寺が多勢、家久がために破られて隆信忽に討れしかば、義純稀有にして、運をぞ開きける、隆信死せし時、五十六歲十五年の夏、關白…
색인은 본문을 읽고 사람·지명 등에 개체 ID를 붙인 것입니다(표본 점검 정밀도 약 98.6%). 같은 이름의 다른 사람은 괄호로 구분했고, 지면 표기가 다른 비정은 문맥 주석에 적었습니다. 자세히