인물 색인 › 木下延俊
木下延俊
본문 표기 延俊・右衞門大夫延俊・右衞門大夫豐臣延俊・木下右衞門大夫延俊
木下 第十上 · 6
- p001…に任す、此人多くの男子あり、嫡男少將兼若狭守勝俊、二男宮内少輔利房、三男右衞門大夫延俊、四男信濃守俊定は早世す、五男金吾中納言秀秋、六男出雲守某とぞ申しける、…
- p001…又二万石とも云關が原の合戰の時、上方の方人して、所領の地沒收せらる、延俊秀秋は東國の御方として、二人ながら德川殿の御恩に預る、肥後の入道が卒せし…
- p004…右衞門大夫豐臣延俊は、肥後守家定が三男、豐臣太閤の御時より、父家定留守職を承て、常に大坂の…
- p004…三男、豐臣太閤の御時より、父家定留守職を承て、常に大坂の城に在りしかば、延俊父の代官として播磨國姫路の城に在り、慶長五年の秋東西の軍起りし時、延俊父…
- p004…、延俊父の代官として播磨國姫路の城に在り、慶長五年の秋東西の軍起りし時、延俊父が城を守て東國に志を通し、關が原の戰終て後、同十月細川越中守忠興と共に…
- p004…を加へられて二万五千石大坂前後の戰に隨ふ、其子伊賀守俊治家を繼き、延俊卒せし年月を知らず万治四年四月三日四十八歲にして卒す、其子右衞門大夫…
金吾 第十二上 · 3
색인은 본문을 읽고 사람·지명 등에 개체 ID를 붙인 것입니다(표본 점검 정밀도 약 98.6%). 같은 이름의 다른 사람은 괄호로 구분했고, 지면 표기가 다른 비정은 문맥 주석에 적었습니다. 자세히