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本多広孝
본문 표기 廣孝・豐後守廣孝・豐後守・本多・本多豊後守・彥三郞廣孝・本多豊後守廣孝・本多豐後守
本多 第四上 · 34
- p001…豐後守藤原康重は、故豐後守廣孝の子にて、九條右大臣師輔公十三代の孫、豐後國の住人本多右馬助助定が後胤な…
- p001…守秀淸が代に及びて、出雲守殿に隨ひ參らす、長親の御事なり、秀淸は廣孝が曾祖父なり、安祥殿の御時、淸康の御事、享祿二年御油繩手の戰に…
- p001…曾祖父なり、安祥殿の御時、淸康の御事、享祿二年御油繩手の戰に、廣孝が父彥三郞信重生年廿三歲にて討死す、其子、贈大納言家の御諱字賜り、彥三郞…
- p001…、廣孝が父彥三郞信重生年廿三歲にて討死す、其子、贈大納言家の御諱字賜り、彥三郞廣孝と申、後に豐後守と申す、當時國中の者共、多くは御敵と成たりしに、廣孝終に…
- p001…生年廿三歲にて討死す、其子、贈大納言家の御諱字賜り、彥三郞廣孝と申、後に豐後守と申す、當時國中の者共、多くは御敵と成たりしに、廣孝終に二心なく、和田佐…後に豐後守と申す
- p001…三郞廣孝と申、後に豐後守と申す、當時國中の者共、多くは御敵と成たりしに、廣孝終に二心なく、和田佐崎上野等の合戰に、常に軍の先をかけ、奉公の勞、戰鬪の…
- p001…もして、若君を取返し參らせんとて、天文十八年十一月、安祥の城を攻めらる、廣孝等、眞先に進み戰ひ、織田三郞五郞信廣を信秀の子信長の弟虜にす、上總…
- p001…の御年、御元服有て、十五の御年、軍初め有べしとて、岡崎の城に入らせ玉ふ、豐後守廣孝、宗徒の人々と謀て、梅が坪廣瀨等の城を攻められ、程なくまた駿河の國府に歸…
- p001…て、梅が坪廣瀨等の城を攻められ、程なくまた駿河の國府に歸らせ玉ひしかば、廣孝御一門の人々、譜代の御家人等と相議して、石川安藝守、天野甚右衞門と共に三…
- p002…廣孝等が、今川へ捧げし書の大畧は、元康既に成人に及ぶ、今は本國へ返し玉ふべし…
- p003…永祿四年の夏、當國の吉良義昭德川殿に中違うて、東條の城に立こもる、廣孝仰を承て、小牧山に要害を構へ、酒井雅樂助政親と東條に押寄す、東條の軍兵、…
- p003…大久保太郞八、鳥居半六郞、義昭の賴みきつたる大將、富永半五郞忠元、廣孝に打たれければ、義昭終に降人と成て參らる、富永は弓、本多は、鎗に…
- p003…半五郞忠元、廣孝に打たれければ、義昭終に降人と成て參らる、富永は弓、本多は、鎗にて戰ひしなり、此度の賞として、富永が所帶をば、廣孝にぞ下…
- p003…弓、本多は、鎗にて戰ひしなり、此度の賞として、富永が所帶をば、廣孝にぞ下し給はりける、同き六年の秋、義昭また一向專修の門徒が大將と成て、東…
- p003…ける、同き六年の秋、義昭また一向專修の門徒が大將と成て、東條に立こもる、廣孝嫡子彥二郞を岡崎に參らせて人質とし、我身は土居の城に在て、土呂針崎の敵と…
- p003…て、田原の城を攻降し、頓て此城を賜て移り住み、城近きほとり盡くに攻取る、廣孝が取る所、既に七千餘貫の地、彼が進退に任せらる、同き十二年の春の頃、遠江…
- p003…時、彥三郞康重生年十二歲、父に隨ひて高名す、此年遠江國を打平げ玉ひし時、廣孝久野城にあり、元龜元年六月近江國姊川の合戰に、廣孝先陳承てければ、康重父…
- p003…江國を打平げ玉ひし時、廣孝久野城にあり、元龜元年六月近江國姊川の合戰に、廣孝先陳承てければ、康重父に隨ひて、父子並びに高名す、此時廣孝鎗疵を蒙り、…
- p003…川の合戰に、廣孝先陳承てければ、康重父に隨ひて、父子並びに高名す、此時廣孝鎗疵を蒙り、又康重も疵二か所を蒙れりといふ同き九月織田殿御加勢…
- p003…重も疵二か所を蒙れりといふ同き九月織田殿御加勢の事を望まれしに、廣孝石川日向守家成二人、御名代として近江國に馳せ向ふ、此時信長、朝倉淺井と…
- p003…て近江國に馳せ向ふ、此時信長、朝倉淺井と江州志賀に戰陣ありしが故なり、廣孝家成、洲股にいたりし時に、信長の使者木下藤吉爰に來り迎へて、志賀表の…
- p003…表に參陣すといふ、同き三年十二月、三方が原の戰、御方散〱に成て引返す、廣孝返し合て戰ひ、多くの御方を助けて追來る敵の首を切て引返す、天正元年七月奧…
- p003…けて追來る敵の首を切て引返す、天正元年七月奧平が父子、武田四郞を叛し時、廣孝に依て、御方に參るべきよし申ければ、廣孝父子松平主殿介伊忠して、奧平を迎…
- p003…月奧平が父子、武田四郞を叛し時、廣孝に依て、御方に參るべきよし申ければ、廣孝父子松平主殿介伊忠して、奧平を迎へらる、同き八月廣孝父子、奧平が加勢して…
- p003…るべきよし申ければ、廣孝父子松平主殿介伊忠して、奧平を迎へらる、同き八月廣孝父子、奧平が加勢して、武田が勢と戰ひ、首あまた切てけり、長篠の合戰には、…
- p003…中鐵炮左の股にあたれり、其彈老死の日まで留りありといふ、同五年の冬、廣孝家の事を以て、子息康重に讓る、同九年の春高天神の城落し時、康重が手に討取…
- p003…同九年の春高天神の城落し時、康重が手に討取所の首廿一、武田亡ひし年の秋、廣孝康重、大久保七郞右衞門忠世、共に甲斐國を打ち平ぐ、明れば天正十一年、廣孝…
- p003…廣孝康重、大久保七郞右衞門忠世、共に甲斐國を打ち平ぐ、明れば天正十一年、廣孝叙爵して、右兵衞佐に任ず、廣孝叙爵して右兵衞佐になされしかど、德川殿…
- p003…共に甲斐國を打ち平ぐ、明れば天正十一年、廣孝叙爵して、右兵衞佐に任ず、廣孝叙爵して右兵衞佐になされしかど、德川殿の仰に依て、元の儘、豐後守と…
- p003…、廣孝叙爵して右兵衞佐になされしかど、德川殿の仰に依て、元の儘、豐後守と申し、其後越前守に成されしと云、長湫の戰には、廣孝元より尾幡の地を…元の儘、豐後守と申し
- p003…依て、元の儘、豐後守と申し、其後越前守に成されしと云、長湫の戰には、廣孝元より尾幡の地を守りたり、古城を守るなり、康重、山中忠兵衞…
- p003…事成りし後、同き十五年關白殿、薩摩の嶋津を討れんとて、筑紫に下向有し時、豐後守廣孝を使として、軍の樣を訪せ玉ふ、折ふし秀吉は豐前國岩石の城を攻めて居玉ひし…
- p003…軍の樣を訪せ玉ふ、折ふし秀吉は豐前國岩石の城を攻めて居玉ひしに參りあひ、廣孝高名しける程に、關白の御感淺からず、物多く賜て歸されたり、金作の脇差、…
- p003…に移り玉ひしに、上野國白井の城を給、二万石、慶長二年十二月廿七日、廣孝七十歲にして卒す、同四年康重叙爵して、豐後守に任ず、關が原の合戰には、中…
石川 第四中 · 2
戶田(田原) 第四下 · 1
- p001…失ふ、三遠記に、永祿七年、田原へ向ひ玉ひ、戶田吉兵衛降參す、頓て本多豊後守して守らせらるゝと記せり、此說の如くなれば、田原をば德川殿のために亡さ…
天野 第十一 · 2
색인은 본문을 읽고 사람·지명 등에 개체 ID를 붙인 것입니다(표본 점검 정밀도 약 98.6%). 같은 이름의 다른 사람은 괄호로 구분했고, 지면 표기가 다른 비정은 문맥 주석에 적었습니다. 자세히