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本多成重
본문 표기 成重・仙千代丸・本多丹下成重・飛驒守藤原成重・本多丹下殿・飛驒守成重・丹下・本多丹下・土庵
越前 第一 · 2
本多 第四上 · 19
- p001…飛驒守藤原成重は、作左衞門重次が子、本多右馬助助定が後胤、三河國德川家譜代相傳の御家人…
- p003…頓て秀吉信雄、中直りし玉ひ、信雄に就て於義丸殿を養君とし玉ふ時、重次が子仙千代丸も、石川伯耆守數正が子と同く、附て參らす、抑此於義丸殿と申は、德川殿の御…
- p003…り玉ふが、都に登らせ玉ふ事を、御名殘をしく思ひしかば、我獨子にて愛しける仙千代丸つけてまゐらせたり、秀吉も、うへには於義丸殿を養ひ參らするとは披露あれど…
- p003…も覺えず、死なば一所にこそ死なめとて、忍ひて大坂に上らせ玉ふ、重次いや〱仙千代丸、都に置て、人の疑ひ受けん事も詮なし、たゞ獨ある子失はれんも不便なりと、…
- p003…こそ重次が二心なき所顯れて、誠に思慮深くは見えけれ、斯て關白殿の仰にて、仙千代丸とく參らすべしと、守殿よりの御使、度々に及ぶ、重次も詮かたなく、是もいた…
- p003…乞申しゝ氣色、生て再び見參すべしとも見えされば、其志を感じさせ給て、息男成重、本領安堵の御書をなし下さる、其御書に、天正十三年十二月八日としるされ、…
- p003…、本領安堵の御書をなし下さる、其御書に、天正十三年十二月八日としるされ、本多丹下殿となされけるとなり、…
- p005…事あらば承りなんずといふを、今思ひ合すれば、三河守殿の初て御參ありし時、仙千代丸といふ兒の御供したるを、殿下の御覽じて、あれは家康がうちにて、三奉行とか…
- p010…其子は飛驒守成重なり、童名は仙千代丸、成人して丹下と申し、相州小田原の御陣に、重次成重後…
- p010…其子は飛驒守成重なり、童名は仙千代丸、成人して丹下と申し、相州小田原の御陣に、重次成重後陣に在り、重次籠居せ…
- p010…其子は飛驒守成重なり、童名は仙千代丸、成人して丹下と申し、相州小田原の御陣に、重次成重後陣に在り、重次籠居せし後は、成重も…
- p010…守成重なり、童名は仙千代丸、成人して丹下と申し、相州小田原の御陣に、重次成重後陣に在り、重次籠居せし後は、成重も出仕を止めて、籠り居ぬ、關が原の合戰…
- p010…て丹下と申し、相州小田原の御陣に、重次成重後陣に在り、重次籠居せし後は、成重も出仕を止めて、籠り居ぬ、關が原の合戰には、御後にぞ陣しける、慶長十八年…
- p010…前の福井をば、本多伊豆守に仰下され、今まて今村が領せし丸岡の城をば、本多丹下に玉ふと云云、四万三千三百石餘を領せしなり、一說に、慶長六年に結城殿に…
- p010…長六年に結城殿に附らるゝといふ、覺束なし、また伊豆守といふは、むかし成重が身代りに都へのほりし、源四郞富正と申しゝが事なり、大坂前後の戰に、…
- p010…、大坂前後の戰に、越前の先陣し、前年十二月四日御方の先陣、城を攻し時、成重郞徒討るゝもの十六騎、疵蒙るもの百六十人、後年五月七日、成重が三百騎、眞…
- p010…城を攻し時、成重郞徒討るゝもの十六騎、疵蒙るもの百六十人、後年五月七日、成重が三百騎、眞先に進み、眞田左衞門尉幸村が陣を打破り、みづから敵二騎切てお…
- p010…再ひ將軍家の御家人となりたるなり、年老て子息淡路守重能に家讓り、入道して土庵と號す、成重が致仕せし年、卒せし年いまだ知らず淡路守重能、慶安四年…
- p010…家人となりたるなり、年老て子息淡路守重能に家讓り、入道して土庵と號す、成重が致仕せし年、卒せし年いまだ知らず淡路守重能、慶安四年十二月七日卒す…
색인은 본문을 읽고 사람·지명 등에 개체 ID를 붙인 것입니다(표본 점검 정밀도 약 98.6%). 같은 이름의 다른 사람은 괄호로 구분했고, 지면 표기가 다른 비정은 문맥 주석에 적었습니다. 자세히