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本多正重
본문 표기 正重・三彌・山谷左衞門・三彌正重・三彌左衞門尉藤原正重・三彌左衞門
本多 第十一 · 21
- p001…といふ事なし、永祿六七年の間ひ、一向專修の門徒等叛き參らせし時、正信舍弟三彌正重と共に上野の城に立籠る、七年二月廿八日諸寺の門徒等、罪免されて悉くに降る…
- p009…三彌左衞門尉藤原正重は初は三彌後に三彌左衞門と云ひしを、呼びよきまゝに世の人三彌とばかり云ひ…
- p009…三彌左衞門尉藤原正重は初は三彌後に三彌左衞門と云ひしを、呼びよきまゝに世の人三彌とばかり云ひしとなり、…
- p009…三彌左衞門尉藤原正重は初は三彌後に三彌左衞門と云ひしを、呼びよきまゝに世の人三彌とばかり云ひしとなり、いづれの頃にや…
- p009…左衞門尉藤原正重は初は三彌後に三彌左衞門と云ひしを、呼びよきまゝに世の人三彌とばかり云ひしとなり、いづれの頃にや德川殿の御氣色を蒙り、山家に引き籠り…
- p009…德川殿の御氣色を蒙り、山家に引き籠り居りしに、御書賜はりて召されし時に、山谷左衞門と遊ばされしより、自らも常に山谷左衞門と書きしとなり…家康の当て字
- p009…りしに、御書賜はりて召されし時に、山谷左衞門と遊ばされしより、自らも常に山谷左衞門と書きしとなり…
- p010…て針崎に立籠り、永祿六年十一月廿七日大久保が一族、針崎に押寄せ戰ひしに、正重七郞右衞門尉忠世とわたしあひ、互に鐵炮を取て向ふ忠世先つ放つてければ、正…
- p010…重七郞右衞門尉忠世とわたしあひ、互に鐵炮を取て向ふ忠世先つ放つてければ、正重手おうて引退く、明れば七年の春、門徒等罪ゆるされて元の如くに召使る、同き…
- p010…に至る、同き六年七月廿六日三位中將信忠卿、播磨國神吉の城を攻められしに、正重瀧川左近將監一益が足輕大將となつて城を攻め破る、十二年九月十三日加賀の國…
- p011…これは正重が碑に見えし所なり、世には此時正重浮田が先陣して、福嶋が陣をかけ破りしと…
- p011…これは正重が碑に見えし所なり、世には此時正重浮田が先陣して、福嶋が陣をかけ破りしといふ、誤りなり、…
- p013…といふ、さもありなんと仰せらる、佐渡守箸とり收めて答へ申さんとせし間に、正重進み出て、此正重等が如き小鳥ばらを羹にして候はんには、今のほどには氷り候…
- p013…なんと仰せらる、佐渡守箸とり收めて答へ申さんとせし間に、正重進み出て、此正重等が如き小鳥ばらを羹にして候はんには、今のほどには氷り候べしと云ひ棄てゝ…
- p013…坂の軍終つて後、坂部三十郞久世三四郞賞行はれしと聞て、その三四三十いかに正重に超えたる武功ありて、賞をば行はれけん安からぬ事なりとて、刀ひつさけて城…
- p013…ぬ事なりとて、刀ひつさけて城に登る、坂部久世罷り歸るとて大手の門を出づ、正重が此方に向ひ、もみにもうで來る、けしからぬ者かなと見る所に、橋の半に至り…
- p013…に向ひ、もみにもうで來る、けしからぬ者かなと見る所に、橋の半に至りし頃、正重大音あげて和殿原は如何なる高名して所領を賜ひたるぞ、語れ聞かうと呼ばる、…
- p013…から出でさこそはあらめ、和殿原耳の輪は大く生れたりとも、武功に於ては何條正重には及ふべきと、つぶやき〱打連れてぞ歸りける、…
- p014…明れば三年七月三日七十三歲にて卒す、子息豐前守正貫家を繼ぐ、正重遺言して多くの所領子息に悉く賜はらん事、望む所にあらざる由を申ければ、所…
- p015…名卒する時、遺言して所領を返し獻ることあり、世の慣しのやうになりし故に、正重かゝる遺言は無けれども、上野介正純が計ひにてかく申せしかば、正貫には八千…
- p015…れども、上野介正純が計ひにてかく申せしかば、正貫には八千石を賜ひしなり、正重が領せし所は一万石に餘ありしかど、如何程といふ事は詳かならぬよし、其家の…
색인은 본문을 읽고 사람·지명 등에 개체 ID를 붙인 것입니다(표본 점검 정밀도 약 98.6%). 같은 이름의 다른 사람은 괄호로 구분했고, 지면 표기가 다른 비정은 문맥 주석에 적었습니다. 자세히