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松平定政
본문 표기 定政・能登守源定政・天德院大居士・松平能登の入道・能登守・不白入道
松平(久松) 第三 · 20
- p007…能登守源定政は、隱岐守定勝の六男なり、左大臣家に大猷院殿の御事、此後是にならふ、…
- p008…七月九日、定政己が家に、增山彈正忠、中根大隅守、宮城越前守、牧野織部正、石谷十藏、林道…
- p008…守、宮城越前守、牧野織部正、石谷十藏、林道春六人を請じ、饗應事終りて後、定政、牧野中根石谷三人に向ひ、人々賴み參らすべき事あり、又殘る人には、定政が…
- p008…、定政、牧野中根石谷三人に向ひ、人々賴み參らすべき事あり、又殘る人には、定政が申事をば、能く聞かせ玉ひて、後日の證人に賴み參らすべき事あり、定政故將…
- p008…は、定政が申事をば、能く聞かせ玉ひて、後日の證人に賴み參らすべき事あり、定政故將軍家の御恩、高く厚く蒙りたる身なり、一たびは命を捨て、報ひ奉らんと存…
- p008…直孝一人して見るべきにあらずとて、執政の人々打寄て、開き見るに、始には、定政が廿四歲の時より、四十二歲に及ふまで、夢に見たりし歌どもをしるし、その次…
- p008…に及ふまで、夢に見たりし歌どもをしるし、その次に、自詠の歌書て、奧には、定政世にありしむかし、いかでかゝることをも申べき、今は憚る所なき身となりぬ、…
- p008…には、召しに從ひて參るべきにて候とぞ、書きとゝめける、此文のやうにては、定政いかになりぬらんと尋ねけるに、人々にこの文わたしてのち、忽ち上野の山に入…
- p008…、人々こは如何にと、いよ〱驚く、又掃部頭の許へ消息す、まづみづからが名を天德院大居士としるす、此書には、諷諫の言葉など、少々書のせて、さてわが所領の地より、…
- p008…子井郞等四人ともに、入道して、墨染の衣の下に、打刀橫たへて、銅鉢さゝげ、松平能登の入道に、ものたべ〱、南無阿彌陀佛〱と申て、東西の町々をめぐりありきぬ、同き十…
- p008…申て、東西の町々をめぐりありきぬ、同き十五日將軍家、殿中伺候の大小名に、定政が兩通の書を見せられ、同十八日兄隱岐守定行召して、定政が所行、狂氣の致す…
- p008…中伺候の大小名に、定政が兩通の書を見せられ、同十八日兄隱岐守定行召して、定政が所行、狂氣の致す所なれば、その罪を宥められ、定行にめし預けらるゝ所なり…
- p008…れば、その罪を宥められ、定行にめし預けらるゝ所なりと仰下さる、同き廿九日定政が兄越中守定綱、早馬を參らせて申す、舍弟能登守が事、風聞の及ふ所、頗る狂…
- p008…所なりと仰下さる、同き廿九日定政が兄越中守定綱、早馬を參らせて申す、舍弟能登守が事、風聞の及ふ所、頗る狂氣に似たりといへども、且は又、如何なる謀事なら…
- p008…名の城をたつて、かれが刈屋の城に馳せ向つて、是を守り畢んぬ、又郞等を分て定政もし馳せ登る事あらんには、搦め取て來るべきよしを下知し、路をさへぎるの所…
- p008…きよしを下知し、路をさへぎるの所に、兄隱岐守に預け下さるゝの旨を稱して、定政をゐて西をさしてのぼるの間、押し留めおきぬと注進す、此よし聞召されて、越…
- p009…其のち定政不白入道と號し、兄が領せし伊豫國松山のほとりに籠り居て、行年六十三歲にて…
- p009…其のち定政不白入道と號し、兄が領せし伊豫國松山のほとりに籠り居て、行年六十三歲にて、寛文十…
- p009…年十二月廿日に死しけるとぞ、聞えける、一說に、十一月廿四日に死すと、定政死して後、延寶元年十二月十九日、彼が息男數馬定知、傳左衞門定淸二人、…
- p009…左衞門定淸二人、御家人に召加へられ、兄に千五百俵、弟に五百俵を賜ふ、又定政が松山にて設けし男子ありしを、隱岐守定直所領分ち與へん事を望しかば、…
색인은 본문을 읽고 사람·지명 등에 개체 ID를 붙인 것입니다(표본 점검 정밀도 약 98.6%). 같은 이름의 다른 사람은 괄호로 구분했고, 지면 표기가 다른 비정은 문맥 주석에 적었습니다. 자세히