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筒井順慶
본문 표기 順慶・筒井・六郞・筒井入道順慶・筒井陽舜房順慶・藤政・藤勝・入道・筒井順慶
柳生 第六 · 1
- p002…織田殿の時、宗嚴大和の守護筒井入道順慶に屬して、所々の高名ありき、關白秀吉、天下を知召して、當國を悉く御弟秀長…
筒井 第十二上 · 32
- p001…伊賀守藤原定次は、大和の國の守護筒井陽舜房順慶が世嗣也、初め應仁の亂の後畿內悉く戰ひ起るに及んで筒井が家、南都興福寺の…
- p005…其子順政跡を繼ぐ永祿七年三月死す、順慶生年十六歲、六郞と申せし時その父順政を失ふ、六郞が名は藤政一說に藤勝…
- p005…其子順政跡を繼ぐ永祿七年三月死す、順慶生年十六歲、六郞と申せし時その父順政を失ふ、六郞が名は藤政一說に藤勝と云ひしとも云ふ…
- p005…繼ぐ永祿七年三月死す、順慶生年十六歲、六郞と申せし時その父順政を失ふ、六郞が名は藤政一說に藤勝と云ひしとも云ふ也國人心變りして松永彈正少弼久秀…
- p005…年三月死す、順慶生年十六歲、六郞と申せし時その父順政を失ふ、六郞が名は藤政一說に藤勝と云ひしとも云ふ也國人心變りして松永彈正少弼久秀に組する者…
- p005…、順慶生年十六歲、六郞と申せし時その父順政を失ふ、六郞が名は藤政一說に藤勝と云ひしとも云ふ也國人心變りして松永彈正少弼久秀に組する者多し、明れば…
- p005…も云ふ也國人心變りして松永彈正少弼久秀に組する者多し、明れば八年十一月六郞筒井の城を捨てゝ布施の城に入る、久秀その身は大和河內の境なる志貴城に在つ…
- p006…元龜二年八月辰市の戰に、順慶終に松永を打破り首を獲ること五百、久秀が一族郞從多く討れ手負ふ者又五百餘…
- p006…打破り首を獲ること五百、久秀が一族郞從多く討れ手負ふ者又五百餘、三年五月順慶織田殿の御方に參る、此年三月松永父子三好左京大夫義繼と心を合せ、志貴多門…
- p006…久秀又織田殿に參る、信長頓て兵分ちて多門城を守らせ、當國を鎭められしかば筒井松永又戰ふに及はず、此年則ち天正と改元す天正二年三月順慶國人…
- p006…かば筒井松永又戰ふに及はず、此年則ち天正と改元す天正二年三月順慶國人等引具し、上洛して信長に見參し、同き年七月人質を參らせ、三年二月織田…
- p006…き子供二人が首切て、子息城介信忠、討手の大將軍として松永が城に發向あり、順慶同じく相隨ふ、爰に筒井が譜代相傳の侍一人、初め順慶が本領失ひし時、松永が…
- p006…て松永が城に發向あり、順慶同じく相隨ふ、爰に筒井が譜代相傳の侍一人、初め順慶が本領失ひし時、松永が家に仕ふ、入道究竟の謀こそ出來たれと、密に彼郞等を…
- p006…ふ、爰に筒井が譜代相傳の侍一人、初め順慶が本領失ひし時、松永が家に仕ふ、入道究竟の謀こそ出來たれと、密に彼郞等を招き寄て返忠あらん事を云ひけるに、此…
- p006…久秀運の究め彼郞等を使として大坂の城に加勢こふ、此使大坂には行かずして、順慶が陣に來て斯と告く、筒井頓て軍勢二千人を引すぐつて大坂の加勢に出立たせ、…
- p006…して大坂の城に加勢こふ、此使大坂には行かずして、順慶が陣に來て斯と告く、筒井頓て軍勢二千人を引すぐつて大坂の加勢に出立たせ、夜に紛れて河內國平野の方…
- p006…曉諸手の寄手一同に攻め寄す、城中の兵散々に防き戰ひしに、城中忽ち火起つて筒井が軍勢二千人、此處彼處に切り廻る、松永內外のかたきを防きかねて、終に腹切…
- p008…長の仰として郡山の城一つを止て、國中の城々皆壞り捨つ同き十一月大和國悉く筒井に宛て行はる、順慶頓て入部して郡山辰市等が首を刎ぬ、是は松永に心を合せて…
- p008…城一つを止て、國中の城々皆壞り捨つ同き十一月大和國悉く筒井に宛て行はる、順慶頓て入部して郡山辰市等が首を刎ぬ、是は松永に心を合せて順慶に叛きし者共な…
- p008…に宛て行はる、順慶頓て入部して郡山辰市等が首を刎ぬ、是は松永に心を合せて順慶に叛きし者共なり、九年九月伊賀國の戰に從ひ、十年三月國中の軍勢引具して信…
- p008…二日既に打立に及び、織田殿父子京にて明智日向守光秀が爲に失せ給ひぬと聞て順慶大安寺辰市東九條法華寺の邊に陣取り、井戶一勢を引分けて光秀が加勢とす、…
- p008…事也井戶、攝津播磨の多勢攻め上ると聞て引て歸る、十日の事也光秀筒井が心變りしやと思ひて、使して申ける旨あり、藤田傳吾を使とす其使來れる…
- p008…ひて、使して申ける旨あり、藤田傳吾を使とす其使來れるは十一日の事也順慶返答にも及はず、一紙の起請文書て裏切すべきよし羽柴筑前守秀吉の許に云ひ送…
- p008…たり自ら七千人を率ゐて、宇治道を經て京に入らんとす、十四日先陣打立ち順慶十五日に打立つ山崎の戰既に事終りぬるに及んで、三七殿の御陣にぞ參りける…
- p008…日に打立つ山崎の戰既に事終りぬるに及んで、三七殿の御陣にぞ參りける秀吉順慶が味方せしさま、言甲斐なしと思ひしかど、筒井元より有勢の者にして近江伊賀…
- p008…三七殿の御陣にぞ參りける秀吉順慶が味方せしさま、言甲斐なしと思ひしかど、筒井元より有勢の者にして近江伊賀伊勢尾張等の戰に、常に味方にありて其功も亦少…
- p009…多門院日記に天正十二年六月、順慶勢州長嶋の城を攻め、八月四日の夜郡山に歸れり、必定死去也と見えたり、さら…
- p009…さらば陣中に死去せしなり、一說に八月十一日に死すといふ、いぶかし、又初め順慶秀吉に申て香原五郞を世嗣にせんとす、五郞從はざりしかば、四郞をして家繼が…
- p009…んとす、五郞從はざりしかば、四郞をして家繼がせしと見えたり、世には四郞は順慶が妹の箸尾が妻となりて生みし所なりといふ也、大和記には順慶が妹の夫箸尾宮…
- p009…、世には四郞は順慶が妹の箸尾が妻となりて生みし所なりといふ也、大和記には順慶が妹の夫箸尾宮内少輔は、只一子あり關が原の後、箸尾所領を失ひしに松倉所緣…
- p011…等曾てこれを知らずと云云、今の御家人の中坊はこれが後也○筒井主殿助某は、順慶が猶子なり、伊賀守定次が家亡びし後、筒井が一族やあると尋ねさせ給ひしに、…
- p011…が猶子なり、伊賀守定次が家亡びし後、筒井が一族やあると尋ねさせ給ひしに、順慶が猶子に主殿助某と申すが當時大和國に侍ふと聞召し、頓て御家人に召出され山…
松倉 第十二下 · 2
색인은 본문을 읽고 사람·지명 등에 개체 ID를 붙인 것입니다(표본 점검 정밀도 약 98.6%). 같은 이름의 다른 사람은 괄호로 구분했고, 지면 표기가 다른 비정은 문맥 주석에 적었습니다. 자세히