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里見義弘
본문 표기 義弘・左馬頭義弘
里見 第十二上 · 11
- p003…處彼處打隨へ武藏國豐島郡淺草の觀音堂は義堯が再興せし所也と云ふ子息左馬頭義弘に國讓り自らは入道して正五阿彌と號し、久留里の城に籠り居たり、天正二年…
- p003…、久留里の城に籠り居たり、天正二年六月朔日六十三歲にて卒せしといふ左馬頭義弘父に繼き、弘治二年相摸國三浦の地に押渡て北條が勢を打破り、城が嶋に戰…
- p003…くに勝ち誇て終に負軍し、侍大將十七人まで討たれ、散々に戰ひなつて引返す、義弘が乘つたる椎津黑といふ馬、殊の外に疲る、椎津掃部これを見て急き馬より飛て…
- p003…たる椎津黑といふ馬、殊の外に疲る、椎津掃部これを見て急き馬より飛て下り、義弘をぞ乘せたりける、平野越後たゞ一人槍提けて隨ふ、味方負軍しつと聞えしかば…
- p003…方負軍しつと聞えしかば、上總の國に留りし堀内帶刀須田將監、五十騎引具して義弘を迎へ、久留里の城に入る、討ち漏されたる軍勢等、義弘が乘捨てたる馬を見て…
- p003…將監、五十騎引具して義弘を迎へ、久留里の城に入る、討ち漏されたる軍勢等、義弘が乘捨てたる馬を見て、大將うたれ給ひぬと云ふまゝに、米下舍人等の城防き戰…
- p003…の國池の和田の城攻め落され、多賀藏人舍弟兵衞佐二人討死す、下總の國人等皆義弘に叛て北條に從ふ、武藏相摸の地は云ふに及はず、同き九年義弘加藤伊賀守を…
- p003…下總の國人等皆義弘に叛て北條に從ふ、武藏相摸の地は云ふに及はず、同き九年義弘加藤伊賀守を佐貫の城に在大將として三浦の地を攻め破る、明れば十年北…
- p003…て三浦の地を攻め破る、明れば十年北條太田新六郞に軍勢附て上總の國に向ふ、義弘自ら三舟山に戰ひ、大將太田を初として首數百を打取る、天正五年義弘北條互に…
- p003…に向ふ、義弘自ら三舟山に戰ひ、大將太田を初として首數百を打取る、天正五年義弘北條互に中直りす、明る六年の五月義弘卒す、嫡子太郞義賴には安房國、次男梅…
- p003…田を初として首數百を打取る、天正五年義弘北條互に中直りす、明る六年の五月義弘卒す、嫡子太郞義賴には安房國、次男梅王丸には上總國を讓る、太郞義賴父死し…
색인은 본문을 읽고 사람·지명 등에 개체 ID를 붙인 것입니다(표본 점검 정밀도 약 98.6%). 같은 이름의 다른 사람은 괄호로 구분했고, 지면 표기가 다른 비정은 문맥 주석에 적었습니다. 자세히