抑源氏といつぱ、桓武天皇寄四代之王子、田村之帝と申きは、文德天王とも申、王子二人おはします。第一を惟喬之親王と申。御門此御子をば、殊に御心指ふかく思召而春宮にも立て、御位をも讓り奉らばやと思召しける。第二之御子をば惟仁之親王と申きは、未いとけなくおはします。御母は染殿の關白忠仁公の御娘成ければ、一門くわうきよ卿相雲客ともに寵愛奉り、是も又默止難く思召ける。かれは兄弟相分の器量也。是は萬機無爲之しんさうなり。是をそむきて寶祚を授くる物ならば、用捨私有而、臣下唇を飜すべし。すべて競馬を乘せ勝負によつて、御位をゆづり奉るべしとて、天安二年三月二日、二人の御子を引供し奉り、右近之馬場へ行幸成。月卿雲客花之袂を⿸厂用、玉之裳をつらね、右近之馬場へ供奉せらる。此事稀代盛事天下之ふしぎとぞみえし。御子達も春宮之ふしん是にありとぞ思召れける。さればさま〲の御祈ども有けり。惟喬之親王の御祈之師には、柿之本之き僧正眞濟とて、東寺之行者、弘法大師の御弟子成。惟仁之親王の御祈之師には、若山之住侶慧亮和尙とて、慈覺大師の御弟子にて、たつとき聖人にてわたらせ給ひける。西塔平等房にて大威德の法をぞおこなひ給ひける。旣競馬十番をきはに定られしに、惟喬の御方に、つづけて四番勝給ひけり。惟仁之御方へ心を侘人汗をにぎる。心をくだきて祈念せられけり。さるあひだ右近の馬場寄も、天台山平等房之壇所へ使之馳沓事、但くしを引がごとし。旣御味方こそ四番つゞけて負ぬと申ければ、慧亮心憂くおもはれて、繪像の大威德を倒に懸け奉り、三尺之土牛を北むきに立て祈られけるに、土牛躍りて西むきになれば、南に取而おしむけ、東にむけば北に取而押なをし、肝膽くだきて揉まれしが、猶すゑかねて獨鈷をもつて身づからなづきを突き碎き、なふを取而芥子にまぜ、爐に打くべ烟を立、一揉もみ給ひければ、土牛哮りてこゑをあぐ。ゑざうの太いとく利劔をささげてふり給ひければ、所願成就してんげりと、御心をのべ給ふ所に、御味方こそ六番つゞけて勝給へと、御使趙付にける。有難瑞相ども詞に云もおろか成。されば惟仁之親王御位に定春宮に立給ひけり。是によつて延曆寺之大衆の詮義にも、ゑりやう頂をくだきしかば、次帝位に付、そんいけんをふり給へば、くわんせうれいをたれ給ふとぞ申ける。是に仍惟高1之御持僧しんせい僧正、思ひ死にぞうせ給ひける、無念成し事ぞかし。御子も都へ御無㆑歸して、比叡の山のふもと小野と云所にとぢこもらせ給ひける。比は神無月之すゑつ方雪げのそらの嵐さゑ、しぐるゝ雲のたゑまなく、行かふ人もまれ成ける。況哉小野の御ぢうりよ、思ひやられて哀成。
- 오식惟高 — 앞에 나온 「惟喬」의 오식으로 보인다.