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목차 › 제1 상(第一上) › m1.004

세이와 겐지의 계보와 도쿠아미의 유랑편집 표제

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かくて貞觀四年に御出家渡らせ給ひしかば、小野の宮とも申ける、四品宮內卿供申けり。文德天王御年三十にして御崩御なりしかば、第二の王子御年九歲にて御ゆづりをうけ給ふ、淸和天王と申は此御事成。後には水之尾の帝とぞ申ける。王子あまたおはします。第一をば陽成院、第二をば帝こ親王、第三をば帝慶親王、第四をば帝法親王、此王子は御琵琶の上手にておはします。桂の親王とも申ける。心を懸らるゝ女は月の光を待兼、螢を祛1につゝむ。此御子の御事成、今之源氏の先祖是成。第五をば帝平親王、第六をば帝春親王と申、六孫王是成。されば彼親王の御子常元之親王の御嫡子、多田の新發意滿仲、其御子攝津守賴光、次男大和守賴親、三男多田之法眼とて、山法師三塔一之惡僧成。四郞河內守賴信、其御子伊豫之入道賴義、其ちやく子八幡太郞義家、其御子式部大輔義國等、新田大炊助義重迄、七代は皆諸國のちくぶに名をかけ、げいを將軍之きうはにほどこし、不㆑被㆑家々々にして四海を守、白波猶越たり。されば各爭をつくすゆへに、互に朝敵と成而、源氏世を亂ば平氏勅宣を以是を制し、御恩に詫、平氏國を傾くれば、源氏詔命に任せて是を罰して勳功を極む。然るに近代は平氏ながく退散して源氏世に驕る。四海を靜しより此方綠林えだをふく風音もならさゞりき。されば叡慮に背くせいよふは、色をおふけんの秋之霜にをかされ、てうそをみだすはくはうは、音を上絃之月にすます。是ひとへに羽林の威風代に超えたる故成。然るにせいしをひそめて都の外の亂を制し、私曲之爭を止めて歸伏せざるはなかりけり。げにや八幡太郞義家寄御代々嫡々然共義貞の威勢に仍、それにしたがつて仁田之內德川之鄕中におはしまし給ふ故に寄而德川殿と奉㆑申き。義貞高氏に打敗給ふ時、德川を出させ給ひ而寄、中有の衆生之ごとく何と定給ふ處も無く、拾代斗も此方彼方と御るらう被成有かせ給ふ。德の御代に時宗にならせ給ひて、御名を德阿彌と奉申。西三河坂井之鄕中得立被㆑寄せ給ひ而、御あしをやすめさせ給ふ。折節御徒然さのつれ〲に、いたらぬ者に御情を懸させ給へば、若君一人出來させ給ふ。
  1. 오식 — 소매를 뜻하는 「袪」의 오식으로 보인다(저본은 示변).