次郞三郞信忠、後には左京亮信忠御法名太香、此君者何れの御代にも相替らせ給ひ而、御慈悲之御心も無、まして御情がましき御事も御座ず。御せへんもぬるくをはしまして、御內之衆にも御詞懸も無をわしませば、御內之衆も又は民百姓にいたる迄も、怕慴きて思ひ付者も無。然る間早御一門之衆も我々に成而、したがい給ふかたもをわしまさず。ましてや國侍供も、我々に成而したがい申者も無。然る間逍わづかの安祥計をもたせ給ふ。然る間とても此君之御代をつがせられ給ふ事成難。其儀に而も有ならば、長親之御子は何れも同事成。長親ゑ御ほうかうの筋目は、何れと申も同然にさふらゑば、次男に而をわしませば、內前殿を御代に立申、信忠をば胠に置申さんと云人多し。此中に信忠を捨難思ふ衆の申ける者、又各之仰尤成、然とは雖長親寄も、內前殿ゑは櫻井を被遣人をもわけて被遣給ふ。信忠卿者御總領式にて御座あれば、安祥を讓せられ給ふ。其故人をも方々達を初、度々のはしりめぐりの衆を多付させ給ふ事者別之儀ならず。君之御不器用ならば各守り立申せとの儀成。君之御ぶきやうにて各を初申、我々迄もふの惡き事なれども、長親之御見あてがいのごとくにも被成、此君を御主と仰ぎ奉り給へと申衆も有。いや〱長親之御前をそむく物ならば、御主之御命を背て七逆罪の咎をかうむり、無間にも墮つべきが、是は各も御分別あれ、此御家と申は、第一御武邊、第二に御內之衆に御情御詞の御念頃、第三に御慈悲、是三つをもつてつゞきたる御家なれども、三つ之物が一つとして不㆑調。左樣にも候ば、とても御家者立間敷、然る時んば長親御跡は、此君之御代につぶれて、他之手に渡申事目之前成。我も人も子をもつ事者、大身少身供に道前成。そうれうが倥侗て跡を嗣間敷と見ては、弟が利發なれば弟に跡を次するは習成。長親も左樣に思召べき。內前殿も次男なれども御子成、其故此御跡御代々之引付、三つの物一つもはづれさせ給はず、長親之御跡者立而ゆく故者、兎角內前殿を御代に立まゐらせんと云、尤此君之御代を次せられ間敷と、各々の仰尤道理成。我我も左樣に者存知候。しかしながら、か樣に無㆑情も御主に取あたり申も前々の因果成。又我々の親達之長親之樣成御主に取あたり申而、御情をかうむられ申も前々の果報成。然りとは申せども御普代久敷御主を取替而、藪之側にすませ申を見事も成間敷ければ、其時御有樣をみまいらせて、袖に而淚を押拭いて通るならば、その普代之主をそれに取替たる者どもよとて、人之觀處は扨をきぬ、我心に𢦪も可㆑有、其を思ゑば是非も無御供申而腹を戮迄、各々者互之心々にし給ゑ。各之長親之御跡之、つぶれざる樣に內前殿を御代に立申さんとの給ふも、長親のため成。又我等供が御供申而腹を戮と申も長親之御ため成。我等どもがか樣に申をも、信忠者何とも思召者有間敷けれども、普代之御主なれば一命をまいらする事は、露塵惜からず。偖も〱御いたわしや、御不器用成故、各か樣に思ひたゝれ申と思得ば、一入いたはり入まいらせ候。早御家も二つにわれ申由を信忠も聞召て、其中に頭取之族を御手討に被成ければ、目出度御事かな御氣の付せ給ふと云者も有り。いや〱何としても御代者次せられ難きと申者計多し。