然間早甲斐の國の信虎寄も仰合らるゝと、使者をつかはさるゝ。是をきゝて近國寄使者之有りけり。美濃三人衆者早御馬を寄られ候ゑ、御手を取り申さんと申せしところに、尾張之國森山御手を取申故、美濃へ御心懸有而、森山之御陣とて一萬餘に而岡崎を立給ひ、御一門之衆先手として、段々にそなへて押せられ、其日者岩崎に御陣を取、明ければ森山に御着有而、御陣をはらせ給ひけり。其寄して美濃三人衆ゑも、是迄御出陣之由仰つかはさる。小田之彈正之忠は淸須に有と云とも此方彼方打ちらして放火せしめ給ふ。美濃三人衆も悅而頓而數の俣を打越而打むかひ申、御對面可㆑仕と申越其支度有處に、松平內前殿はうり之熊谷が處ゑ御働之時、松平右京殿ゑ貳させ給はざるとて、荒々としたる御詞を意趣に籠め、其耳弄淸康御手をくだき給ひ而、西三河をたいらげさせ給ひ、東三河の牧野傳藏を打取、一國をかため給ひしかば、小田之彈正之忠にせりとゞめさせて、岡崎を安々と取物ならば、三河之國者我等が物と思ひ定而、上野の城に居而、虛病をかまひて今度の御供者無。上野の城に御入有而、其寄信長之御父、小田之彈正之忠と仰合られて別心と申而、森山ゑつげ來。淸康聞召て、內膳別心をしてあればとて、何程のかうをなすべきとて、事とも思召ず。然る時んば森山者內前殿婿なれば、彈正之忠を引請而候はゞ、のきくち如何が候はんと申ければ、森山が城を出るならば、付入にして城を燔はらひ可㆑申。彈正之忠向うならば、願のことく一合戰してはたすべし。彈正の忠と合戰のするならば、內前をふみつぶすに不㆑及、獨ころびにならん。其故彈正忠も出て我に太刀を合ん事思ひも寄らず。出る事は成間敷、我案祥に有し時、纔に五百三百持たりし時さゑ、一度天下を心懸而有にも、百々度之軍をせずんば天下は治られじ。野に向き山に向き敵とだにも見ならば、是非ともに押寄而百萬騎有とも百々度之軍をせんと思ひ而有り。何時も軍ならば、はづす間敷に心安あれと仰けり。然者退かせられ給はゞ、大給の源次郞殿者、內前殿婿に而有り。いかゞ御座可㆑有哉と申ければ、中々之事を申物かな、彈正之忠をさへ何供思はぬに、源次郞連が何とて出て我を禦哉。若出るならば頭に石を付而我と潭ゑ飛入に社あれ。其迄も無池鯉鮒へ出てすぐに上野ゑ押寄、二三之丸を燒はらいてのくべしと仰ければ、各々被申けるは、其儀如何が御座可㆑有哉。小河は內前殿の婿なれば、定而小河寄も加勢もや可㆑有と申ければ、から〱打哈給ひ而、中々之事面々者何を案ずるぞ。我とをるに小河などが百萬之人數を持たればとて、出て我に太刀を合ん哉。出る成滿足と仰ける。