お千代樣拾三にして淸康におくれさせ給ゑば、森山くづれて十日も過去に小田の彈正之忠三河へ打出、大樹寺に旗を立る。其時森山にて追腹切と申衆、我人追腹者爰成、若君樣は城に而御腹を被成而、城に火を懸させ給ゑ。然ども聊爾に御腹を切せ給ふな。各々打死を仕物ならば、敵方城ゑ押寄而、二三の丸ゑ責入らば、其時御腹被㆑成候ゑ、其寄內は御腹者切給ふべからず。我等供はとても追腹を切申上は御城を罷出廣處ゑ罷出、浮世之思ひ出に、花々と戮死に可仕、取譽られて此方彼方に而死する物ならば、人も追腹とは申間敷、然ども何に御普代と申とも御慈悲、御情、御哀見も御給はずば、其場其場にて、當座之死者仕候とも、か樣に妻子眷屬を捨而、打死仕事よもあらじ。君之御代々我等供之代代之御情、御慈悲、御哀見、殊更淸康之御慈悲、御情、御哀見を思ひ出し奉れば、妻子けんぞくを敵に只今打剿申、又は我等共は打死仕たる斗にては足り不申、御代々又は淸康御慈悲、御情、御哀見無者、何に御普代成とも此時は妻子けんぞくをかこちて、山野に隱忍而命をつぐべけれども、淸康之御情に者妻子けんぞくも惜ず。扨各々若君を見上而見まいらせ、淚をはら〱と泊1、各々妻子けんぞくともに只今果て申事を、露塵程もをしからじ。若君に御代を持せ不申して、御年にもたらせ給はぬに、只今來世之御供を申事之適さよと、申もあゑず一度にはつと嗁。是や此釋尊の御入滅の時、拾弟御弟子、拾六羅漢、五拾二類にいたる迄、適嗁もかくやらん。儅又御普代に而無者何物かか樣には適まん哉。是を思へば主人之寶には普代の者にしくは無、二つ有事は三つ有とは、能社申つたへたり。淸康之御仕合に一度嗁、只今若君樣に別れ申に、二度之嗁打死をとげ申さんとて出るに、妻子けんぞく鎧之袖に取付、かなぐり付而嗁事三度之歎成。早時刻うつり候、御暇申而さらばとて、御前を立而罷出る。神も爰を大事と思召にや、伊賀の鄕之八幡宮之鳥居、伊田之鄕の方ゑ一間間中步ぶ。各々岡崎を半道程出而伊田之鄕に而、敵を待懸而居たりと云とも、雜兵逍2八百有り。彈正之忠是見而大樹寺を押出し而、二つに分けてかゝる。伊田之鄕と申者、上者野成下者田成、野方へ四千、田方へ四千押寄。岡崎寄出る衆も八百を二つにわけて、野方へ四百、田方へ四百に而打むかう。誰見たると云人者なけれ供、申傳へには伊賀之八幡之方寄も、白羽之矢が敵之方へふる雨之ごとく、はしりわたりたると云。さも有哉。
- 오식泊 — 「流」의 오식으로 보인다(저본 후리가나 「ながし」).
- 오식逍 — 「漸」의 오식으로 보인다(저본 후리가나 「やう〱」).